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主題歌「G」は作家・富野由悠季を見破って、『G-レコ』という作品を丸抱えしていった
富野 「音楽映画コレクション」の中には、『月光の曲』というピアニストの映画もありました。僕はピアノの演奏のことはわからないけれど、どうにもピアニスト役の演奏が、歳をとりすぎている。これも後から調べてみると、ポーランドに実在していた名ピアニストが、70歳をすぎて出演していたんです。ただのピアニストではなく、ポーランド革命のとき首相になったほどの大人物。しかし、映画としては‟ありもの”を使ってつくらなくてはならない。出演者の年齢なども込みで、緻密に追い込んで映画を構成しているとわかるわけです。
それから、トーキー初期の名作と言われている『オーケストラの少女』。学生時代に見たときはオーストリアかドイツの映画だろうと思っていて、実はハリウッド映画だとわかってがく然としているんだけど、「なるほど、ハリウッドならこういう劇構成になるか」と感心もしました。失業した楽団員を少女が集めてオーケストラを編成するんだけど、それだけではスポンサーがつかないから、往年の名指揮者を連れてくるんです。バーンスタインより前の世代のストコフスキーという指揮者を、本人に演じさせている。
── 商業映画として、そういうパッケージにまとめたわけですね。 富野 パッケージ論としてすごいんだけど、それだけじゃないんです。オーケストラを集める少女が、映画の中で歌うんですよ。後に歌手として名前を残すほど才能のある16~17歳ぐらいの少女を連れてきて、主演にしている。明らかに、ヨーロッパでつくられた音楽映画とは考え方が違う。限られた条件の中で映画をつくるには、こうやって攻めていく方法があるのかと、僕にとってはいい勉強になりました。
── だけど、今回の劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』「宇宙からの遺産」も、劇構成を攻めて考えてあると思います。 富野 もちろん、意識はしています。それでも、基本的な手法を勉強しなおして忘れないようにしなくてはと思ったのは、歳をとってくると、大人になってから見た映画だけで気がすんでしまうからです。ハリウッド発の『ゴジラvsコング』のような映画を前にすると「そろそろ、いい加減にしない?」という気持ちになるし、そういう映画へ向けてカウンターを撃つために、今の僕は『G-レコ』のような映画をつくっているんです。
── 先ほど音楽映画の話が出ましたが、それこそ「音楽みたいな映画」と『G-レコⅢ』を誉めている人がいるんです。サックス奏者のオーネット・コールマンやマイルス・デイビスを例にあげていました。 富野 もし音楽性の強い映画に見えたとすれば、菅野祐悟レベルの作曲家がいてくれたから、できたことです。その菅野さんにも、徹底的に嫌われてしまったけれど……主題歌にドリカムさん(DREAMS COME TRUE)を連れてきてしまったんだから、そりゃあ、心中穏やかではいられるわけがありませんよ。吉田美和という天才的なボーカリストが、それほど若いとも言えない年齢であの歌詞を書いてきたとき、「ここまでこっち側に手を突っ込んでくるのか?」とがく然としましたもの。
── それぐらい、主題歌「G」は作品の根幹に触れてしまったわけですね? 富野 中村正人さんと吉田美和さんが、仕掛けてきちゃったんです。中村さんは「がんばりました」「どう使ってもらってもいいですから」と言うんですけど、あのボーカルと間奏の長さは、ようするに「劇伴として使ってもいいよ」という意味なんです。
── ああ、中村さんが「劇伴としても使ってください」と言ったんですか? 富野 (机を叩いて)そんなダサいこと、中村さんほどの人が言うわけないでしょう!? 中村さんは劇伴をやったことがないので、やりたくて仕方がないらしいんです。そのことは、あのイントロを1楽節だけ聞けば、菅野祐悟レベルの作曲家には直感としてわかってしまう。そこまでやられて頭に血がのぼらなければ、一流の作曲家ではありませんよ。だから今、本当に困っているんです。次回作の『G-レコ Ⅳ』のどこであの主題歌を使うか、木村絵理子音響監督に相談しています。何とかうまく劇中で使ってみせないと、中村さんに怒られてしまうから(笑)。アーティストの関係性で保たれている表現の世界って、打ち合わせでどうこうできるものじゃないんです。ドリカムさんのような天才に頼んだとき、「いい曲が上がってきてよかったね」で終わるわけがないし、こんな地獄が起こるとは想像もしていませんでした。
── だけど富野さん、「G」という曲に救われたでしょう? 富野 もちろん!! 「モビルスーツは進化するのに~」という、あの歌い出しを聞いただけで「ハイ、ありがとうございます!」と頭を下げるしかない。中村さんがひとつだけ教えてくれたのは、吉田美和さんは僕のネットでの発言をすべて読んで、あの歌詞を書いてくれたということ。そうでなければ、決して書けない歌詞です。言うなれば、「犯された」って感覚。心臓にストレートに手を突っ込まれて気持ちがいいんだけど、そんな話はうかつに人にはできません(笑)。それぐらい、「見破られた」感じがしている。もしかすると、吉田美和さんが『G-レコ』を丸抱えして持って行ってしまったのかもしれない。もはや僕の作品ではなくなったんじゃないか……、とさえ思います。