「イデオン」のメカニック・デザイナー、樋口雄一さんが教える“敵をつくらず生きる自由放埓な創作人生”【アニメ業界ウォッチング第56回】

2019年07月14日 15:000

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一時期、会社の2階が寝床だった


樋口 デザインメイトの入社試験では、ミクロマンとリカちゃんを、マーカーで描かされました。マーカーは使ったことなかったんですけど、デッサンだと思って描きました。すると、「色使いはよくないけど、まあいいだろう」と言われて、その場で採用してもらえたんです。そのときに面接してくれた先輩にはかわいがってもらえて、よく飲みに連れて行ってもらいました。

── デザインメイトは、玩具デザインの会社でしたよね?

樋口 そうですね、僕が入ったときは玩具デザインがメインでした。だけど、デザインメイトはデザインなら何でもやる会社で、いろいろなコンペに参加しました。大手電気会社や都庁の公共事業のコンペにも関わったりして、面白すぎるぐらいの体験をさせてもらいました。
だけど、クリエイティブな仕事をするのは4人ぐらいで、仕事はすごい量でしたから、その頃が一番つらかったです。不夜城と言いますか、月曜日に会社に行ったら、帰るのは土曜日の深夜だったんです。当時の僕は、会社の2階が寝床になっていましたから。

── 1日20時間、働いていたと聞きます。

樋口 あまりに大変だから、アパートを引き払って、会社の2階に寝泊りするようになりました。そうすると、24時間いつでも仕事できるんですよ。僕は仕事が嫌いじゃないですから、それでも構わないんです。困ってしまったのは、後輩が増えてきたことです。僕は24歳でデザインメイトに入って、27歳で専務になっていました。専務の僕が帰らずに仕事しているから、後から入ってきた若い子たちが帰れないんです。「今日は(朝)4時ぐらいに寝たいな」なんて言うと、「樋口さん、できれば2時ぐらいに……」と後輩たちにお願いされる。毎日そんなやりとりがあって、あれは悪いことをしました。

── 「伝説巨神イデオン」で有名になったサブマリンは、デザインメイトの分室のような感じだったんですか?

樋口 人が増えてきたので、仕事の量も増やさなくてはならなかったんです。その頃のデザインメイトは田端にあったのですが、上野にあったころの建物が空いたので、営業のできる人間を雇って、上野にサブマリンという分室をつくったわけです。僕は、サブマリンの専務になりました。

── 「サイボーグ009」(1979年)のメカデザインの仕事は、その頃ですか?

樋口 確か劇場版の「009」だったと思いますが、打ち合わせに行ったのは僕で、実際にデザインを描いたのは大西博くんでした。勇者シリーズでは、秋元浩志くんに手伝ってもらいました。社内の多くの人たちの助けを借りて、仕事していました。

── 「未来ロボ ダルタニアス」(1979年)も、「009」と同時期のお仕事ですね。

樋口 「ダルタニアス」は、記憶に間違いがなければ、伸童舎の野崎欣宏さんが持ってきてくれた仕事だったように思います。僕は主役ロボットではなく、乗り込みシステムみたいなものを担当したと曖昧に覚えています……あ、記憶はすべて曖昧ですから、間違いがあれば教えてください(笑)。


── テレビアニメーションの仕事は、1979年ごろに初めて関わったんですね?

樋口 そうです。確か、どこかのロボット玩具の取り扱い説明書を「このままではわかりづらいので、絵でうまく説明してもらえないか」と頼まれたんです。「こんなにわかりやすく描けるんなら、アニメ本編のデザインもできるんじゃない?」と持ってきてもらった仕事が、「ダルタニアス」だったんじゃないかな? それで、「今度は企画からお願いします」と頼まれたのだが「科学冒険隊タンサー5」(1979年)だったような……。

── 「タンサー5」は、サンライズの社長だった山浦栄二さんからの依頼ですよね?

樋口 そうです。野崎さんと山浦さんは、仲がよかったんじゃないでしょうか。山浦さんからは「玩具の企画で、何か面白いのを考えてくれない?」という話でしたね。僕は「ミクロマン」などで、玩具デザインの経験がありましたから。

── 野崎さんは、サンライズ作品にもたくさん関わっていますからね。「タンサー5」はアニメと特撮のハイブリッド作品という異色作でしたが……。

樋口 そうですね。「タンサー5」のデザインをやったとき、はじめて特撮監督の佐川和夫さんと矢島さんを知ったんです。

── 樋口さんは東京に出てきたばかりの頃、ちばてつやさんに師事して漫画を描きたいと考えていたわけですよね? アニメ作品に関われたのだから、自分も物語づくりに参加したいと思いませんでしたか?

樋口 いえ、まったく思いませんでした。たとえば、チラシを描いているときに「天地真理さんを車で送ってくれない?」と会社から頼まれても、絵と関係ないから断っていたんです……今なら話のネタになるから、引き受けるかも知れませんけど(笑)。「絵を描ける仕事ならば何でも引き受ける」、僕の基準はそれぐらい。デザインをやっていると、自分で描いても人に頼んでも、人と打ち合わせしても、自分がキーマンになれるから結構おもしろいんですよ。AE(アカウントエグゼクティブ)的に、「この予算でこれぐらいの期間で」と、自分で決めていく。そういう仕事をしていたおかげで一時期、まったく絵を描かない時期がありました。絵を描くのに飽きていないから、今いっぱい描けるんです。だから、今は楽しいですよ。

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