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デジタルネイティブの新しい世代は、もはや『G-レコ』を新しい形で受容している?
── 一般大衆の話になりましたけど、ネットで映画の感想を見ていくと、「登場人物に感情移入して泣けるかどうか」が基準になりすぎていると感じます。 富野 でもね、僕たちの世代だって似たようなもので、映画雑誌は「キネマ旬報」ですら男優と女優のニュースばかりで、作り手の話題なんて微々たるものでしょ? 一般大衆は、そんなレベルでしか物事を見ていないのかもしれないけれど、日々の暮らしを立てていく人たちはそれで十分じゃないのかな? と思う。だって、純烈のショーを銭湯に見に行っているオバサンたち、本気でうれしがってるじゃない? あんなうれしそうな人たちを指して、「大衆はバカだ」と言えるのかって話でしょうね。
── 『Gのレコンギスタ』にも、大衆受けする能天気な要素がいっぱい入ってますよね。今回の『G-レコ Ⅲ』のエンドロールでは、キャラクターたちが踊りますし……。 富野 だって、「G」という楽曲を下手な使い方したら、それこそファンに殺されかねないですよ。それでも、「こんなレベルの絵しか用意できないのか?」という焦りがありました。踊りのアニメーションはテレビ版の作画だから覚悟がついていたんだけど、背景はもうちょっとどうにかならないの? という気持ちで、涙が出るほどつらかった。そんな泣きたいぐらいの映像を何とか最後まで見せきれたのは、それこそ編集の力技です。デジタル技術でみんなが好き勝手に映像を繋げる時代に、こういう編集センスを持った人がいてくれたので、ドリカムさんとエンドロールの絵のマッチングは、そう悪くないものに仕上がったと思っています。
ちょっとだけ悔しいのは、ドリカムさんの「G」のミュージックビデオが先にあって、それを編集者に見せていたからできたんだ、ということ。
しかも、そのミュージックビデオの編集マンを、ドリカムの中村さんは今まで知らなかったそうで、それも衝撃でした。デジタルで当たり前に編集してきた世代は、独自にああいう映像をつくれてしまう。もうひとつ例をあげると、『G-レコ Ⅲ』の予告編。最初は旧来のよくある映画の予告で、いまひとつの出来だったため、担当の編集マンに「G」のミュージックビデオを見てもらったんです。そうしたら、今の予告編ができ上がった。
── 今の予告編は説明的でなくて、スタイリッシュにまとめてありますね。 富野 それは何も特別なことではなくて、デジタルで動画を編集している世代はみんな、目にしたものを即座に吸収して自分のものとして再現できるんでしょう。オリンピック関連のCMを見ていても、これまでなかった質感の映像が出てきています。だからこそ、デジタル以降の映像ばかり見ていたら、僕らの世代は確実に間違えるな……と、気を引き締めたわけです。
世代論で言うと、深夜に放送されたテレビ版の『G-レコ』を見ていてくれたのが、17歳以下の人たちだったことも大切です。その10人ぐらいの若いファンたちに会ったとき、「ああ、間違えていなかった」と、救われた気持ちになれました。
── そういうファンは意識の高い人たちであって、『G-レコ』は一般大衆が頭を空っぽにしてバカになって楽しめるレベルに広がると、化ける気がしています。 富野 はい、正確な指摘だと思います。僕が放送時から「『G-レコ』は30年後に価値を認められる」と言っているのは、まさにそういうことなんです。それは認識しているつもりだけれど、僕は「頭がいい」ことに対して、コンプレックスが強すぎるんでしょうね……。「僕はバカじゃないんだ」と、一生懸命に言い続けてきた気がします。もう少し人気が出てほしい、もっと普通に愛されてほしいと、素直に思っているんですけどね。
── 例えば、G-セルフは赤・青・黄色のガンダムカラーだけど、画面に映った瞬間に主人公のロボットだと誰にでもわかる。そういうわかりやすさは、『G-レコ』の武器ですよ。 富野 それはおそらく、G-セルフをデザインしてくれた安田朗さんが、とても率直だからでしょうね。カラーリングを決めたのも彼ですから。そういう素直さは、かなり大事だと思います。バカに徹しきれない富野さんという作家は困ったもんだねえ……と自覚しながらも、さっき言ったとおり、次回作『Gのレコンギスタ Ⅳ』は大苦戦しています。『G-レコ』はあと2本なので、『Ⅳ』と『Ⅴ』はドンと勢いで行くしかない! そういう決意ですので、観客の皆さんにはご支援のほど、今後もよろしくお願いします。
(取材・文/廣田恵介)
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