初めてのデザインはゲームキャラ
─デザイナー転向のご経緯についてお聞かせください。
常木 たくらんけには以前から「デザインをやりたいと伝えていました。いったん、原画もやらせてもらったのですが、正直あまりうまくなく、演出さんから「次から使わないでくれ」と言われて、すごく落ち込みましたね。
その後、たくらんけに入ってきたスーパーファミコンのゲームの仕事を回してもらいました。ドット絵はグラフィッカーさんが描くのですが、僕はドット絵の元絵となる線画を描きました。最初はSDキャラが野球やお祭りをする作品だったと思います。もともとのデザイナーさんは表側しか絵を作ってなかったので、裏側のデザインや三面図を描いていました。その流れで、「スーパーロボット大戦」などの仕事も紹介してもらえるようになりました。
─それ以降はデザイナーのお仕事のみをされていたのですか?
常木 いえ、しょっちゅうゲームの仕事があるわけではないので、しばらくはジブリ作品の動画などを描いていました。当時はジブリアニメ全盛期で、劇場作品は動画の単価がすごくよかったんですよ。しかも普通、動画って、人がちっちゃく映っても、アップになっても、いっぱい映っても、1枚の単価は変わらないんですが、ジブリさんは人が多いと単価が2倍、3倍になるので、とても助かりました。
でも、そのうちそれも頭打ちになり、「もう業界やめようかな」という気持ちになってしまい、近藤社長に相談に行きました。社長は僕を引き止めてくれて、今まで描いたものをサンライズの各スタジオに配ってくださったりして、嬉しかったですね。
同じころ、メカニックデザイナーの石垣純哉さんが、たくらんけに遊びにいらしていて、少しずつ話をするようになりました。そして、その流れで「機動武闘伝Gガンダム」(1994~95)のマンダラガンダム等の版権絵の影付けや、「DTエイトロン」(1998)のお手伝いをさせてもらいました。
同じように夢民やたくらんけに顔を出されていた田野雅祥さんからは「小さな巨人ミクロマン」(1999)をご紹介いただきました。当時ぴえろさんはメカものアニメをやったことがなく、僕は子供のころにミクロマンのおもちゃを買ってもらっていてよく知っていたので、お話をいただけたのだと思います。はっきり1本やったという意味では、「ミクロマン」が最初になりますね。
「ミクロマン」でオリジナルデザインも
─「ミクロマン」は敵味方問わず、メカの登場が多い作品ですよね。
常木 とにかくおもちゃが多かったですね。おもちゃメーカーさんからデザインはできあがっていたので、おもちゃや画像を見ながらアニメ用の設定ラフを描きました。当時はまだ3DCGがなかったので、手描きでも描けるように、できる限り省略しました。
─オリジナルデザインはございますか?
常木 アクロ兵は僕のオリジナルです。「おもちゃは出ないので、好きにしていいですよ」ということだったので、描かせてもらいました。アクロ兵は後々バージョンアップしてアクロ兵2になるのですが、肩が開いてミサイルが出たり、刺が回転して相手に攻撃するといった設定を作ったら、そのまま使っていただけたので嬉しかったですね。
─「ミクロマン」以降はアニメのデザインを中心に?
常木 「ミクロマン」が終了して数か月間は、アニメのデザインをしていません。あまりに仕事がなかったので、近藤さんに知り合いの会社に連れて行ってもらい、そこで岡本英郎さんをご紹介いただきました。岡本さんは「機動戦士Zガンダム」(1985)のバーザムをデザインされたことで有名な方です。
岡本さんとは、月刊AXのボイスアニメCD「スーパーロボット捕物帖 銀河御承知ガッテンダー」でお手伝いをさせていただき、その時初めてデザインのテクニック的な指導を受けました。
─「PSYCHO-PASS サイコパス」第11話では「義体作画監督」とクレジットされていますが、具体的にはどのようなお仕事をされたのでしょうか?
常木 作監といっても僕は原画をちゃんと描けないので、L/O(レイアウト)時作監です。最近はL/Oと言いつつも、一原として原画さんがラフを描かれています。「PSYCHO-PASS サイコパス」の場合は、泉宮寺の大雑把な形を原画さんが描かれていたので、その中のサイボーグ的な構造を僕が描きました。
─泉宮寺の散弾銃も常木さんがデザインを?
常木 僕は描いてないですね。最近は数も線も多いのが当たり前になってきているので、デザイナー1人では間に合わない作品がほとんどなんですよ。昔から「線を減らせ」と言われ続けてきましたが、最近は「線を増やしていいですよ」と言われるようになり、逆にどうしようと悩むようになりました(笑)。
─「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」(2002~03)では車両関係のデザインを担当されたそうですが、本作にはさまざまな車が登場しますね。
常木 神山健治監督が車好きというのと、会話の多い作品だったので、場面転換のひとつとして車を使われたんじゃないでしょうか。素子のアルファロメオやバトーのストラトスも、監督から指定がありました。
─本シリーズでお気に入りのデザインは?
常木 「2nd GIG」(2004~05)で登場した盲目の少女テレジアの車椅子と、タチコマが乗って動かしていた潜水艦ですね。大きなものは基本的に寺岡賢司さんがやられていたのですが、初めて僕がやった大きなデザインがあの潜水艦なんですよ。あと、「Solid State Society」(2006)の時は、素子の装備を全部やらせてもらったので、嬉しかったです。
─「機動戦士ガンダムUC」(2010~14)に参加された際、ジュノー級潜水艦「ボーンフィッシュ」をデザインされたそうですね。ほかにも描かれたものはございますか?
常木 バナージがパラオから脱出する時に使ったジェット・パック、マリーダを乗せるベッドと彼女を拘束する椅子、宇宙世紀憲章の石版を置く台とかです。
4話でザクスナイパーに上から撃たれて破壊される車両があるのですが、これはワンカットだけなのでワンパースでラフしか描いてないですね。名前も付いてないし、多分どの資料を見ても載ってないと思います。
─先ほど「デザイナー1人では間に合わない」というお話がございましたが、「ブレイブウィッチーズ」(2017)はお1人で銃器・メカデザインをされています。
常木 それは他作品に比べて、設定の数が多くなかったからですね。空母や大砲は3Dさんが直接作っておられますし。
KV-2の内部は本当は中央に大穴が空いているのですが、たき火をするのが決まっていたので、現場の判断で真っ平にしています。列車砲は3Dさんが作られたのですが、列車砲の魔導徹甲弾は僕が描きました。外観は元々あるので、中身の図面や壊れた時にどうなっているのかも考えましたね。
ストライカーユニットはシリーズものなので、基本的な設定自体はすでにありました。僕はパースを描き直したりして、アニメ用の設定にしただけです。カラーリングも原作者の島田フミカネ先生からいただいていました。高村和宏監督から「軽トラに積んで運べるようにしたい」というお話がありましたので、「ストライカーユニットを履く機械」は僕のほうでデザインをしました。