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――レイアップで玩具デザインに関わった後、「ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー」(1997年)のメカデザイナーとして、本格的にアニメ業界に戻ってきますね。
大河 実を言うと、「ビーストウォーズ」のころは、ぎりぎりレイアップに在籍していました。だから、葦プロ(現「プロダクション リード」)さんからデザインの話があったときは「レイアップを通してくれます?」という話はしたんですよ。同時に、その頃は「会社をやめて、フリーランスになりたい」という気持ちがあったんです。そんな内情や現場の都合もあって、「ビーストウォーズ」は“大河広行”というペンネームで、参加しているんです。このペンネームは「ヴイナス戦記」のときに初めて使いました。
――フリーになろうとした動機は、何だったんですか?
大河 レイアップにいると、どうしてもバンダイさんの仕事がメインになってしまうので、もっと幅広く仕事したいと思ったんです。当時は結婚して子どももいましたから、家族会議を開きまして、なんとかフリーになることを納得してもらいました。「どうすればメカデサイナーになれるんだろう?」と悩んで玩具デザインの会社に入って、アニメ業界に戻ってきたら、いきなりメカデザイナーになっていた(笑)。
――フリーになってからの初仕事は?
大河 「激闘!クラッシュギアTURBO」(2001年)のゲストマシン・デザインです。ほぼ並行しながら、「スクライド」(2001年)の各話デザインをやって、その流れで「ガンダムSEED」の各話設定、「出撃!マシンロボレスキュー」(2003年)のデザインワークスが同時に始まりました。その頃はサンライズの8スタ(第8スタジオ)に机を置いて、仕事していました。「F-ZEROファルコン伝説」(2004年)では、葦プロさんにも机がありました。
――すると、複数のスタジオを行ったり来たり……。
大河 そうですね。作品数でいうと、1年に2~3本ぐらいはやらないと商売にならない。最近のアニメは1クール、長くて2クールでしょう。じゃあ、放送期間の長い方が準備期間も長いのかというと、どっちも変わらないんですよ。
――「ゼノサーガ」はアニメとゲーム、両方に関わっているんですね。
大河 東映さんの「Xenosaga THE ANIMATION」(2005年)ではメカデザインだけでなく、原画を描いたり、演出に近い仕事もしまして、その関係で、ニンテンドーDSの「ゼノサーガI・II」(2006年)にも関わることになったんです。ゲームでは「止め絵で、イラストがスライドするようにしたい」との要望だったので、絵コンテを切ったりしました。キャラデはスタジオライブの竹内浩志さん、僕はビジュアル演出となっています。
――スタジオライブとは、何か縁があったのですか?
大河 「F-ZEROファルコン伝説」のキャラデザインが、スタジオライブの芦田豊雄さんだったんです。その縁で、芦田さんの漫画のアシスタントをやったりしましたよ。
――漫画のアシスタント(笑)。まさに、何でもアリですね。当時は、紙とインクの時代でしたか?
大河 ええ、今はすべてパソコンで描いていますけど、当時の主な画材はシャーペンでした。「境界線上のホライゾン」(2011年)のメカデザインを契機に、画材をフルデジタルに切り替えたんです。作品を見てもらえばわかるように、すさまじい情報量でしょう? 「ホライゾン」では、いろいろなメカをデザインしましたけど、僕は全長8キロの武蔵という大型艦をまかされたんです。「こんなの手で描いたら、死ぬな……」と思って、下書きから何から、すべてペンタブレットで描きました。
――「紅 kurenai」(2008年)はメカアニメではありませんが、何をデザインされたんですか?
大河 最初は、車のデザインとして参加しました。ほかの方が写真をベースに描いたらしいのですが、意外と写真そっくりに描いても、車に見えないんです。人間の目って、脳の中でウソの像を結ぶんです。そのウソが正しいので、それを描いてあげなきゃならない。「紅 kurenai」ではもうひとつ、「物語最後のほうで山奥のお寺が舞台になる」と監督に相談されて、「じゃあ、ここにヤマの斜面があって」「ここを上がって、この建物で戦って」と、シーンの大雑把な設計図を描きました。
――絵コンテでも美術設定でもなく?
大河 美術設定は、ちゃんと美設(美術設定)の方が描かれたはずです。僕はあくまで、監督の頭の中にある「こうしたい」というプランを聞きながら、トータル的な流れを絵にしていったんです。
――それは、なかなか表に出ない仕事ですね。
大河 確かに、表には出ないでしょうね。デザインだけやる場合もありますけど、デザインも、大きな仕事の流れの一部なんです。だから、演出的な手伝いをすることもありますし、一部、絵コンテを描く場合もあります。サテライトさんでやった「トータル・イクリプス」(2012年)で、電磁投射砲というレールガンを撃つシーンがあるんですが、最初の絵コンテでは必殺武器を撃つにしては、少しタメが足りなかった。「ここ、コンテ切らせてもらっていいですか?」とお願いして、発射シーンだけ切らせてもらったんです。結局、アクション・パートのコンテも切らせてもらいました。「トータル・イクリプス」はデザインだけでなく、CG打ち合わせにも立ち会って、「右肩をもっと大きくして、首の軸を後ろにズラして」と、アニメロボなりの嘘の見せ方も指示しました。CGでは、形や動きが、正確に出すぎるんです。刀を振るんでも、きれいに振らずに、「この絵とこの絵は抜いてください」「その方が、振ったときの勢いが出ます」と、2Dアニメのような動き方にしてもらいました。
――アナログ的な発想を、CGにも導入したわけですね?
大河 いい意味で、アニメーター時代の経験が生きましたね。だから、「トータル・イクリプス」でも「ノブナガ・ザ・フール」(2013年)でも、オープニングでは「メカデザイン」、エンディングでは「メカ作画監督」としてクレジットされているんです。
――フリーといいながら、ずっと現場にいらっしゃるわけですね。
大河 基本的に、家では仕事しません。僕の場合、デザインするにしても、スタッフや監督のいる現場で仕事するほうが好きですね。「監督、こんなの思いついたんですけど」って、すぐ見せやすいですしね。
――今はCGの人たちがレイアウトを組んだり、アニメーターも「キャラ作監」「総作監」だとか、細分化してますよね。そんな複雑なアニメ現場に、ストレスは感じませんか?
大河 もともと、僕は玩具の会社にいたでしょ。玩具の仕事って、1人だけでやり切ることって、まずないんです。企画だって、クライアントや営業の人の意見も聞かないといけない。生産段階に入ると、工場の人たちの意見も出てくる。いろんな立場の人たちの意見を組みいれて、ひとつの形になるわけで、100%、自分だけのオリジナルの仕事なんて、ほとんどないんです。皆さんの意見を取り入れて調整して、ひとつの形にする仕事ですから、モノによっては、自分のオリジナリティなんて10%以下でしょうね。例えば、「美少女戦士セーラームーン」の商品企画をやったときには、原作の武内直子先生から「こういう感じで」とスケッチが来ますけど、そのままでは商品としては難しいので、こちらから「こういう形にしたいのですが」と、武内先生におうかがいをたてる。アニメの現場も同じことで、監督、プロデューサー、スポンサーの意見、いろいろ聞くのが当たり前。ですから、ストレスは感じませんね。
――素人考えだと、「デザイナーは100%、自己主張すべき」などと思ってしまいますが。
大河 それも正しいと思うんです。強烈な個性を持ってグイグイ引っ張ってくれる人も、絶対に必要。そういう人がいないと、ここまでアニメは盛り上がってなかったと思います。だけど、僕はアニメーターでもデザイナーでも漫画家でもない、とにかく「絵を描く仕事をしたい」という欲求が根源にあるんです。だから、カッコいい主役メカでなくとも、「このキャラクターの持つシャーペンを考えて」といわれたら、よろこんで考えますよ。
――誰かが、やらねばならない仕事ですね。
大河 アニメって、ゼロから描きおこす表現なんです。現実世界なのかSFなのか、ちょっとファンタジーなのかによって、求められるデザインは違ってきますよね。サテライトさんが「グインサーガ」(2009年)をアニメにしましたけど、監督に「この砦には、こういうギミックが欲しい」と求められたら、僕は「グインサーガ」の世界観でのみ成り立つギミックを考える。それが、楽しいわけです。
――今は誰もがわかりやすいところを目指していて、「ガンダムをデザインしたから偉い」となりがちですよね。
大河 今、「俺が最新のガンダムをデザインしたい!」と夢を抱いたところで、デザイナーの数は多いし、かなり頭がつかえてますからね。僕がガンダム作品に参加するなら、ガンダムのパイロットがしている腕時計でいいや(笑)。
――なるほど!
大河 たとえば、「ガンダムSEED」は大河原邦男さんがメインのモビルスーツを決められていたので、僕はコクピット設定と各話設定、それと「パイロットの食べる食事を考えて」と言われたんです。
――食事のデザインですか?
大河 アークエンジェルの内部で、食べるシーンが多いらしいんですよ。だから、食事は1種類では少ないから6種類ぐらい必要と言われて、「コレは○○を調理したもの」と、ひとつひとつ献立を決めていって(笑)。僕の中では、それがガンダム本体をデザインするのと同じぐらい、楽しいんです。
――そういう仕事を楽しめる性格なんでしょうね。
大河 そうかも知れません。絵のうまさで言うと、僕は業界では半分ぐらいの腕前でしょう。残り半分は、これまでの経験値で、なんとか補っているわけです。だから、現場の若い子たちに、いろいろと経験談を話すようにしています。アニメ業界は「食えない」と言われてますけど、ちゃんと食えてる人も、山ほどいるんです。だから、若い人たちが食えないままフェードアウトしてしまうのではなく、経験を生かしながら、何とか食えるようにしてあげたい気持ちはあります。自分も若いころは食えませんでしたし、せっかくの雑多な経験を、自分の中にだけ封じ込めていても仕方ないですから。「うぜえオヤジだな」って、周囲から思われてるかも知れませんけどね(笑)。
(取材・文/廣田恵介)