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ガンプラ大好き、モビルスーツ大好きなオジサンたちは、技術信仰で単一思考なのか
── いま、『Gのレコンギスタ』を誉めているのは旧ガンダム世代、モビルスーツもガンプラも全肯定する僕たちオジサンたちが、圧倒多数ではないかと感じているのですが……。 富野 いくら年寄りの支持を集めたって、年寄りは先に死んでいくんだから、それは何の基準にもなりません。このスタジオにいるスタッフたちもガンダム信者のなれの果てみたいなものだから、彼らの言うことは一切聞かない。そう口に出しておかないと、僕自身がガンダム病にとりつかれてしまうからです。ここ10年ぐらいでわかったことですが、ガンダムに限らず技術信仰、メカ信仰している世代は、決して脇にブレないんです。それは僕自身の経歴でもあって、どうも僕は真性のメカ好きらしい。それで、回路が狭くなってしまったんです。宮崎駿さんも一見するとメカ好きなんだけど、ファンの間では有名な話で、少女好きと言われていますよね。
── 「ロリコン」なんて言われ方をされますよね。 富野 少女好きと飛行機好きが一緒くたになった瞬間、完全なメカ好きではなくなって、ファンタジーの世界へ行けてしまう。それが、『千と千尋の神隠し』にまで至る経緯になっているんです。なんだかんだ言って、宮崎さんは工学系ではなく文科系のアーティストなんだということ。僕は真性のメカ好きだったがために、絶対にそちらへは行けないという自覚があります。20年前の『∀ガンダム』のころから脱ガンダムしたいと思っていたんだけど、工学系・機械科系・理科系の欠点を、決定的に指摘することができなかった。これだけはハッキリ言えるんだけど、彼らには進化論と確実性しかない。つまり、「機械は絶対に壊れてはならない」という考えから、絶対にブレないんです。戦艦好きだろうが戦闘機好きだろうが、単一思考ということ。それを悪いことだとは言い切れないのは、19~20世紀の文明を支えてきたインテリジェンスが、まさにその単一思考だったからです。原爆以降は技術信仰を正しいとは言えなくなったのに、彼らは頭を切り替えられない。
端的な例をあげると、ゼロ戦設計者の堀越二郎さん。彼の本を読んでいると、ゼロ戦に乗って死んでいったパイロットたちの心境に、技術者である彼は思いが至らなかったらしいんです。だから、宮崎さんが『風立ちぬ』を映画化したとき、堀越二郎に「僕の飛行機は、1機も帰ってきませんでした」と言わせるしかなかった。技術者は「使ったのは軍だから俺は関係ない」という考え方をしているわけです。僕の父親は化学系だったけど、戦争に関与していたくせに、「使うのは軍人だ」という言い方を平気でしていました。そういう工学系・理科系の人たちが集まったとき、最悪の場合はテロを起こす集団になってしまう。
── かつてのオウム真理教のようなケースですね。 富野 そうです。「勉強ができる」とか「頭がいい」ことの持っている危うさは、そこにある。だから、いい加減で中途半端で、ややスケベで、ちょっと頭のおかしいような文科系のほうが、実は安全牌なのかもよ? という言い方もできます。だって、それが一般大衆でしょ? ということです。