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マッドハウス同期のメンバーと、自分の資質
──これまでの、松尾さんの経歴を教えてください。 松尾 マッドハウスに、制作進行として入社しました。最初の作品は「十兵衛ちゃん -ラブリー眼帯の秘密-」(1999年)で、同期の荒木哲郎と2人で、現場を回していました。
当時のマッドハウスは、今後どんどんテレビアニメを手がけていこうという時期で、制作進行が15人も入社して、席がひとつしかありませんでした。その頃は仕事が少なかったので、仕事のとりあい。それでも時間があまるから、しまいには背景原図の作り方など、覚えた仕事をお互いに情報共有しあってました。あと、社内で雑誌をつくって、絵コンテ・バトルなんて企画をやったりして……とても仲がよかったんですね。
後に監督になる中村亮介や平尾隆之、スタジオ地図の齋藤優一郎なども同期ですが、当時のメンバーは、まだよくアニメ業界に残っています。今にして思うと、「自分のやりたいことを貫こう」という意識が、みんな強かったような気がします。また、当時のマッドハウスはおおらかで、普段からりんたろうさん、川尻善昭さん、浅香守生さん、杉井ギサブローさんや今敏さんなど、実力派の監督たちと接する機会もありましたし、環境に育てられた部分はあるかもしれません。
──松尾さんは演出ではなくてプロデュースの道を選んだわけですね? 松尾 はい。当時、荒木哲郎くんとよく話していたんですが、彼は、その頃から「作品をつくらない俺に生きる価値はない」「中学生だった俺に向けて作品をつくりたい」と語っていました。ここまで演出に入れ込んでいる情熱的な男がいるんだったら、僕が演出をする必要はないだろうと思ったし、どちらかというと僕は、人を集めることに興味がありました。それで、プロデューサーとしての道を歩きはじめたんです。
──初プロデュース作品は何だったのですか? 松尾 前述の荒木哲郎くんが初監督した「おとぎ銃士 赤ずきん」(2005年)というOVAです。その次が片渕監督の「BLACK LAGOON」(2006年)で、荒木くんにも絵コンテ・演出で参加してもらいました。プロデューサーになる前から、僕は「このシーンには、この人が合うんじゃないかな」と、演出家や作画さんの個性を考えて、スタッフを配置するのが楽しみでした。適材適所に人を配置して、うまく当たるのが面白い。その楽しみがあるから、今でもプロデューサーをやれている気がします。
──その次は「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年)ですか? 松尾 「BLACK LAGOON」の第2期(「BLACK LAGOON The Second Barrage」 2006年)が終わる前から、「マイマイ新子~」をやることは決まっていました。確か「BLACK LAGOON」の打ち上げの翌日が、「マイマイ新子~」の初打ち合わせ。きっかり2年でつくりました。大変ではあったけど、いま考えると順調な仕事でしたね(笑)
──「マイマイ新子~」のあと、マッドハウスを離れたようですが? 松尾 今だから普通に話せますけど、実は「マイマイ新子~」が完成したころ、精神的にまいっていました。他にも仕事を並走させていたのですが、それがうまくいかなかったこともあり、マッドハウスを辞めて、半年ほど休んでいたんです。そんなとき、マッドハウス入社時に同期だった平尾隆之くんが、声をかけてくれました。