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二次元の世界とリアルな社会とを、往復する必要がある
── 「トキノ交差」は、現在の渋谷と過去の渋谷とが堆積層のようにカットバックしますが、なぜそのような構成にしたのでしょうか? 四宮 作品を「自分の土俵に持ってくる」という意味が大きいです。社会の現状と自分がどう噛み合っていくのか。そのコミュニケーションの往復が、アート作品を生む土壌になります。アート作品のコンセプトを商業アニメのルックスの中に、どういう形で落とし込むべきか。渋谷という場所の性格もありますし、完全に空想の世界よりは、どこかに実社会の世相が入り込んでいるアニメのほうが僕には向いていると思いました。リアルな社会と二次元の世界とを往復できる装置が、どこかに必要なんです。その装置を見せないで表現できる作品も、もちろんあるでしょう。だけど、1分間という制約の中でメッセージ性を入れるなら、今の構成がよいと判断しました。
震災や戦争の映像は、かなり早い段階から入れようと決めていました。良い悪いを越えた次元から俯瞰して、人間の功罪や生命力を表現したいという気持ちがあったからです。
── しかし、せっかく二次元だった女の子が実写のモデルになって、アニメファンは複雑な気持ちになるかも知れませんね。 四宮 どこかで、ハッと現実に返る瞬間が欲しかったんです。「戦場でワルツを」というアニメ映画がありましたよね。アニメの表現構造をメタ化したがゆえの、冷や水をかけられたようなある種の驚きと感動がありました。「ロジャー・ラビット」のように手描きのアニメを何とかして実写映画にねじ込む力技にも感動します。アニメーションって現実と表裏一体であって、“現実を出さないことによって現実を思い起こさせる表現”ですよね。だけど、あえてその構造をネタばらし的に使おうと考えました。完全に商業アニメのルックスのみで勝負しても、それは自分の強みにはならないような気がして。そこで、緑のパーカーを着た女の子を橋渡し的に存在させて、二次元と現実とを行き来させてみたんです。
── すると、アニメを見ていたつもりが生身の女の子が出てくる違和感は、あらかじめ狙っていたわけですね? 四宮 最初は、顔すら出さないつもりでした。「あれ? 実写だよね」と思わせる程度。だけど、出演がやねさんに決まって、彼女のルックスを見てしまうと、顔を映さずにいられなくなった(笑)。そういう意図のズレはありましたけど、作品が華やいだものになったのでよかったです。
── 四宮監督としては、どういう人たちに向けて作品をつくっていきたいですか? 四宮 アートはハイカルチャーで富裕層狙い、パーソナルな個人に向けて発信します。それに対してアニメーション作品は、広くマスに訴えるものです。その両方を行ったり来たりすることが可能かどうか、試したい。アートと商業の往復の中にいる、たゆたっている層がいるはずなんです。商業アニメ風の絵に拒否反応がある人もまだ大勢いますし、その浮遊層というか、振れ幅をどれだけ豊かにできるか。それは日本画と商業アニメ、両方の世界を知る自分にしかできないチャレンジだと思います。
(取材・文/廣田恵介)
(C)トキノ交差