1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】

2020年10月24日 11:000
1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】

1971年、東京オリンピックと大阪万博を経て日本が経済成長を達成した豊かな時代、「カバトット」という小さなアニメ番組が放送された。フジテレビ系列で月曜から土曜までの毎日18時55分からの5分間だけ、ほとんどセリフのないギャグ短編。制作したタツノコプロ(当時は竜の子プロダクション)はすでに「マッハGoGoGo」(1967年)で高い評価を獲得しており、翌年には大ヒット作となる「科学忍者隊ガッチャマン」(1972年)の放送を控えていた。
リアリスティックな絵柄で独自の作風を確立しようとしていた創成期のタツノコプロにとって、「カバトット」のような帯番組はどんな意味があったのだろう? 同社の設立に深く関わり、「カバトット」の監督も務めた笹川ひろしさんに、タツノコプロの60~70年代を振り返っていただいた。

吉田竜夫のキャラは難しくて誰にも描けない? 第1作「宇宙エース」誕生まで


── 「カバトット」は、カバと鳥のトットがお互いにおちょくりあう、「トムとジェリー」のような構造のコメディですね。

笹川 そうですね、毎回なにか事件が起きてギャグで笑わせる。「カバトット」のような短編だけでなく、タイムボカンシリーズでも同じことです。アニメーションでも漫画でも、それが基本だと思います。タツノコ作品の中では、「ギャグ物なら笹川だろう」とよく言われるのですが……。


── 「カバトット」の前だと「おらぁグズラだど」(1967年)、「ドカチン」(1968年)、「ハクション大魔王」(1969年)、すでに何本もギャグ作品を監督なさっていましたね。

笹川 ええ、もちろんギャグ物は好きです。だけど、監督してはSF物もやりたいし、サスペンス物も好きなんです。「刑事コロンボ」、アガサ・クリスティ、ヒッチコックの映画も大好きです。SF映画では、「2001年宇宙の旅」が最高だと思っています。

── タツノコプロ(竜の子プロダクション)の創立は、1962年ですね。当初は、ギャグアニメをつくるためのスタジオではなかったと思うのですが?

笹川 タツノコは、吉田竜夫さんが自分のキャラクターでリアルなアニメ作品をつくろう、という目的で旗揚げした独立プロダクションです。しかし、吉田さんのキャラは少し顔を動かしただけで崩れるぐらい、描くのが難しいんです。アニメーターの人たちが「難しくてとても無理だから、勘弁してください」と嫌がってしまって、大変でした。当時のテレビアニメといえば、「鉄腕アトム」(1963年)のように省略とデフォルメが当たり前で、同じ絵を何度も使いまわしていました。いかにして少ない枚数でつくるかが、テレビアニメの宿命だったんです。「アトム」の手塚治虫先生は先生なりに、だいぶ苦労されたと思います。

── 笹川さんは、「アトム」でも絵コンテを書いた経験もあったと聞いています。

笹川 僕は手塚先生のアシスタントでしたから、タツノコプロ創立の話があったころ、先生に相談に行きました。「吉田竜夫さんと知り合って、アニメ会社をつくりたいと持ちかけられているんです」と話したら、手塚先生は嫌な顔をしてらっしゃいましたね。言葉にこそ出しませんでしたが、僕には漫画家でいてほしかったんじゃないかと思います。また、吉田竜夫のハードな絵がテレビアニメで動くとしたら、必死にアニメ制作をしていた手塚先生としては、内心おだやかではなかったでしょうね。手塚先生は、それまで吉田さんと面識はなかったのですが、脅威に感じていたのではないでしょうか。
僕の絵は手塚流ですから、「口の動きは原画3枚を繰り返して使うのがテレビアニメの基本です」「吉田さんの絵は難しすぎて、テレビアニメには向かないのではないでしょうか」と、自分なりに理屈を考えて吉田さんを説得にかかりました。それに、漫画と違ってテレビアニメは1本を仕上げるのに、総勢200~300人もスタッフが必要です。だけど、吉田さんは「絵を描ける人間なら、自分の絵を真似して描けないはずがない」と、頑として譲らないんです。そうこうするうち、東映動画から「一緒にアニメ作品をつくらないか」というお誘いがありました。


── 東映動画は1956年創立で、「狼少年ケン」(1963年)でテレビアニメにも参入していましたね。

笹川 ですから、「これはチャンスなので、笹川さんもタツノコ側のスタッフとして参加してほしい」と吉田さんに頼まれました。その当時、僕はまだ漫画を描いていましたが、3か月ほどお休みして東映動画に研修へ通いました。熊川正雄さんという有名な方に、アニメーションの特訓を受けたんです。タツノコ側はストーリー、脚本、演出まで任せてもらえる。それ以降の動画、仕上げ、撮影などを東映動画が担当するといういい話だったのですが、権利関係で話が折り合わず、破談になってしまいました。その話のすぐ後、東映動画は「宇宙パトロールホッパ」(1965年)という企画を立ち上げました。
さて、「タツノコプロはどうしよう? このまま続けるかどうか、決をとろう」という話になりました。僕は、辞めるほうに手をあげました。ところが、吉田竜夫さんは3人兄弟ですよね? 3対1の賛成多数で、このままアニメを続けることになりました。やっぱり吉田さんは絵描きだし、頑固なんですよ(笑)。何とか頑張ってつくりあげたタツノコプロの第1作目が、「宇宙エース」(1965年・笹川氏は監督を担当)です。

画像一覧

  • 1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】

  • 1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】

  • 1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】

関連作品

宇宙エース

宇宙エース

放送日: 1965年5月8日~1966年4月28日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 白川澄子、家弓家正、向井真理子、愛川欽也、内海賢二、大山豊、藤岡琢也
(C) タツノコプロ

カバトット

カバトット

放送日: 1971年1月1日~1972年9月30日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 大平透、曽我町子、堀絢子、原田一夫
(C) タツノコプロ

マッハGoGoGo(第1作)

マッハGoGoGo(第1作)

放送日: 1967年4月2日~1968年3月31日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 森功至、大宮悌二、堀絢子、野村道子、富山敬、愛川欽也
(C) タツノコプロ

ハクション大魔王

ハクション大魔王

放送日: 1969年10月5日~1970年9月27日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 大平透、加藤みどり、貴家堂子、田の中勇、麻生みつ子、相模武、愛川欽也
(C) タツノコプロ

おらぁグズラだど

おらぁグズラだど

放送日: 1967年10月7日~1968年9月25日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 大平透、東美江、松尾佳子、富山敬、麻生みつ子
(C) タツノコプロ

ドカチン

ドカチン

放送日: 1968年10月2日~1969年3月26日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 中村メイコ、神山卓三、松尾佳子、麻生美代子
(C) タツノコプロ

紅三四郎

紅三四郎

放送日: 1969年4月2日~1969年9月24日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 西川幾雄、雷門ケン坊、大竹宏、内海賢二
(C) タツノコプロ

科学忍者隊ガッチャマン

科学忍者隊ガッチャマン

放送日: 1972年10月1日~1974年9月29日   制作会社: タツノコプロ
キャスト: 森功至、ささきいさお、杉山佳寿子、塩屋翼、兼本新吾、大平透、寺島幹夫、田中信夫、木下秀雄
(C) TATSUNOKO PRODUCTION. All rights reserved.

ログイン/会員登録をしてこのニュースにコメントしよう!

関連リンク

※記事中に記載の税込価格については記事掲載時のものとなります。税率の変更にともない、変更される場合がありますのでご注意ください。

関連記事