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大人向け玩具“超合金魂”のトライアル
──しかし、後に野中さんは「超合金魂」ブランドを立ち上げて、ブレイクしますよね? それまでの道のりは、どうだったんですか?
野中 上司に「機動刑事ジバン」(1989年)を担当するように言われて、それが転機でした。実写特撮番組の場合、作品とオモチャの関係が密接なので、周囲に配る資料もバラバラではいけない……など、「闘将!! 拉麺男」のときの失敗が生かされて、一気に成長した感じがします。ですから、同時期に担当していた「ガンダムクロス」と「ジバン」。商品も売れましたし、この2つによって、やっと一人前になれた気がします。
「ジバン」の後番組の「特警ウインスペクター」(1990年)は、「あくまで主人公は警察官でありレスキュー隊員で、悪の怪人を倒すのが目的ではない」。非常に挑戦的な内容でした。ですので、周囲から「本当に大丈夫なのか?」と心配されましたが、番組担当者は、その新しさに賭けているわけですよ。結果、作品も当たって商品も売れ、社内の賞までもらって、チャレンジが報われました。当時、まだ23~24歳でしたけど、どんどん自分のやりたいモードへ入り、思ったとおりに物事が進みはじめました。
はじめて担当したスーパー戦隊シリーズである「恐竜戦隊ジュウレンジャー」(1992年)は、6人目の戦士の登場などで大ヒットし、開発担当者としての自信を確立することができました。
それ以降、後輩の面倒も見ながら、アニメ作品や東映の特撮ヒーローも手がけつつ、「超合金魂」のような大人向け玩具も“やってみる”ようになりました。“やってみる”というのは、誰も売れるとは信じていなかったからです。だけど、「超合金魂のような試みも、やってみていいでしょう?」と言えるぐらいの、部内での発言権というか影響力は得られていたので、説得できたんです。プロモーションも自分でやったし、新聞やテレビ、雑誌などのメディアに露出して、だんだん前評判が高まっていき、発売された「超合金魂 マジンガーZ」(1997年)は即座に売り切れて、すぐリピート生産がかかりました。
──それまでは、子ども向けだったキャラクター玩具を、大人向けにリメイクするような試みはなかったのではありませんか?
野中 それまでもトイ・コレクターという、子ども向けオモチャを集める大人のお客さんはいましたし、メーカーも彼らの存在を認識してはいたんです。80年代には、ガレージキット的な怪獣モデル“リアルホビー”がありましたし、ソフトビニール怪獣の精度もあがって、「子ども向けだけど、大人のお客さんもどうぞ」という体裁の商品はありました。だけど、いずれの商品も、対象年齢は3才以上。超合金魂の新しいところは、対象年齢を15歳以上にしたことでしょうね。それが、現在のハイクオリティ・フィギュアを作るベースになっています。
超合金魂は、最初はまさに、暗中模索の中で開発した商品でした。2作目か3作目で充実感が出てきましたけど、第一弾のマジンガーZでは、自分の欲しかったアイテムを、同世代のお客さんと共有できた。そのよろこびは、子ども向け玩具では味わえない感触でした。だけど、その間も特撮ヒーロー番組のオモチャを手がけていたので、大人向け玩具は、僕にとってはあくまで“副業”でしたね。
今では、バンダイの中にもオトナ向け玩具専門事業部が出来ていますから、時代も変わったとつくづく思います。深夜アニメの隆盛などもあり、オトナ向け商材は、キャラクターマーチャンダイジングを考えるときに、欠かせないファクターになりましたね。