-----予告編でタカオは「15の俺は、ただのガキ」というどう見られているかの視点の台詞なんですけれど、ユキノは「15歳の頃の私よりも、少しも賢くない」という振り返りの視点であり、そこからお互いの関係にズレがあると感じました。
新海監督:そうですね。自分が思っているように相手が自分の事を思ってくれないというのは、特に10代にはキツイことで、自分が必死に相手を求めているのに、相手はそれと同じ熱量を自分に向けてくれないというのは切ないことだけれど、日常的に起こっていることなんですよね。
人と人との「常に完璧に対称にはならない」関係性というのは、ちょっとしたズレから最終的にはそれが崩れていってしまうこともあって、そういう関係をずっと描いてきているんです。だからと言って簡単には絶望にはつなげてしまわないで、その先を踏み出して生きていくという選択を取る人物達を描き続けてきたつもりです。
今回の作品は、より明確にそういう構造を際立たせて、観客に今言ったことが伝わるようにということを考えて「対称的な台詞」を言わせたりしています。
-----タカオが靴職人を目指した理由。
新海監督:何かを目指す男の子にしたかったんです。劇中の台詞で、「靴を作ることだけが俺を違う場所に連れていってくれるはずだ」みたいな台詞があるんですけども、ユキノに対する憧れも靴に対する憧れも少年にとってはほとんど等しいものだと思うんですよ。
成長の真っ只中で、どこにも行きついていない過程にいますから、とにかく彼は、何か未知のものに必死に手を伸ばしているんですね。それを分かりやすく示すために「何かになりたいと思っている人」にしたかったんです。
ありきたりなものになってしまっては、独特の魅力には繋がりにくいですから、他で描かれていない題材にしたいなと靴職人を思いつきました。えっそんな職業あるの?と思うかもしれないですけれど、靴職人は東京にも沢山いる訳です。
あともう1つは、物語としては、「(人生に)歩き疲れてしまった大人が、年下の子に歩くのを助けてもらい歩きはじめる話」でもあるので、そういう意味から言ってもピッタリかなと思っています。
-----タカオは15歳っぽくないですよね。
新海監督:タカオは、あの作品の中ではもっともフィクショナルな人物で、なかなか居そうにない15歳だと思います。こういう15歳が皆無だとは思いませんが、あの年齢でハッキリと目的を定めて自覚的にやっている子はあまりいないでしょうから、15歳という子供でもないけれど、大人未満の存在のピュアさみたいな塊がタカオですよね。
一方で、社会的ないろいろを引きずってしまっているユキノというのは、僕たちの実際の人生に近い存在で、その2人が出会って関係がどういう風に絡まっていくんだろうというのが見どころの1つでもありますね。
タカオのようなピュアな存在に照らし出されることで、彼女が持っている問題が変化していくという物語です。
-----制作される上で苦労なさった点がありましたらお願いします。
新海監督:一番辛かったのは、コンテ。ビデオコンテの制作なんですけど、すべての台詞とすべてのカット、すべての構成を固めるまでが基本的に一人きりの作業ですので、それが大変でした。
それがすべての設計図で、その先いくら絵作りを頑張ったとしても覆せないものがそこにありますから、お話してきた27歳の女性のリアリティみたいなものを15歳の少年のある種のピュアさによってどう変化していくか、どういう演出で説得力を持たせて物語るかは、ひたすら考えました。
-----完成までの流れは、監督からはどのように見えているのでしょうか。
新海監督:最初に作り上げた達成感なり、いいものになると感じることができたのはビデオコンテが終わった瞬間でした。音楽もSEも声も仮で、自分やスタッフが喋ったものを入れていますから、本番と同じ46分の映像ができています。その時点でいいものができたかな?とは思うんですけど、そこからは、自分が描き上げたイメージが徐々に変わっていきます。
今回、絵作りの期間は半年ぐらいだったんですけど、自分が頭の中でイメージしていたものより、他の人の力を借りることで良くなっていったり、別のとらえ方があったり、自分の中の作品のイメージがどんどん移り変わっていきました。
その後のアフレコで声が入ると、このキャラクターは、本当はこういう人だったんだっていうのが、そこでまた一回刷新されるんですよね。
そして、完成という感じです。
今は、凄くいいものができたと今の時点だと僕は思っていますが、公開されるとまた変わるんですよ。皆さんのジャッジに晒されるわけですよね。作り上げた瞬間は達成感があるんですけど、でも公開されると思ってもみなかったことをいっぱい言われるんです。
褒めていただけることもあれば罵倒されることもあり、初日から一週間ぐらいキツイんですが、それがないと作品が完成したことにはならないと思います。色んな意見に晒され、数ヶ月もしくは1年2年があって、ようやくあの作品はこういう作品だったんだなっていうのが染み込んできて分かるという感じです。毎回そこまで来るのに時間がかかりますね。。。