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映画から学ぶ“史実と創作のバランス”
── 1980年になると、ガンプラブームが訪れますよね。山田さんのガンプラ作例といえば、1/20 キャラコレをていねいに塗って、ホビージャパン誌に掲載していましたよね? 山田 あげたゆきを君というモデラーに指摘されたんですけど、キャラコレのセイラさんを剥いて魔改造したのは、僕が日本で最初らしいんです。キャラコレは連邦軍の制服だったけど、それを削ってワンピースの水着に改造したのは、僕が最初なんですって。あと、1/12 ハイスクールラムちゃんをドイツ軍の格好に改造した作例があったでしょ?
── ああ、聞きなれない作者名で掲載されてましたね。あの作例は、とてもエッチでした。山田さんだったんですか? 山田 僕の名前が、あまりあちこちの記事に載るとよくないということで、ペンネームで掲載されたんです。スカートを外すと、ストッキングが丸見えになる作例。あのラムちゃんは名前を出してないから、みんな知らないはずですよ。僕自身も、恥ずかしかったし(笑)。
── そうだったんですね。当時のガンプラブームは、山田さんにとってどんなものだったのでしょう? 山田 スケールモデルの潮が引いた時期に、うまい具合にガンプラブームが起きたんですよね。ホビージャパンはうまくミリタリーからガンプラへ切り替えができたし、MSV(モビルスーツバリエーション)だとか、コミックボンボンなどを編集していた安井ひさしさんの功績も大きかったと思います。「機動戦士ガンダム」という番組の第一印象は、「宇宙戦艦ヤマト」に似ているなと思いました。「これは人気が出なくて打ち切りになって、後からヒットするパターンだな」って。第2話でシャアのザクがガンダムにケリを入れるでしょ? こんなひとつ目のロボットが出てきて、こういう、敵が得体の知れないアニメは絶対にヒットするぞって確信したんです。スケールモデルからガンプラへ移行してきたモデラーって、かなり柔軟性がありますよね。戦車から、また飛行機に移ったりもできる。
── 「ガンダム」以降のアニメでは、「新世紀エヴァンゲリオン」というヒット作がありましたが? 山田 「エヴァ」の頃は、原型師としてツクダホビーとお付き合いがあって、ツクダホビーの方から「エヴァ」を教えられたんです。ただ、主役メカは紫色で敵ロボットみたいだし、決して業界内での前評判は高くなかったと聞いています。僕たちからすれば「謎の円盤UFO」や「ウルトラマン」を彷彿させるところはあるし、SFマインドにあふれた深いアニメでしたね。中盤までの使徒を次々に倒していく展開は、本当に面白かった。あのまま延々と、使徒を倒しつづける内容でもよかったんです。だけど、後半の崩れた展開があったから“「エヴァ」になった”わけで、前半のままだったら、今ごろ忘れられていたかも知れません。
僕は1959年生まれなので、テレビアニメ、映画、怪獣モノ、映像文化の変遷をリアルタイムで目撃できた世代です。「あしたのジョー」も「巨人の星」も、テレビアニメに色がついて技術的に進歩していく様子を、ほとんど間近に見てきました。ゴジラ映画が、どんどん子ども向けになっていく過程も目の前にしてきたし……。1959年は戦後14年しか経っていなくて、1970年の大阪万博が高度成長期のフィナーレで、暗い時代にに移っていった。その世相を反映したのが「帰ってきたウルトラマン」であり、「エヴァ」は「帰りマン」のリメイクじゃないかと僕は思うんです。そうした映像コンテンツの歴史と模型とは、無関係ではないと思います。
── 実写映画は、いかがですか? 山田 フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」は、別格ですね。何回でも見るし、「このシーンはどういう意図なんだろう?」と、何回でも考えます。コッポラは「ゴッドファーザー」初期の2作と「地獄の黙示録」ではかなり歴史を調べていて、実際に起きたことをベースに映画化している。その“史実と創作のバランス”が、面白いわけです。ジオラマは本物を模しているので現実を再現していなくてはいけないんだけど、表現としてわかりやすくしたり、模型として見せ場をつくるためにアレンジすることも必要なんです。想像して作るしかないんだけど、史実に忠実すぎてガチガチではつまらないし、何も調べずデタラメに作るのもよくない。その塩梅を探るのに、「ゴッドファーザー」はとても勉強になります。