【犬も歩けばアニメに当たる。第24回】「この世界の片隅に」は、アニメの快楽に満ちている

2016年12月03日 12:000
(C) こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

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劇場公開中の「この世界の片隅に」が話題です。2016年11月12日に全国63スクリーンの小規模公開でスタート。その後口コミで評価され、上映館がどんどん増え続けて、公式サイトの上映館情報の更新が追いついていないほどです。

昭和20年、戦争の足音が近づく広島県の呉を舞台に、18歳で結婚したすずが生きる姿を描いた作品。アニメだからこそ描けた、これまでとは一線を画す異色の「戦争もの」として、見た人を圧倒しています。

アニメ映画を見ない人を惹きつける要素でいっぱいのこの作品は、アニメを見慣れた若い層も楽しませるよさがたっぷり。この映画で初めて、こうの史代の世界に触れた筆者が、作品の魅力をご紹介します。


戦争を扱っていながら、どこか憧れを感じる世界


試写会から前評判の高かった「この世界の片隅に」は、最初から最後まで1分たりとも気をそらす隙がなかった。見終わったときには頭の中で感想が言葉でまとまらず、ただ「見てよかった」という気持ちで満たされていた。

それを感動といえば、感動なのだろう。でも、迫力ある映像と音を全身で浴びて、気持ちよく乗せられ、ふりまわされて得る、「エンターテインメントを見た!」という満足感とはまったく違う。

最後まで見れば、やはり戦争の話だった。不幸も涙もあった。それなのにどうしてなのか、今多くの人が見失ったと思われる幸福感が随所に感じられて、憧れの気持ちを強く感じた。

主人公の浦野すずは、生まれ育った広島市江波を離れ、よく知らない相手に望まれて少し離れた呉の家に嫁ぎ、北條すずとなる。いきなりよその家族の中に入って、今後はもうそこが自分の家なのだ。自由や選択肢なんてまったくない。

けれど、のんびりしたすずは、文句をいうでもなくあらがうでもなく、素直にその成り行きを受け入れる。イヤイヤそうしているのではなく、愚痴らずくさらずそういうものだときちんと受け止め、自分のできることをやっていく。その有り様が美しい。

すずだって、何も感じないわけではない。ストレスやもやもやは、心の中にたまっていく。気持ちのはけ口になるのが、子供のころから大好きな絵だ。絵は、不器用なすずの自己表現であり、自由な心の翼でもある。紙と鉛筆があれば、すずは現実の中で見つけ出した美しいもの楽しいもの表現していける。

自分で生き方を自由に選べるはずの、不平不満に満ちた現代人の私たちは、すずの自在さ、穏やかに日々を楽しむ姿に言葉を失い、うらやましいような気さえしてしまう。なんという逆転現象だろう。

時代の波の中、生きていくひとりのヒロインを見守るこの感覚は、NHKの朝ドラにも似ている。まるで実写ドラマのような実在感、空気や印象を細やかにコントロールする演出。アニメはなんて複雑なものを描きだせるのかと思う。


少女のように愛らしいすずに「萌え」


この映画の大きな魅力のひとつは、すずのキャラクターだ。

おっとりと無垢で天然に見えて、結婚しても少女のようにかわいらしい。嫉妬やねたみ、ひがみといった黒い感情をあまり見せない。ほわんとしたやわらかな笑顔が持ち味だ。

方言から伝わる素朴でひなびたイメージもいい。飾らない素直な人柄をよくあらわしている。演じているのんの演技は本当に素晴らしい。

実のところこれらは、見る者に「萌え」を感じさせる。映画を見ている間、前半はずっと、「すずさんかわいい、かわいい、かわいいなあ」と思いながら見ていた。

そしてまた、映画が「日常系アニメ」のように、すずのしぐさや表情を丹念に細やかに描くのだ。実際に見たことのない昭和20年の生活が、自分の体験のように懐かしく魅力的に感じるほどだ。

昨今巷にあふれる「日常系アニメ」は、部活動や学園生活、食といった、生活空間のごくごく当たり前のことをていねいに描写して、そのよろこび、幸せ、そこにある笑顔に光を当てる。そして、大きな事件が起こらなくても、心に立ったさざ波を物語としてすくいとり、それだけで作品を成立させる。

この映画の前半で描かれたすずさんの生活は、まさに「日常系」のアニメと地続きだ。

ごく普通の日常によろこびがある。細やかな作業の1つひとつに意味がある。見慣れた顔が揃い、ともに時間を過ごすことこそが幸せ。珠玉の時間がそこにある。

そういう意味でこの作品は、日常系に惹かれるアニメファンを十分に引きつけるはずだ。


性格イケメン・周平は、理想的な夫


すずの夫となる周平がまた、実にイケメンだ。いわゆるアイドル風二枚目のイケメンではないが、彼が性格イケメンなのはまちがいないだろう。

まず、すずは知らないけれど周平は、ずっと昔にすずと会ったことがあり、望んですずを妻にめとった。「初めて会ったと思っていた相手は、実はずっと長く思われていた運命的な相手だった」というパターンだ。

そして、ぼーっとして見えるけれど内面が豊かなすずのよさを、周平はよく理解しており、紙や鉛筆といった画材を、すずのために用意してくれるやさしさがある。そして、すずと結婚できたことが幸せだと言葉にしてくれる。家庭の中でも周平はすずの一番の味方だ。

周平が特に美形だという描写はないけれど、こういう人柄なら、そりゃあモテるだろうと思う。映画ではハッキリ描かれていないが、実は……という設定が、原作にはある。パンフレットを読んでびっくりした。

周平にも困ったところはある。妻を愛するからこそ、すずの幼なじみにヤキモチを焼くのはご愛嬌だ。当人たちは真剣な夫婦喧嘩に思わず頬がゆるむ。


戦争は日常にしのびより、蝕み、破壊する


穏やかに幸せな生活のいっぽうで、戦争の陰は日に日に色濃くなる。配給の物資は不足し、空襲警報の発令はしだいに頻繁になって、毎夜の避難に北條家の人々も疲れてくる。

それでも物語のタッチは変わらない。非常事態も、あくまで日常の一部として語られる。

見る人が中学生以上であれば、空爆とはどういうものか、最悪どうなるか、そしてやがて広島で何が起きるかを知っているだろう。今までどおり、家族を守ってしっかり生きようとするすずたちの姿がけなげな分だけ、不安と恐れがふくらむ。

この日常が壊れませんように。この家族が、このまま笑っていられますように。主人公に感情移入すれば、自然にそのような気持ちがわいてくる。

だが、それを無残にうちひしぐのが戦争だ。

すずと北條家にも悲劇が起こる。失ったものは戻らない。前向きな気持ちや生き方だけでは立ち向かえない絶望のかたちを、私たちは目の当たりにする。


日常と戦争。遠く見えて隣り合わせの恐ろしさ


この、穏やかな日常から戦争による欠落に至る落差の大きさは、きわめて今のアニメ的といえるかもしれない。

今のアニメやコミック、ゲームでは、愛らしい少女が無残に殺され、人が異形の存在に食われるような残酷な作品が、とても多い。衝撃がエンターテインメントとして求められている。そのいっぽうで、決して壊れない幸せのかたちとしての「日常もの」も増えてきている。

「この世界の片隅で」は、その両極端の世界をつないで見せた作品なのではないだろうか。空想的な異世界ではなく、きわめて現実的な、昭和20年の呉という街を舞台にして。そこで私たちは、あたかも「日常もの」の住人のように幸せだった主人公が、傷つき、苦しみ、変わっていく姿を目にする。

結果論だろうけれど、そういう意味でこの作品は、いろんな作品を見慣れたアニメファンを引きつける、魅力のある戦争ものになっている。

世界は酷く悲しく、美しくて価値がある。涙が目に浮かぶ。見終わったあと心が浄化されているのを感じる。

現実が忙しくて疲れているときに、好きこのんで重い作品を見ようとはなかなか思えないが、この作品は平日の夜、あるいは休みがとれた土日に、「見てよかった」と思える作品だ。


後から気づく新たな発見。何度も見たくなる


おそらく原作の持ち味と思われる、抑制がきいた豊かで穏やかな日常描写の中に、イデオロギーを感じさせない、まっすぐで地に足のついたブレない戦争への怒りがある。

この作品の魅力を語ろうとすれば言葉を重ねることになるけれど、見つめているだけで幸せになる魅力的なヒロイン、自分もそこにいたくなる美しい世界、心地よくたゆたう音楽、穏やかな日常から悲劇までのドラマの振れ幅といった要素は、アニメの快楽にほかならない。

アニメを普段見ない層にはもちろん、いつもは美少女イケメンアニメにひたっているアニメファンにも、見て損はしない作品としておすすめしたい。

一度見ただけでは、読み取れなかったことに、二度、三度と触れるうちに気づくという声が多数上がっている。上映館がどんどん広がっているので、まだの人はこれから、一度見た人ももう一回足を運んで、昭和20年の呉に生きたすずが見た世界を体験しよう。



(文/やまゆー)
(C) こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

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この世界の片隅に

この世界の片隅に

上映開始日: 2016年11月12日   制作会社: MAPPA
キャスト: のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、小山剛志、津田真澄、京田尚子、佐々木望、塩田朋子
(C) こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

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