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故郷の山口県下関市で「アニメ教室」を開催
――もうひとつ「しものせき映画祭」でも、独自に活動なさっているそうですが?
吉田 僕は山口県下関市出身でして、1年もののアニメ番組を手がけると、ものすごく疲弊しますので、終わるたびに2~3か月ほど休みをとって下関へ帰っていたんです。帰郷の間はいろいろなところを回って知り合いを作ったり、人々の暮らしを見たりしていました。普通の会社では、2~3か月休むなんて無理でしょうけど、僕の在籍していたスタジオ・ライブでは、芦田豊雄さんが「やってみたいことがあるなら、やってみればいいじゃない」と、個人の思いを尊重してくれたんです。戻ってくると「次の仕事は、これだからね」と用意してくれている。おかげで、かなり自由な時間を過ごさせてもらえました。
「しものせき映画祭」には、2006年から参加しています。最初は「スーパークマさん」を上映してトークライブをする程度でしたが、翌年、「もっと具体的に何かできないか」と考えまして、高校生ぐらいの子たちといっしょにアニメーションを作ったら面白いのではないか、と思いつきました。「子どもたちに絵を描いてもらって、それを並べるとアニメーションになる。それでアニメ作画教室をやったら面白いんじゃないですか」と、映画祭事務局長の河波茅子さんにメールしたんですけど、もともと河波さんは下関に帰郷しているときに「映画祭に参加しませんか」と、僕を拾ってくれた方なんです。なので、アニメ教室の話も「面白いね、やってみたら」と言ってくれて、その年の夏に第1回を実行することになります。
アニメーションの基本は「縮みと伸び」なんです。ボールに顔をつけて、それが弾む動きを理解できれば、アニメーションの基礎は学べます。でも、それだけでは絵を描くだけに終わってしまうので、参加する子どもたちに「商業アニメのアニメーターと同じ立場」に立ってもらいたいと考えました。教える立場の僕が「演出」をやります。参加する生徒さんが「作画監督兼原画マン」。その後の工程として撮影の人に入ってもらえれば、商業アニメの流れは押さえられるわけです。ただ、僕が絵コンテを書いてしまうと、「こういう絵を描いてください」という縛りになってしまうため、シンプルな物語にして、一行ワンカットに分け、みんなに自由に作画してもらおうと。それをぜんぶ繋げれば、1本の物語になるわけです。その方針を決めると、東京の同業者からライトボックス(アニメーターの使う作画机)を30~40台借り集めて、実家へ送って、会場まで運んで……という面倒なことを始めました(笑)。
――そのアニメ教室の期間は、何日間ぐらいなんですか?
吉田 2日間で作画してもらって、2日目の夜に僕が足りない絵を描いて、タイムシートを打って撮影、3日目の映画祭最終日に上映していました。撮影は、グラフィニカの吉岡宏夫さんの担当です。彼は、実は僕の高校の後輩なんですよ(笑)。ただ、そのときは上映開始の15分前に完パケって、友だちの車でギリギリ、会場に駆けつけるというタイトな状況でした。
――では、2年目以降は……
吉田 それではキツ過ぎますので、夏にアニメ教室を開催し、秋の「しものせき映画祭」で上映するというスケジュールに変えました。映画祭で上映されるということは、大作映画がかかっていたのと同じスクリーンに自分たちの描いたアニメーションが映されて、きちんとスタッフロールに自分の名前が出る――そういう映像体験ができるわけです。
――アニメ教室の目的は、将来、子どもたちにアニメ業界に入ってきてもらうことですか?
吉田 いえ、そこが難しいところです。最初に話したように、プロ野球などと違って「食えない業界」です。夢だけで入ってきてもらっても、将来困ってしまう。どう立ち回るかは、個人で考えてもらわないといけません。故郷を出てアニメーションで身を立てた自分の思いとしては、故郷で祭をひとつ立ち上げたい。しかも、絵を使ってイマジネーションをぶつけ合う、絵を使ったコミュニケーションの場をつくれれば面白いと、そのように確信して、アニメ教室を続けています。
――アニメ教室には、ゲスト講師も参加していると聞きましたが?
吉田 オープロダクションのなみきたかしさんと知り合う機会がありまして、最初は映画祭で「セロ弾きのゴーシュ」を上映したくて、そのお願いに行ったんです。そのとき、サラッと「キャラデの才田俊次くんも映画祭に連れてったら?」となみきさんがおっしゃるんですよ。僕は、行動してみてナンボと思っている人間なので、「それでしたら才田さんに、アニメ教室用にワンカットだけ描いていただけないでしょうか」と話してみたんです。すると、なみきさんが「あそこに、『マイマイ新子と千年の魔法』の辻繁人もいるよ!」と紹介してくださって(笑)。それで、才田さんと辻さん、さらに石野聡さんにワンカットずつお願いしまして、下関市の子どもたちと合作していただきました。今年もまた、大ベテラン・アニメーターの方に手伝っていただく予定です。
――東京では、そういうコラボレーションは考えられませんよね。
吉田 逆に、東京でやらなければならない理由がないんですよ。アニメーターの方たちも、東京でアニメ教室をやるのであれば、ここまで興味を示さなかったような気がします。地方の風通しのいい中で、協力しやすい雰囲気が醸成されてきたのでしょうね。それと、「子どもたちにアニメを教えているんです」と言うと、「えっ、子どもたちに?」と関心が高い。「誰を喜ばせたいか」について、作り手は敏感なんです。僕自身、「こんなに子どもたちはアニメが好きなんだ……」という実感が得られて、とても心強い。
――それは熱心に絵を描いてくれるからですか?
吉田 それもありますし、「どんなアニメが好きか」という話もします。彼ら・彼女らの感想は肉体から発している、実体のともなったものですからね。
それと、アニメ教室は参加者が集まりづらいので、僕が市内の中学校・高校を直接回って話をしているんです。これが結構、面白いんですよ。普段会わない大人たちとアニメの話ができますし、大人に本気で怒られて帰ってくることもあります(笑)。
――今後しばらくは、「夢水」と「しものせき映画祭」アニメ教室の2本立てですか?
吉田 「アニメ教室」のほうは、毎年やることが決まっているし、今年は有能な講師陣にも恵まれそうなので、心配はありません。「夢水」のほうは、下関から東京に出てきている異業種の方がいるので、そういう人に話をしてみようかと思っています。「ちっちゃい船を作りましたので、乗員募集中」という感じです。いろんな人と話をすることで、本当に自分のやりたいことに近づけるんじゃないか……と思っています。
(取材・文/廣田恵介)