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クラウドファンディングで獲得した「信用」
――「この世界の片隅に」の企画は、いつスタートしたのですか?
片渕 2010年の夏ぐらいに、僕が「アニメ化したい」と丸山正雄さん(MAPPA代表)に企画を出したんです。その年の秋に、山口県防府市で「マイマイ新子と千年の魔法」の野外上映をやりまして、全国から千人ぐらいのお客さんが集まってくれました。そのときに丸山さんが、「この人たちに次の作品を提供するのが、我々の使命だ」「テレビではなく、映画でやるしかない」とおっしゃったんです。その翌年、やはり防府市で「マイマイ新子」の野外上映がありました。そのときのゲストが、こうの史代さん(笑)。つまり、2011年には、こうのさんにアニメ化の話はしてあって、「この世界の片隅に」も野外上映できるといいですね……という会話を交わした覚えがあります。
――その後、アニメ作品のプロデュースを手がけるジェンコの真木太郎さんが参加しますよね。真木さんは、どういうキッカケで参加したんですか?
片渕 出資先を探しているとき、真木さんが調整役として入ってくれたんです。だけど、そこまで来るのに、三転四転ぐらいはしましたね。
――一貫して、テレビではなく映画企画として続けてきたんですよね?
片渕 もちろん、「マイマイ新子」のお客さんに届けたい気持ちが、最初にありましたから。「マイマイ新子」は、お客さん1人あたりの熱量は確実に高い。問題は、お客さんの絶対数を見積もれないことなんです。「濃いマニアが少数いるだけ」に見えてしまうと、出資者を説得することが難しい。いくつかの会社が「この企画はウチでやりたい」と言ってはくれていたんです。しかし、「この企画は本当に、たくさんのお客さんに向けた仕事になるんだろうか?」という疑問符を、常に誰かが点灯させていました。
……というのは、「マイマイ新子」以前から、「少数のファンに熱狂的に支えられる」傾向の作品はあって、たとえば「ユンカース・カム・ヒア」(1995年)。すでにネームバリューのある佐藤順一監督の作品なのに、なぜか「ユンカース~」だけは客足が鈍い。そこで、ファンの人たちが下高井戸シネマで上映会を繰り返して、盛り上げたわけです。「作品自体の質やテイストに対して客足が伸びず、ファン側が応援したくなる」タイプのアニメ映画がある。そういうタイプの作品も他のアニメも、区別なく見てくれる人もいるけれど、好きなアニメだけを脇目もふらず見ている人たちが多い。ひょっとすると、我々の作品は彼らにとって「脇」の存在になってしまっていないか……と、懸念するんです。
――そのスパイラルから抜け出すことが、大きな課題ですね。
片渕 スパイラルから抜け出すには、ちゃんと実写映画を見ている人たちに訴求するのが有効なのかも知れません。だけど実写を見ている人たちは、「アニメを見るのはオタクか、子ども」と思っている。ひょっとすると、アニメファンと実写ファンの両方から、食わず嫌いされているんじゃないか……と、問題意識を持っています。
――だけど、クラウドファンディングは2000万円目標で始めて、82日間で3622万円も集まりましたよね?
片渕 そう、「異例のスピード」と言われるほど、加速度があったんです。「この期間でこれだけ集まるなら、仕事として成立しますね」と、トントン拍子に話が進んで、制作をスタートできました。「本当に、この企画にお客さんは存在するのだろうか?」という疑問符と何年間か戦い続けてきましたが、クラウドファンディングの結果が、周囲への信用につながりました。それまで徒手空拳で進んできたけれど、決して1人ではないと証明できたわけです。
もうひとつ、クラウドファンディングの期間中に「この世界の片隅に」の単行本が、だいぶ売れたんです。だから、原作への応援としても機能してくれて、誰よりも、こうの史代さんが「この作品は、こんなにたくさんの方々から支持されてたのだなあ」と、笑顔になってくれた。それが、とてもうれしかったですね。