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作品の物理的な「色」には、スタジオが長い間に培ってきた個性や伝統があらわれる
── その後、髙橋さんはアニメ業界から離れて、劇団「東京キッドブラザース」の巡業でヨーロッパを回っていたという話は、前回お聞きしましたが……。 髙橋 はっきり覚えているのは、1970年に三島由紀夫が割腹自殺したときです。そのニュースを、学研に漫画の原稿を納めにいった帰りのカーラジオで聞いたんです。その頃はアニメ業界で生活していく自信をなくして、漫画や小さな冊子にイラストを描いていました。劇団に足を踏み入れていたのは、その少し後の1972年ごろです。アニメからは離れていましたが、何かしら「つくる」というバブルの中にいたかったんです。
── どうして、またアニメ業界に戻ってこられたのでしょう? 髙橋 やっぱり、サンライズです。虫プロ出身の7人の創業者が、1972年にサンライズをつくったんですよね。虫プロ時代によく飲ませていただいていた沼本清海さん、虫プロで撮影をやっていた山浦栄二さんの2人に「フラフラしてるんなら、この企画をやれ」と言われたのが「ゼロテスター」でした。ゼロテスターの制作が終わった後、自分の未熟を痛感して、少しテレビシリーズから離れました。その間の数年でサンライズは業績を伸ばして、1年に5本ぐらいの作品をつくることになりました。山浦さんは僕に富野由悠季さんの「機動戦士ガンダム」を見せて、「これは漫画原作ではなくて、富野さんの原作。ついに、自分たちが自由に作品をつくれる時代が到来したんだよ」と、誘いのような命令のようなことを言って、僕を現場に呼び戻しました。当時のサンライズの社屋は小さくて、上に富野さん、下に僕がいるような感じでした。その頃は富野さんの勢いがすごくて、ほかの人が行くとはね飛ばれそうなほどでした。……それは別に、富野さんが他人に意地悪するという意味ではなく、作品づくりに真剣すぎて、同じ作り手だったら気持ちがもたないだろうということです。だけど、僕は平気でした(笑)。「富野さんは富野さん、僕は僕」と思えたので、腰を落ち着けて自分の作品をつくっていくことができました。
── そんな髙橋さんから見て、新しい「MUTEKING THE Dancing HERO」はいかがですか? 髙橋 「MUTEKING」の映像を見せてもらいましたが、僕がつくってきた作品とは、色の世界が違いますね。背景からキャラクターから、すべての色合いがタツノコプロらしい。「宇宙エース」(1965年)はモノクロ作品でしたが、あの時代からずっと、タツノコはさわやかなきれいな色を使ってきました。その色彩センスが、今の時代にも連綿と受け継がれていますね。
── それは、「作品のカラー」という意味ではなくて、具体的な画面の色彩のことですね。 髙橋 そうです、物理的な色のことです。僕たちの時代で言うと、セル絵の具の色という意味です。たとえば、「MUTEKING」と僕の「ダグラム」とは、色合いがまったく違います。
── 「ダグラム」の色は、あまりにも渋かったですからね。 髙橋 富野さんの「機動戦士ガンダム」は、ロボット物の中でロボットに明確な位置を与えた初めての作品でした。軍隊の中の兵器であって、存在背景に予算やテクノロジーがある、そういうロボット。そして、「ガンダム」は海軍と空軍ですよね。ホワイトベースは空母だし、「アムロ、行きまーす」のあたりは空軍のイメージ。海軍と空軍は制服もカッコいいんですが、同じことをやっても芸がありませんから、「ダグラム」は陸軍にしました。その結果、あんなに渋い色づかいになってしまったんです。
「ゼロテスター」では河野次郎さんに美術をお願いしたのですが、河野さんは「どうも色が重たい。鉄で言うと錆びたような色調になる」と言われていましたが、僕がそういう指示をしたのかもしれません。同じ河野さんが背景を手がけた今回の「MUTEKING」は鮮やかです。スタジオの培った伝統が、作品の色に現れるのでしょう。実際にスタジオへ行ってみると、タツノコプロはクリスタルな印象です。手塚プロは、ゴチャゴチャ、ガチャガチャしています(笑)。僕のいた旧虫プロの雰囲気を引き継いでいるのは、やはり手塚プロのほうですね。
── 「MUTEKING THE Dancing HERO」では、絵コンテもチェックしているのですか? 髙橋 いいえ、絵コンテ以降はおまかせしていて、僕は見ていません。昔の「とんでも戦士ムテキング」は、何しろ「ナウい」という言葉の流行った時代の作品です。そのテイストを残したまま、今の時代に映えるように作品を魅力あるものに魅せるには、どうすればいいのか。僕自身が「今」を認識できてないのですが、作品コンセプトを踏まえたうえで、できるかぎりがんばってみたつもりです。
(取材・文/廣田恵介)
(C) タツノコプロ・MUTEKING製作委員会