命の歌を歌いぬいてきた男――宮内タカユキ、歌手人生40周年記念CD「ぶっちぎりBOX」発売記念インタビュー!

2018年08月15日 18:120
命の歌を歌いぬいてきた男――宮内タカユキ、歌手人生40周年記念CD「ぶっちぎりBOX」発売記念インタビュー!

「超電子バイオマン」(1984)での鮮烈なヒーローソングデビューで、私たちの心をつかんだ歌手・宮内タカユキさん。
澄みわたるような爽やかさと、どこか影のある憂いとをあわせ持ったその歌声で、私たちに、正義とは、悪とは何かをひたすら問い続けてきた孤高の男が、今年、歌手生活40周年を迎える。
2018年8月8日には、これまでの特撮&アニメソングの歩みを集大成した5枚組CD-BOX『歌手人生40周年記念 宮内タカユキ「ぶっちぎりBOX」』も発売された。今回はそれを記念し、ヒーローソングの担い手になる以前から現在に至る、宮内タカユキ40年間の全貌を明らかにすべく、ロングインタビューに臨んだ。

原点となったヒーロー

──宮内さんにとっての、アニメや特撮を含むテレビ体験の原点とは、どのような番組だったのでしょうか?

 

宮内タカユキ(以下、宮内) 「まぼろし探偵」(1957)や「少年ジェット」(1959)は夢中になって観ていました。「月光仮面」(1958)は兄が好きでよく観ていたのを覚えてますよ。アニメだとやはり「鉄腕アトム」(1963)、「鉄人28号」(1963)ですね。「まぼろし探偵」といえば、仮面をつけて扮装をしてる4歳の頃の写真が残ってるんですよ。ライブのポスターに使ったこともありますし、僕にとってのヒーローの原点かもしれませんね。

 

──音楽を好きになるきっかけというのは、いつ頃、どのようなものだったのでしょう?

 

宮内 5つ上の兄貴が買ってたレコードを一緒によく聴いていました。ただし趣味は僕と正反対で、映画「網走番外地」の主題歌とか、任侠映画の歌をずいぶん聴かされましたけど。僕のほうはといえば、音楽に興味の出てくる小学校5~6年頃が、ちょうどグループサウンズ(GS)ブームの絶頂期だったんです。それからベンチャーズですね。特にドラムの演奏が好きで、熱中して聴いてましたよ。ウチは酒屋だったんですが、いつも自分の部屋にマンガ雑誌を並べて、教則本を見ながらドラムに見たててバンバン叩いてました。そうしたらある日、父親が僕を隣町まで連れていくんです。「配達か何かかな?」と思ったら、楽器屋さんに入ってドラムセットを指さして、「どれが欲しいんだ?」って。その場で買ってくれたんです。部屋の畳がえぐれてきちゃうくらい、ドラムのまねごとに夢中だったもんで、かわいそうに思ったのか、よほどうるさかったのかはわからないですけど(笑)。

 

──では、音楽活動の始まりは、ボーカルではなくドラムだったんですね。

 

宮内 そうなんです。ギターとベースのできる友達を集めて、中学1年で初めてバンドを組みました。曲目はベンチャーズが多かったけど、日本のGSバンドもずいぶんやりましたよ。ザ・テンプターズやザ・ワイルドワンズとかね。歌う人がいなかったので、ドラムを叩きながら歌い始めたのが、僕にとっての「歌」の始まりですね。ところがバンドを組んでしばらく経って演奏が上達してくると、ドラムを叩きながら歌うことに限界を感じ始めたんですよ。凝った曲をやるようになればなるほど、演奏に集中できなくなってしまうので。そこでだんだんと歌に専念するようになっていきます。その頃には、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)とか、グランド・ファンク・レイルロードなんかを演奏するようになっていました。グランド・ファンク・レイルロードは、後楽園球場での来日公演も観に行ってますよ。

 

──1971年7月の、嵐の後楽園球場ライヴといわれている、あの伝説の公演ですね。

 

宮内 そうです。その頃住んでいた茨城県の土浦から友人とナナハンのバイクに乗って後楽園まで行って。すごい暴風雨と雷だったのと、球場にリムジンが入ってきてステージに横付けして、車からメンバ―が直接ステージに上がっていったのが、なにより印象的でした。ドラムセットにも水が溜まっていて、叩くとバシャーっと水しぶきが上がるんです。それがカッコよくて。とにかく感動的で、幸せな1日でした。

 

──プロのミュージシャンを志すようになったのは、いつ頃だったのでしょう。

 

宮内 高校1年頃ですね。自分たちのバンドの実力に納得できなくなってきて、もっと上に行きたいと思うようになりました。ひとつ上の先輩のバンドがすごくうまくて、ウチにはいないキーボード奏者もいたんですよ。だんだんとそっちのバンドに混ざるようになっていきました。そのバンドでは、ドゥービー・ブラザーズなんかを演奏していました。この頃は完全に洋楽志向でしたね。

でも、高校卒業後は親を安心させたくて、一度イトーヨーカドーに就職したんです。メンズ服の売り場に行きたかったのに、どういうわけかベビー服売り場に配属されて(笑)。仕事にも慣れて上司にもかわいがってもらってたんだけど、やっぱりどうしても「このままでいいのかな?」という思いが捨てきれなくて、結局3か月くらいで辞めて、東京に出る決心をしました。

 



プロのボーカリストをめざして

──東京に出てきてからは、どのような活動をされていたんですか。

 

宮内 高校のときの、例の先輩バンドのキーボード担当の人がすでに東京にいて、音楽の仕事を紹介してくれたんです。バンドボーイから始めて、だんだんとダンスホールとかマンモスキャバレーなんかでバンドをバックに歌えるようになって。そのうち、やっぱり自分のバンドをやりたくなるわけですよ。その頃は自分のやりたい音楽ってなんだろうと、自問自答の日々でしたね。ようやく方向性の合う仲間に会って、「WHY」いうバンドを始めて、1981年に「愛なら潮騒」というシングルでテイチクからデビューすることになりました。でもなかなか売れなくてね。結局は、2年間の活動の後、解散することになってしまいました。

 

──特撮やアニメの歌を手がけるようになるきっかけは、どのようなものでしたか?

 

宮内 バンド「WHY」のときに、作詞家の冬杜花代子先生にお世話になっていたんです。そのご縁があったので、解散を機に今後の身の振り方を相談しに行きました。そうしたら、「こういう人と会ってみない?」と、日本コロムビアのアニメソング関連のディレクターさんを紹介されたんです。会いに行くと、「科学戦隊ダイナマン」「宇宙刑事シャリバン」(ともに1983)の主題歌のテープをわたされて、「この2曲を覚えてきて」と言われました。今思えば、それがオーディションだったんですよね。子ども番組の歌だし、そう難しくないだろうと初めは高をくくっていたんですが、甘かったですね。今までまったくやったことのないジャンルで、ロックでもソウルでもない。全身に力を込めないと、あの雰囲気には近づけない。不思議な感覚でした。しばらくウチでガチンコで練習してんですけど、そうしたら近所の子どもたちがウチの前に集まりはじめちゃって。そりゃそうだよね。今、テレビでやってるダイナマンとシャリバンの歌を、大人が本気で歌ってる声が聴こえてくるんだから(笑)。

 

「超電子バイオマン」でのヒーローソングデビュー

──それが、「超電子バイオマン」(1984)での特撮&アニメソングデビューにつながるわけですね。

 

宮内 そうです。しばらくしてディレクターさんにまたお会いして、練習の成果を聴いてもらいました。無我夢中で歌った結果、ダイナマンの次回作、バイオマンの主題歌歌手に選んでいただくことになりました。ダイナマンとシャリバンの歌詞を見せてもらった時も、バイオマンの歌をいただいた時も、生きること、命、勇気、希望なんかを、照れることなく大真面目に歌い上げるその内容に、正直言ってすごく感動したんです。振り返ってみたら、自分がこれまで歌ってきた歌は惚れた腫れたの話ばかりだったなぁ、と。自分が本当に歌いたかったのは、こういう歌だったんじゃないのかな、と思う程でした。

これは余談になるけど……、この頃もまだWHYの次のバンドでライブの仕事をやっていたので、その合間を縫ってバイオマンの練習をしていました。徹夜で歌い続ける仕事もあったりして、喉も荒れ気味だし、ヘトヘトの状態でスタジオに行ったのを覚えてますよ(笑)。

 

──「超電子バイオマン」をレコーディングしてみた印象は、いかがでしたか。

 

宮内 自分の声をヒーローソング向きと判断していただいたのは本当に光栄なことでした。主題歌の2番に「クラッシュ・アターック!」とシャウトする部分があるんですが、自分としては抵抗感も照れることもなく、喜びいっぱいで、生命力を込めるような想いで叫びました。しかも、作曲の加瀬邦彦さんは、GSバンド「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーという、私にとっては子どもの頃のヒーローですから。加瀬さんの曲をいただけると聞いたときは、あまりに感激して、六本木にあった加瀬さんのお店に真っ先にうかがって、直接ご挨拶と御礼を伝えましたよ。

主題歌のレコーディングが終わると、次には挿入歌の収録が待っていたのですが、それももちろんバイオマンが初体験でした。コロムビアを紹介してくれた冬杜花代子先生とは、挿入歌「Blue Togetherness」で早くも一緒にお仕事できましたし。挿入歌の世界もカッコいいですよね。劇中の闘いの歌とか、表には出さないヒーローの苦しみとか、戦闘ロボのテーマとか、主題歌とはまた別の素晴らしい世界を描いています。挿入歌がなかったら物語が締まらないですよね。自分のライブでも挿入歌は大事に歌ってきました。

 



歌に込める「正義」と「悪」

──「ビデオ戦士レザリオン」(1984)では、その後、長年にわたって曲の提供を受ける作曲家の渡辺宙明先生と初めて組まれました。

 

宮内 私だけではなく、串田アキラさん、MoJoさんとの「魂の三兄弟」にとっても、いろんなヒーローソングでお世話になってますし、3人にとって重要な「轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊」のエンディングテーマ「伝説」という曲を作ってくださった大切な方です。宙明先生は、メロディやアレンジに独特なものを感じます。まさに「宙明節」ですよ。それに歌い手の気持ちをよくわかってくださってる気がします。こう歌ってほしいんだろうな……、という方向性が曲全体から明確に伝わってくるんですよ。歌手にとって本当にありがたい存在なんです。

「宇宙刑事シャイダー」(1984)の「シャイダー・ブルー」もファンが多い曲です。宙明先生の曲に加えて、田中公平先生のアレンジもすごく力が入ってる。曲中で聴こえるコーラスは、田中先生ご自身が歌って、多重録音で声を重ねているものです。あの青空に突き抜けるような爽やかな雰囲気は、特撮ヒーローソングでもかなり特別な存在なんじゃないでしょうか。私も空や海も思い浮かべながら透き通るような気持ちで歌えるよう心がけています。

 

──「キン肉マン」(1983~1986)では、悪魔超人のテーマソングなど、いわゆる「悪役の歌」にも初挑戦されますね。

 

宮内 悪役ってイイよね! 正義の論理とは違うけど、彼らには彼らなりの正義があるんですよ。それに悪役の歌には、同じアニメ&特撮の歌でも、まったく新しいジャンルを開発するような手応えを感じていました。自分がそれまで歌手として身に付けてきたいろいろな技を、十分に発揮できる時が来た!と感じたのは、むしろ悪役側の歌のほうでした。ドスのきいた声でシャウトするとか、レコーディング中にずいぶんとアイデアを絞りましたが、その過程も楽しかったですね。悪役の歌ならではの「歌いがい」がある曲が多いし、自分の味が出せるし、とにかく腕試しになるんです。

 

──「仮面ライダーBLACK RX」(1988)では、宮内さんの代表作とも言える主題歌「仮面ライダーBLACK RX」を担当されています。

 

宮内 再び特撮番組の主題歌を任されるということで、「バイオマン」の頃に気持ちを戻して、第二のデビューに臨むような気持ちで歌いました。目をつぶっていてもRXが静かに歩いていく姿が浮かんでくるくらい、心に焼き付いている作品です。RXはブラジルでもすごい人気のようです。RXと「特警ウインスペクター」(1990)は、ブラジルでも僕の日本語の主題歌がそのまま使われていたそうで、コンサートに行くと観客がみんなで円陣を組みながら日本語で歌ってくれるんですよ。本当にヒーローソングに国境は関係ないというのを感じた瞬間ですね。海外ではほかに、バイオマンがフランスやフィリピンで人気です。両国とも、初めて放送されたスーパー戦隊シリーズがバイオマンだったそうで、特別な作品として受け入れられているようです。

 

──「特警ウインスペクター」から、「特救指令ソルブレイン」(1991)、「特捜エクシードラフト」(1992)にかけてのレスキューポリス三部作では、全ての作品で主題歌を担当されていますね。

 

宮内 まさか3年連続で主題歌を任せてもらえるとは思ってなかったので、本当に嬉しかったです。「特救指令ソルブレイン」は複雑なアレンジ曲が多くて、それを攻略していくレコーディングの楽しみもありました。それから、もし宮内自身の心の中にある「正義」とは何か?と問われたら、レスキューポリス三部作で描かれたものこそ、僕の正義だと答えるでしょう。特に「特捜エクシードラフト」への想いが強いですね。このBOXにもすべて収録されていますが、主題歌・挿入歌合わせて12曲も担当したので、歌詞を歌い込んでいるうちに思い入れも一際強くなっていったんだと思います。RXと、それに続くレスキューポリス三部作が、僕にとっての代表作。でも、ライヴのアンコールで1曲選べと言われたら、やっぱりRXになることが多いかな。

 

今回のCD-BOXの聴きどころ

──今回のCD-BOXでは、現在ではなかなか入手しにくい、いわゆる「レア曲」もずいぶん収録されていますね。

 

宮内 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(1985)の2曲は、その後のテレビアニメの歌とは全然雰囲気が違うでしょ? 当時僕も原作漫画は読んでたけど、「派出所の夜はふけて」をもらった時は、あの両津勘吉のテーマを自分のような歌手が大真面目に歌ったら一体どうなるんだろう?って、すごく楽しみでしたよ。「ポリスマンは強いぞ!」では、「ババギュギュン・GO・GO・葛飾」なんて歌詞も初めて歌ったけど、これはこれで「こち亀」らしいなと思いましたよ。

「湘南爆走族5 青ざめた暁」(1989)の「Cool Rider」は、まさにハードロックです。歌ってて楽しかったですよ。学生の頃にバンドでやっていた洋楽のように、全部英語の歌詞だし。「機動警察パトレイバー」も、やはりGS時代のヒーローだったすぎやまこういち先生の作曲だと聞いて、感激しましたね。でも、とにかくメロディが複雑で、歌いこなすのが本当に難しかった。カラオケがないのでライブでご披露できないのが本当に残念なんですが。

今回のBOXでレアなのは、初代タイガーマスク=佐山聡さんの入場曲「熱い想い~タイガー伝説~」と、そのイメージアルバム「咆哮」の収録曲かな。とにかくカッコいい曲がいっぱいです。でも権利関係の問題で、実際にプロレス会場で流れることはなかったんですよ。僕がリング上で歌うような計画もあったんですが、それもなしになってしまいました。佐山さんもすごく気に入ってくれてたのに、本当に残念でした。もし今回の収録曲の中で、ぜひともみんなに聴いてほしい1曲を選ぶとしたら、僕は「咆哮」の中の「月のナイフ」を選びますよ。それくらい好きな曲です。

あとは「そらのおとしもの 時計じかけの哀女神」の「超☆愛 合体!!エンジェロボ!!」ですね。まず詞が送られてきて、「こういう歌詞なんですけど歌ってもらえますか?」と尋ねられました。意気揚々とチャレンジしましたよ。ディレクターからは、「“フトモモ”をシャウトしてください!」とか、「“でっかいパンツ”はもっとデッカく!」とか、今までの歌手人生で後にも先にも受けたことのない、すごい指示がいっぱい来ましたけど(笑)。

 

 

支えてくれた仲間たち

──今までお名前のあがった方々以外にも、印象に残るお仕事をされた作曲家・編曲家さんなどはいらっしゃいますか。

 

宮内 僕にとってなくてはならない存在なのは、やはり矢野立美先生ですね。ヒーローソングデビューの「超電子バイオマン」も、レスキューポリス三部作の主題歌も、すべて矢野先生にアレンジしてもらっているので。矢野先生は、僕の声の特徴や歌のクセをわかってくれていて、宮内だったらこう歌うはずだ……というのを先回りして準備してある、そんなアレンジをしてくれるんですよ。

レスキューポリスの主題歌3曲の作曲をしていただいた鈴木キサブロー先生は、串田アキラさんの40周年記念パーティーの時に会場にいらしていて、その時、僕が「特捜エクシードラフト」を歌わせてもらいました。歌い出しの「エーーークシーーー!」という部分を聴いて、「この声で最初にあんなふうに歌われたら子ども達はハートをつかまれるのも無理はないね」と言っていただきました。これは本当に嬉しいひと言でしたね。

 

──バイオマンの「バイオロボの歌」の歌を筆頭に、宮内さんといえば、スーパー戦隊シリーズにおけるロボットの登場・合体・戦闘のバックに流れる挿入歌の切れ味が忘れがたいのですが。

 

宮内 「侍戦隊シンケンジャー」(2009)の「侍変形!ダイカイオー」の歌詞を書かれている作詞家の桑原永江先生に言われました。宮内がロボソングを歌うと、テレビの中のロボではなく、実物大の巨大なロボの姿が目に浮かぶんだ……って。自分の中でも、巨大ロボの威容をどうやって歌で表現しようかと常に考えながら歌ってきたので、それが伝わったような想いでした。小脳梗塞で倒れて、復帰した後だった、「烈車戦隊トッキュウジャー」(2014)の「烈車合体!トッキュウオー」を歌った時にそんなふうに言ってもらえたんです。この曲は自分にとって、この先も歌手を続けていけるのかどうかの賭けのようなものでした。こういう言葉をかけてもらえて、なんとしても前向きに生きて歌い続けようという希望を持てました。本当にありがたかったですね。

 

──先ほどもお話の出た、宮内さん、串田アキラさん、MoJoさんのお三方は、2017年、ついに「魂の三兄弟」名義で歌を出されましたね。

 

宮内 2007年の「伝説」の時は3人の併記でしたが、「宇宙戦隊キュウレンジャー」(2017)挿入歌「正義の兵リベリオン」は、「魂の三兄弟」として歌わせていただきました。文京シビックホールでの3人の初ライブのタイトルだったんですが、ついにここまで来たかという感じです。

「伝説」は、明るく軽やかなマーチという、宙明先生のいつもの曲調とは若干違った印象がありますが、歌うたびに新たな発見がある、本当に深い曲ですよ。病気から復帰した年のライブでも3人で歌いました。嬉しかったです。この3人でどこまで歌っていけるか、僕自身も本当に楽しみなんです。でも「伝説」から「正義の兵リベリオン」まで10年経っちゃってるからね。次はもう少し早くしてもらわないと(笑)。

バイオマンでデビューする前、コロムビアのディレクターさんに聞かされたテープが、MoJoさんの「科学戦隊ダイナマン」と串田さんの「宇宙刑事シャリバン」でしたから、お2人は僕が最初に聴いたヒーローソング歌手ですし、この世界で出会った最初の先輩なんです。僕にとっての「魂の三兄弟」とは、そういう絆の上に成り立ってるんです。

 

──では最後に、歌手人生40周年、そしてこのCD-BOXへの想いを込めて、読者の皆さんにメッセージを。

 

宮内 こういうBOXセットを作っていただいたことそのものに、本当に感謝したいと思います。一時は体を壊して、歌い続けることができるのか不安な時期もありましたが、ファンの皆さんを始め、色々な方に支えられて、今日があります。命の歌を歌いぬいてきた男の生きてきた証が、このBOXには刻まれています。どうか皆さん、一家にひとつ、魔除けとしてぜひ置いてください。僕は「アニメソング界の大魔神」ですから……。

 

──本日はお忙しいところ、ありがとうございました。

 

(取材・文/不破了三)

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