※本コンテンツはアキバ総研が制作した独自コンテンツです。また本コンテンツでは掲載するECサイト等から購入実績などに基づいて手数料をいただくことがあります。
模型に別れをつげた「闇の世界」から「復帰の世界」へ
── 話は変わりますが、本職はソフトウェアエンジニアなんですよね? 荒川 はい。本職のほうでは、今はプログラムを組んでいません。模型のほうでは、電飾制御用のマイコンプログラムは作っていますが。
── 画像編集ソフトであるPhotoshopのプラグインを個人的に開発していた……と、聞きましたが? 荒川 それは、本職とは関係ないです。ちょっとAdobeと付き合いがあって、プラグインの開発キットをもらって、自由に作って配布してもいいという話でした。当時はホームページが流行っていて、ホームページ用のボタンを自由にカスタマイズできるDekoBokoというプラグインと、7つほどのシリーズを作りました。メールウェアで配布したところ、日本・海外で広く使われるようになり、「製品化しないか」と声がかかって、アメリカで“Best Photoshop Plugins of the year”という賞もいただきました。……模型とは、まったく関係ない話ですね(笑)。
── その頃、模型の方はどうしていたんですか? 荒川 まったく、模型は作っていませんでした。私の模型史は「闇の世界」篇と「復帰の世界」篇とに別れていて、その狭間に、さっきの「Photoshopの世界」の話が入るんですが。
大学生だった20歳のときに「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」が公開され、「帝国の逆襲」に出てくる、AT-ST……当時はチキン・ウォーカーと呼んでいましたが、「この二足歩行メカは、もう絶対に作りたい!」と思って。洋書店で手に入れた「帝国の逆襲」のブルーブックというデザインスケッチ集の中に、AT-STのコンセプトデザインが何種類も載っていたんです。当時は大学の機械工学科に通っていたので、1/72スケールで図面を引いて、フルスクラッチで模型を作りました。完成したAT-STを、あるコンテストに出品したら、最優秀賞をもらったんです。お店にも展示してもらっていましたが、ちょっと色々あって模型はもういいかなと。その後、作るのはすっかりやめて、模型的には闇の時代でしたね。
社会人になって、仕事でいろいろプログラムを書くようになりました。Photoshopと出会い、ちょうどプログラムに凝りはじめた時期でしたので、先ほどのPhotoshopのプラグインを開発したんです。デザイン業界につながりが出来たし、Adobeとの付き合いも出来たし……そのあたりが落ち着いてきた頃、1999年に「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」が公開されました。「エピソード1」のコンセプトブックを買ったら、ポッドレースのエンジンを運ぶキャリアの絵があったんです。とても気に入ったので、スカルピー(粘土)やプラモデルのジャンクパーツを使い、そのコンセプトデザイン画を模型で再現しました。「せっかく作ったんだから、コンテストに出そう」と決意して、模型の世界に帰ってきました。
それが15年前ですから、今年は、ちょうど模型復帰15周年なんです。と言っても、当時は42歳のおじさんでしたから、いきなり模型雑誌に載せてくれるはずがありません。名前を売るしかないので、陸海空・キャラクター物とわず、コンテストに出しまくりました。少しずつ業界に名前が知られ、知り合いも増え、「月刊モデルアート」で初めて雑誌ライターとして、作品が掲載されるようになりました。
── ということは「スター・ウォーズ」で模型をやめて、「スター・ウォーズ」で模型に帰ってきたわけですね? 荒川 そう、だから「スター・ウォーズ」には、こだわりが深いんです。「スター・ウォーズ」で闇の世界に落ちて、Photoshopの世界へ行って……。
── だけど、Photoshopは「スター・ウォーズ」のVFXスーパーバイザーのジョン・ノール氏が開発に関わっていますよね(兄のトーマス・ノール氏と共同開発)。 荒川 実は、プラグインの関係をやっていた昔、夏休みにアメリカの展示会に行く機会があり、ジョン・ノール氏と会ったんです(笑)。今では、ジョン・ノール氏は「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」の原案から製作総指揮から、思いきり関わってるじゃないですか。その「ローグ・ワン」のジオラマを、仕事で今作っている。だから、自分の人生は、けっこう面白い気がしています。