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なし崩し的にスタートした「ミスター味っ子」のキャラデ
── 「ミスター味っ子」前半のキャラクターデザイナーだった加瀬政広さんとは、仲がよかったのですか? 毛利 ええ、学年でいうと同い年なんです。加瀬さんは、もともと日本アニメーションに在籍していたのですが、「大阪に帰郷して仕事をしたい」との相談を受けました。たまたま、加瀬さんの学生時代の友人が僕と共通の友人だったので、その縁です。相談を受けて、僕から谷口守泰さんに話をして、加瀬さんがアニメアールに入ることになったのです。確か、「太陽の牙ダグラム」後半のころですね。
── すると、加瀬さんはロボットアニメ系の方ではなかったのですね。 毛利 そうですね、ロボット物は「ダグラム」が初めてだったと思います。アニメアールに入る直前は、「忍者ハットリくん」の原画を描いていたようです。リアル系というか、アメコミっぽい絵をスケッチブックで見た記憶もありますので、そういう路線の絵も描きたかったのかもしれません。
── 毛利さんは、「ミスター味っ子」では作画監督として参加してらしたんですか? 毛利 最初はオープニングを担当しました。オープニングは、ワンカットだけ色のついてないバージョンが放送されたのですが、そのフィルムは行方不明なんだそうです。今見られるのは、色のついたバージョンのみですね。オープニングとサブタイトルの作画をやってから、しばらく僕は「味っ子」からは遠のいていました。その後、浪速のどんぶり兄弟が出てくる 話(第27話「二人三脚で勝負だ!陽一・一馬のカレーどんぶり」)から、ちょっとずつ原画を手伝うことが増えていきました。それがうなぎの回(第40話(「うな丼勝負!黄金のうなぎを求めて」)で、ピークを迎えたんです。その後、産休に入った貴志夫美子さんのピンチヒッターで作監を何度かやって、今度は加瀬さんのピンチヒッターとしてゲストのキャラデをやって……という流れでした。
── すると、なし崩し的にキャラデをするようになったのでしょうか? 毛利 まあ、そうです(笑)。ラストの半年は、大阪からサンライズへ単身赴任でした。
── 今川泰宏監督とは、あまり打ち合わせしている時間もとれなかったのでは? 毛利 いえ、そんなことはありませんでした。加瀬さんの代わりに誰がキャラデをすべきかという話になったとき、今川監督が僕を推薦してくれたとも聞いています。
── 今川監督は、どういう方でしたか? 毛利 面白い人です。アイデアが豊富だし、パワフルですね。
── 当時の今川監督は富野由悠季監督のロボットアニメで、かなりエキセントリックな演出をしていましたが……。 毛利 僕は見たことがないのですが、そうみたいですね。「味っ子」の演出が派手なのは、対決モノの要素があるからでしょう。
── 2年間も放送されたのも、当時としては異例だったように思います。 毛利 半年ごとに放送が延長されていき、半年ごとに最終回のようなエピソードがあるんです。というのは、延長になるのか放送終了になるのか、判断を待っている時間がなかったからです。最終回になってもいいようなエピソードが何度もあるのは、そのためなんです。もっとも、そのたびにスケジュールが苦しくなっていくんですけど(笑)。