ホビー業界インサイド第9回:フィギュア教室を開催して学んだ、本当に楽しい造形とは? フィギュア原型師 大西孝治、インタビュー!

2016年03月19日 11:000

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「一番くじ エヴァンゲリオン ~20th Anniversary 綾波レイ」や「Happyくじ METAL GEAR SOLID V スネーク胸像&オセロット胸像」など、全国に流通する人気キャラクターのフィギュア原型を、確かなデッサン力で造形する、プロ原型師の大西孝治さん。

その大西さんが、東京の小さな工房で、少人数を相手にしたフィギュア教室を開講して、1年ほどが経つ。18歳でガレージキットメーカーに入社、20歳で独立して有限会社ヘビーゲイジを立ち上げたベテラン原型師の大西さんに「フィギュア作りを教えること」「造形することの楽しさ」について、うかがってみた。


家出同然で、ガレージキットメーカーに入社


──業界に入ったキッカケを教えてください。

大西 18歳のとき、模型雑誌に、有名なプロモデラーの方が原型を担当したロボットのガレージキットが掲載されていました。そのロボットの販売元メーカーが「スタッフ募集」広告を、載せていたんです。「憧れのプロモデラーが、その会社に勤めているんだ」と勘違いして、履歴書を送りました。当時は大学受験に失敗して予備校に行く気もなかったし、「ちゃんと親の許可を得てます」と適当なことを言って、家出同然でそのメーカーに入れてもらいました。

入社してから分かったんですが、会いたかったモデラーさんは社員ではなく、外注で原型を作っていただけだったんです。そんな失意の中、その会社で男キャラを得意とするフィギュア原型師さんと出会いました。彼のフィギュアを見た瞬間、衝撃が走りまして、「自分の進む道はこれだ!」と男キャラ造形の道に進むことを決めました。

──メーカーに入ることについて、親の理解は得られなかったわけですね?

大西 模型雑誌を見せて「このメーカーに入りたい」と親に言ってみたけど、「アホかお前は!」で、終わりでしたからね。理解してもらえないとあきらめて、黙って家を出ました。お金ができてマンションを借りられるまでは、そのメーカーの社屋に住みこみです。

原型師ではなく一般職での採用だったので、生産工場でガレージキットのパーツをよりわけて、袋詰めしたり箱に入れるのが、僕の仕事でした。ただ、たとえ一般職であっても「ものを作ること」を良しとする社風で、ファンド(石粉粘土)を自由に使ってよかったんです。仕事のあと、夜おそくまでフィギュアを造形していました。

そのうち、同い年のフィギュアモデラーが入社してきました。その人は「好きなアニメやマンガはあるけど、すべての作品を見るほど濃いオタクではない」僕と同じタイプの人間だったので、「よかった、やっと話し相手ができた」と、ホッとしました。それまでは、ほんとに肩身が狭かった。社内全員、知識やセンスの塊の化け物みたいな方ばかりなんですもん。2年ほどそのメーカーに務めたあと独立し、のちに出会った人たちと会社(有限会社ヘビーゲイジ)を作ることになるんです。

──ヘビーゲイジは、版権をとってガレージキットを通販していますよね。

大西 そうなんですけど、世間知らずのバカだったので、どんな大きな出版社、アニメ会社、ゲーム会社であっても、フィギュアの出来さえよければ「君、うまいね。商品化OKだよ」と、版権を下ろしてくれると思っていたんです。だから、ひたすら技術とセンスだけ磨いて「頼もう~!」と、何度も門を叩きに行っていたんです。ずらりとフィギュアを机の上に並べても、ぜんぜん版権を下ろしてくれない。「まだまだ、僕らの技術力が足りないのかな?」と悩んでいたら、「君たちに版権を許可できない、本当の理由を教えようか」と、ある版元さんが話してくれて。「あのね。君たち、法人じゃなくて個人でしょ。社会一般の常識で、企業が個人と版権契約を結ぶことはあり得ないよ」って。それから、文字どおり飲まず食わずで働いて資本金をためて、会社をつくってビックリしました。法人になったら、ちゃんと版権を下ろしてくれるんですよね。

それからは原型師として、なんとか食べていけるようになりました。


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