【「機動戦士ガンダム水星の魔女」コラム】伝統のガンダム要素と富野イズムを見事にアップデートしたシーズン1を再検証&シーズン2を妄想大予想!

2023年02月17日 12:000

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「機動戦士ガンダム 水星の魔女」(以下、水星の魔女)のシーズン1が終了した。

富野由悠季氏が監督となってスタートした「機動戦士ガンダム」シリーズは長い歴史を持つロボットアニメとして知られているが、「水星の魔女」は富野氏が手がけたガンダムシリーズから独立した作品である。主人公の少女スレッタ・マーキュリーが、辺境の水星から謎のモビルスーツ(ロボット)「ガンダム・エアリアル(以下、エアリアル)」をともなって「アスティカシア高等専門学園」に入学。モビルスーツ同士の決闘が全てを決めるこの学園で、決闘によって政略結婚の「花嫁」として奪い合われる同年代の少女、ミオリネ・レンブランと出会い、当初彼女の「花婿」だったグエル・ジェタークとの決闘に勝ったことで「花婿」となる。そして学園生活と決闘を通じ、スレッタとミオリネが人間的に変化・成長していくという物語だ。

女性主人公、学園が舞台、花嫁を奪い合うガンダムでの決闘といった、ガンダムシリーズとしては異例の要素を含みつつも話題となった本作だが、リアルタイム視聴を終え、改めて0話からラストまでの13話を見返してみると、“しっかりとガンダムしていた”というのが個人的な感想だ。

嬉しいのが、この盛り上がりがヘビーなガンダムファンだけにとどまらなかったところである。本作はこれまでのシリーズから独立した新しい作品でありつつ、これまでガンダムシリーズに慣れ親しんでいなかった層と、昔からのガンダムファンの両方に受け入れられているのだ。ガンダムシリーズ最新作について、世代を超えたファンが語り合う様子が実にガンダムらしいと感じられたのだ。

 

「ガンダムらしさ」を踏襲し、アップデートした「水星の魔女」

では、「ガンダムらしい」とは一体何だろうか?

本作は、前述したような異例の要素を含んでいることから、放送前には「ガンダムらしくない」と言われることもあった。しかしながら、新作が発表されるたび「今度のガンダムはガンダムらしくない」と声が上がるのは珍しい光景ではない。たとえば、国家を代表する個性的なガンダムたちが格闘メインで戦う「機動武闘伝Gガンダム」(1994)は、放映前に「こんな格闘ゲームみたいなのはガンダムらしくない」という意見があった。もう少しさかのぼるなら、富野氏自身が手がけた「機動戦士Zガンダム」(1985)の続編「機動戦士ガンダムZZ」(1986)にすら、放映初期には「こんな明るくてコメディタッチなのはガンダムらしくない」という声が上がっている。ガンダムシリーズは「ガンダムらしくない」といわれつつ紡がれてきた歴史といっても過言ではない。つまり「ガンダムらしくない」ことも「ガンダムらしさ」を構成する要素のひとつと言えるのではないだろうか。

 

現在「水星の魔女」を改めて見返してみると、そこには「ガンダムらしい」雰囲気が濃厚に漂っていると感じられるのは、前述した通り。あくまで個人的な感想だが、「水星の魔女」は初代「機動戦士ガンダム」が成したことのひとつを、もう一度改めて成した作品であるとも思える。それは「巨大ロボットというロマンに、新たな解釈や要素を加え、新鮮なロボット像を提示する」ことだ。

「機動戦士ガンダム」では、ロボットに現用兵器的な解釈を加えた「モビルスーツ」というそれまでになかったロボット像を提示している。これが「リアルロボット」と呼ばれ、当時ブームを巻き起こしたどころか、今でも大きな人気が続いていることは読者諸兄もご存じの通りだ。いっぽう「水星の魔女」では、「現用兵器としてのロボット=モビルスーツ」というアイデアを発展させ、ガンダムを現代に即した特別な機体として位置づけている。「脆弱な人間が過酷な宇宙に適応するための、義肢や医療技術の延長線上にある技術」である「GUND技術」を兵器転用した「GUND-ARM」がガンダムであり、禁忌の機体であるという解釈を行ったのだ。

義肢の発達により障がい者スポーツも盛んとなり、使用者の意志を機械に伝える「筋電義手」や、脳波で操作する義手が開発され、学生たちがロボットを作って競い合うロボコンも広く知られるようになった現代だからこそ生まれたリアルな設定と言えるだろう。

そして、ここには濃厚な富野イズムと、これに対するリスペクトがある。「機動戦士ガンダム」は、人類の一部が宇宙に適応した特殊な精神感応力を持つ「ニュータイプ」となり、人の革新をもたらすはずの彼らが、現用兵器としてのロボットであるモビルスーツで戦う様を描く物語である。対して「水星の魔女」のガンダムは、人が宇宙に適応するためのGUND技術の兵器であり、使用することで精神感応のような現象を引き起こしている。つまり「水星の魔女」のガンダムは、モビルスーツとニュータイプという「機動戦士ガンダム」における重要な要素2つをひとつにし、そこに2020年代だからこそのリアルさを加えた設定なのだ。「ガンダムとは何か」という難しいテーマに対し、初代作にまでさかのぼったうえで現代的な解釈を施しているわけで、そこには富野イズムへの深いリスペクトが感じられるのである。

 

また、ガンダムを義肢の延長線上としてとらえているのも面白い。人型ロボットを「現実に」操縦することの技術的な難しさは「機動戦士ガンダム」の放映以降にさまざまな論者から指摘されてきたし、ロボコンなどを通じた実体験をともって、今では広く知られるようにもなっている。「新世紀エヴァンゲリオン」(1995)における、特殊な適性を持つ者が汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンと神経を同調させて操縦する「シンクロ率」の設定などは、こうした問題に対する解答のひとつと言えるだろう。本作のガンダムは、GUND技術を用いて機体をパイロットの精神とリンクさせて「身体拡張制御」を行うことにより、圧倒的な戦闘力を発揮すると設定されている。この際、「データストーム」と呼ばれる現象が発生し、パイロットは大きなダメージを受けてしまうことが問題視されて、「ガンダム」という存在が禁忌となっている(しかしスレッタはピンピンしており、この謎が本作の重要ポイントのひとつとなっていくようだ)。医療用として開発されたGUND技術も、会社が買収されたことで兵器となり、敵だけでなく味方すら苦しめる悲劇を起こす。正しかったはずの技術がイーブルな資本によって害をなす光景には現代的なリアルさがあるし、富野氏がガンダムシリーズで描く「技術は道具であり、使う者次第でどんなこともできる」というテーマとも共通する部分があるのだ。

 

そして、戦争のありようについても現代的な解釈が行われている。「機動戦士ガンダム」では、虐げられた宇宙移民が、高圧的な地球から独立しようとする戦争が描かれた。いっぽう「水星の魔女」のシーズン1では、宇宙と地球が対立する図式を継承しつつ、豊かな宇宙移民・スペーシアンと、貧しい地球の住民・アーシアンというように立場を逆転させたうえで、大企業どうしの暗闘が実力行使に発展する。大企業が直接戦うのではなく、実行部隊として経済格差にあえぐアーシアンが使われるのだ。モビルスーツと同様、戦争についても「機動戦士ガンダム」をリスペクトしつつ現代的な解釈が行われているのである。

 

親子の相克と引き裂かれるキャラクター

「水星の魔女」では、キャラクターたちの人物像もガンダムらしさがありつつ現代的だ。スレッタは、この世界では田舎とされる水星からやってきたコミュ障で、普段は人とマトモにしゃべることができないものの、モビルスーツ戦となればすぐれた能力を発揮。そのいっぽうでナーバスな部分があり、他人との適切な距離感を計れず、友達ができたと浮かれていたら空回りして疎外感を覚え、ひとり寂しく便所飯することもある。母親を深く尊敬しており、親離れはまだまだ先。

共感できるところも多く、好感の持てるキャラクターである。「機動戦士ガンダム」の主人公、アムロ・レイも、ナーバスながらモビルスーツの操縦に才能を発揮する少年であり、そのキャラ造形に深いリスペクトを感じられるのが、ガンダムファンとしては興味深いと同時に嬉しいところだ。

しかしながら、スレッタはその心を母親から操られている節があり、シーズン1のラストでは人を殺しても罪悪感を覚えない人間になってしまう。ミオリネを助けるためとはいえ、生身の人間をエアリアルの手で叩きつぶし、血まみれになった手をミオリネに差し伸べるのだ(母から戦闘技術を叩き込まれるなど強い影響を受け、母が開発した機体に乗って戦う様は、「機動戦士Vガンダム」の主人公・ウッソにも通ずるところがある)。

 

いっぽう、物語の中心に位置する「花嫁」であるミオリネは、父との関係に悩む少女である。彼女の父は大企業の総裁にして「アスティカシア高等専門学園」の理事。娘に対して独裁的ともいえるスタンスで臨み、習い事から友人関係、学園からの退学までを勝手に決めてしまう。ミオリネはそんな父を「ダブスタクソ親父」と呼んで忌み嫌い、学園から地球への逃亡を企む日々を送っていた。周囲からも孤立し、寮にも入らずに学園生活を送れるのは父の権力のおかげでもあったが、それを認めたくないミオリネだった。

しかし、スレッタとの出会いを経て、その内面も徐々に成長し始める。禁忌のガンダムを使ったとして退学の危機に陥ったスレッタを守るため、「株式会社ガンダム」を起業。投資を受けるべく父に頭を下げ、生徒たちとともに慣れない会社経営に奔走するようになった。親への不満、大人の世界への入門というのは普遍的なテーマであると同時に、学生ながらすぐれた戦略眼で会社を立ち上げるさまには現代的な痛快さがある。ミオリネ自身は冷酷な人間ではなく他者への好意をうまく表せないだけで、スレッタとは違う意味でのコミュ障と言える。そんな2人の距離が縮まっていく姿は、友情物語としての魅力と共感がある。物語が進むにつれて2人を応援している自分に気づくはずで、このあたりは脚本力の勝利と言えるだろう。

 

「水星の魔女」で描かれるテーマのひとつに、親子の関係性があげられる。スレッタと、彼女が駆るエアリアルを開発した母、プロスペラ。プロスペラは「逃げたら一つ、進めば二つ」と独特の人生訓を掲げ、スレッタの前向きな挑戦を応援する。そのさまは一見理想的な母親のようだが、実はスレッタを言葉巧みに操り、自分の復讐を果たそうとする人物だ(公式サイトの前日譚「ゆりかごの星」では、「復讐なら僕らだけでやろうよ。スレッタを巻き込まないで。」とエアリアルが独白している)。スレッタはプロスペラにそそのかされ、ミオリネを助けるために殺人を犯すも、そこには一片の罪悪感もない。つまり、スレッタは親離れに失敗した少女なのだ。

そして、心を操られた少女が罪悪感なく戦うさまはガンダムシリーズに繰り返し登場する「強化人間」(洗脳や身体強化技術で作られた特殊な兵士)のようでもある。強化人間はおしなべて悲惨な末路を辿っているが、スレッタはどうなるのだろう? 友達との学園生活に憧れ、「やりたいことリスト」を作っていた彼女はもう戻ってこないのだろうか?

 

いっぽう、政略結婚の道具であり、決闘の勝者に「花嫁」として与えられるミオリネと、それを決めた父、デリング。デリングは強権的ではあるものの、ミオリネのことは彼なりに大切に思っており、いざとなれば身を挺して彼女を助ける気概を持つ人物だ。親子が反発する状況は一見最悪だが互いへの情はあり、スレッタ親子とは対照的だ。

そんなミオリネを手に入れようとするのが大企業の御曹司・グエルであり、2人を結婚させてグループ内でのし上がろうとするのが父親のヴィムだ。グエルは決闘で負けたことからヴィムの失望を買い、学園を退学させられてしまう。その後、ヴィムが持つ子会社でポジションを用意されるが、あえて家を出奔し、自活の道を模索する。

しかしシーズン1終盤、グエルは反スペーシアン組織「フォルドの夜明け」による襲撃の最中、不幸な行き違いでヴィムをその手にかけてしまう。親からの独立は、誰もが避けて通れないテーマである。文字通りの親殺しを経てしまったグエルがどう変化するか、早くその続きが見たくなってくる。

 

孤児から大企業のCEOの養子となり、手段を選ばず身を立てようとするシャディクと、彼を利用しつつも裏で「養子野郎」とさげすむ義父、サリウスの関係も見逃せない。シャディクは親世代が作ったガンダムへの規制が閉塞的な時代の元凶だと断じ、サリウスの謀殺をたくらむ。こちらはグエルと反対の、意図的な親殺し。閉塞感にあえぐ若者の姿が現代的である。

 

「水星の魔女」は、親と子という普遍的なテーマが強く打ち出されていることにより、ガンダムファンであるかどうかを問わず人を惹きつける物語になったと言えるだろう。そして、わかり合おうとする者たちが戦争で引き裂かれるのは、アムロとララァ、カミーユとフォウ、ハサウェイとクェスというように、ガンダムシリーズで繰り返し描かれているモチーフであり、「ガンダムらしさ」のひとつなのだ。

 

現代のエッセンスが生きるMSとSF設定

「水星の魔女」ではモビルスーツによる戦闘も魅力的である。ピンチに陥ったエアリアルが一転してライバルたちを退けていく展開には、勝負ものとしての面白さとカタルシスがある。言うまでもなく、強いガンダムが戦う姿は「ガンダムらしさ」のひとつだ。

エアリアルは「ガンビット」と呼ばれる11基の小型端末を操り、それらを分離合体させることで攻撃や防御を行う。「機動戦士ガンダム」に登場した無線ビーム砲「ビット」の影響下にあるアイデアで、無数の端末が敵を翻弄するカッコよさが40年を経て変わらないところに改めて驚く。

さらに端末が合体して盾や大型ビーム砲になるのが、ガンビットとしての面白さ。明らかにほかの機体とは隔絶した技術であり、ガンダムの強さと恐ろしさが表現されている。単なる踏襲に留まらないアイデアが盛り込まれているというわけだ。ガンダムシリーズにおいてビットやファンネルといった無線兵器は物語の後半に登場するのが定番だが、本作では1話からいきなり出てくるあたりの意外性もガンダムファンには面白い。ただし作中では対抗技術も存在しており、戦闘はひと筋縄ではいかない。これまた、今後の戦いが楽しみだ。

そのほかエアリアルにはさまざまな謎が秘められていて、底知れないモビルスーツである。エアリアルは、時には前述したガンダムへの対抗技術もなぜか無効化でき、未来を予測したかのごとく戦う。その際、スレッタはほかに誰もいないはずのコクピットで、何者かと会話をしているのだ。はたして誰と話しているのだろうか? ガンダム自体が物語を牽引する縦軸のひとつというわけだ。

 

学園ものとしての面白さも見逃せない。学生時代の魅力のひとつは、多種多様な人種が交流すること。いったん社会に出てしまうと、どうしても似たような人種で交流してしまいがちだが、学生時代はそうではない。本作の舞台となる「アスティカシア高等専門学園」も、パイロット志望がいれば経営者志望、メカニック志望もいるし、スペーシアンもアーシアンも一緒くたに詰め込まれており、そこには異なる立場の人間同士がぶつかり合う面白さがある。シーズン1が幅広く支持された理由のひとつは、雑多な学園生活をじっくり描いたことにあるだろう。学生とはいえ、誰もが真剣に生きている。親に噛みつき、自分の誇りを守るために殴り合いを演じ、周囲の期待に応えるために必死で努力する。放映前に「学園ものはガンダムらしくなるのか」という声もあったが、実際に視聴しているとしっかりとガンダムしている。

懸命に生きる人間の群像劇、これも「ガンダムらしさ」のひとつなのだ。

 

そして、学園ものに現代的なエッセンスが加えられているのも魅力だ。前述の通り、ミオリネは株式会社ガンダムを立ち上げ、GUND技術の平和利用という大きな課題に挑むことになる。スプレーで体操服を汚しつつ急ごしらえで看板を作り、仲間で集まって特技を生かして会社に貢献したり、ロゴやPVを作り、苦労して作ったGUND義足のテストを見守ったり……。チームで何かを始めるという普遍的な面白さに、学生起業という現代的エッセンスが加わっているのだから魅力的に感じないわけがない。

作中ではスレッタたちが、株式会社ガンダムのPVを作成するというエピソードが描かれる。そこで流れる社歌は、スレッタを始めとする社員が合唱するベタかつヘタクソなものだし、踊るエアリアルの映像も切り抜きが甘くてグリーンバックの跡が残っていたりする。こうした細かな「あるある」演出からは、制作現場がスレッタやミオリネと同じくらい生き生きと取り組むさまが想像でき、見ているこちらも楽しくなってくるのだ。

 

<公式動画「株式会社ガンダム プロモーションビデオ」>

 

舞台となる「アスティカシア高等専門学園」は宇宙に浮かぶ小惑星に作られた学校である。必然的に物語の随所で宇宙生活の細かなディテールが描かれることになり、そのこだわりも富野イズムかつ「ガンダムらしさ」にあふれている。

第1話でスレッタは宇宙に浮かぶミオリネを助ける。このシーンで描かれる、息づかいによって宇宙の広さと孤独感が表現されるさまは、まさしく「機動戦士ガンダム」の冒頭を思わせる。スレッタはエアリアルの手でミオリネをくるんで助け出すのだが、第12話では同じ手がテロリストを潰している。同じ「助けるための手」であっても、スレッタの心によって異なる結果となっているわけで、そこには「技術は道具であり、使う者次第」という富野イズムが感じられる。

ミオリネは学園でトマトを栽培し、アーシアンたちが集まる「地球寮」ではヤギや牛、鶏を飼育している。宇宙で人が恒久的に暮らすことを考えるなら農耕や牧畜は必須であり、宇宙生活へのこだわりに「ガンダムらしさ」と富野イズムが見える(氏は幼い頃から宇宙に対して強い関心を持っており、中学生の頃には「宇宙旅行学会」に加入、宇宙旅行に関する論文を書いていたのは有名な話。こうしたこだわりが宇宙服の破損にテープを張って補修し、無重力状態では壁を動くリフトグリップにつかまって移動する、「機動戦士ガンダム」のリアルな宇宙描写に繋がったのは有名な話)。無重力空間では小さな噴射装置付きデバイスで移動する。デバイスのハンドルにつかまり、泳ぐようにして飛ぶ姿にリアリティがあり、現実でも体験してみたくなる。細かい点だが、スレッタが第2話で泣きながら食べるパンには企業ロゴと思しきマークが入っている。この世界では食べる時すら孤独になれないわけで、個人的にはそこにディストピア感を強く抱いた。

 

長々と「水星の魔女」の魅力について書いてみたわけだが、「機動戦士ガンダム」から続く宇宙世紀ものでは“ない”オリジナル、女性主人公や学園といった異例の要素含み……と伝統的なガンダムではない路線を採りつつ、ガンダムシリーズとしての商業的な成功も求められるということで、制作にはさまざまな困難があったことは想像に難くない。しかしながら、放映されるやいなや話題を読んだのは読者諸兄もご存じの通り。ガンダムシリーズを見たことがない人も楽しめ、筆者のようなガンダムファンが見てもガンダムらしさを感じられる作品となっていた。ただでさえ面白いうえに「ガンダムらしさ」がある新作ということで、シンプルに嬉しく思える。制作陣のチャレンジとリスペクトに深く敬意を表しつつ、シーズン2を楽しみに待ちたい。

 

妄想さく裂! シーズン2を大予想

最後に、誰もが気になるシーズン2の展開、エアリアルの謎、物語の結末について考えてみたい。

第9話でエアリアルが不思議な力を発揮した際、スレッタが何者かと語り合っていたのは前述した通り。スレッタはエアリアルを「家族」と呼んでおり、単なるモビルスーツ以上の愛着を抱いていることがわかる。

さて、ここで思い出したいのが第0話だ。ここではエアリアルと同じガンダムであるガンダム・ルブリスと、スレッタによく似た4歳の少女、エリクト・サマヤ、そしてガンダム・ルブリスの開発に尽力する母、エルノラ・サマヤが登場している。しかし、第1話ではエリクトは登場せず、髪色と声が同じスレッタがエアリアルに乗っている。エリクトとスレッタは同一人物なのか? 第9話でスレッタと語り合っていたのは誰なのだろう?

もうひとつ思い出してほしいのが、オープニング映像のラストシーンである。それまで映っていたスレッタやミオリネたちがフッと消えた後、そこにはエリクトに似た少女の姿が現れる。まるで、エリクトに似た少女がスクリーンを通してスレッタたちの学園生活を見終え、スイッチを切ったかのようである。

そして第10話。エランを通して、「この世界にはガンダムに乗るために改造された人間である強化人士がいて、顔でも声でも自由自在に変えられる技術がある」ことがわかる。普通に考えるなら、エリクトが成長したのがスレッタだ。だが実はそうではなく、2人は別人とは考えられないだろうか?

スレッタはエアリアルに搭乗するために作られた強化人士であり、その姿はエラン同様に作られたものではないだろうか? そして、エリクトはエアリアルの中にいて(もしくはAIで人格を再現され)、スレッタたちを見守っている。第9話でスレッタと会話していたのはエリクトなのでは?

第10話でプロスペラは、ミオリネに対し「安心してうちの娘たちを任せられる」と語っている。娘はスレッタひとりなのになぜ“娘たち”なのか。そしてプロスペラは、なぜ娘のスレッタを操るようなことをするのだろう? エリクトがエアリアルの中にいて、スレッタは実の娘でない強化人士であるとすれば、これらの疑問に一応の説明が付くのだ!

そして、水星の皆から応援されて学園に入学したスレッタだが、その皆からの連絡はない。学園にはスレッタのほかにも似た境遇の生徒がいる。チュチュもそのひとりで、故郷の期待を背負って学園に来た。第4話では、そんなチュチュが故郷と通話する心暖まるシーンがある。では、なぜスレッタには故郷と話すシーンがなく、チュチュにはあるのか? 実は水星の皆というのも、強化人士になる際に植え付けられた偽の記憶であり、そんな人々は存在しないのだ! ……と意気込んでは見たのだが、公式サイトの「ゆりかごの星」を改めて読み返すと、こんな仮説は一発で吹っ飛んでしまった。

この小説では、“僕”を一人称とするエアリアルを主人公に、スレッタの水星での暮らしが断片的に描かれる。エリクトは公式サイトで“娘”と名言されており、どう考えても“僕”ではない。そして、ガンダムやほかのモビルスーツにAIが搭載されていることは、第0話や第3話で触れられていて、エアリアルにAIがあっても不思議ではないのだ。

仮説は常に前提条件が少ないものが正しい。スレッタとプロスペラは、第0話の後で水星に逃げ込んだエリクトとエルノラが名乗る偽名(「ゆりかごの星」、「お母さんは、娘とたった二人でこの水星に逃げてきた。」)。第9話でスレッタと語り合っていたのは、「ゆりかごの星」の“僕”ことエアリアルのAI。プロスペラの髪色が第0話でエルノラを名乗っていた時と違うのは、仮面を被るきっかけとなった事故のため。そしてエルノラは第0話にてエリクトがガンダム・ルブリスで戦果をあげたのを見て、復讐に利用することを思いついた。スレッタが故郷と話すシーンがないのは、その故郷から来た母親がいるためだ……というのが正しいのだろう。もう本当に穴だらけの名推理である。

 

とはいえ、いろいろと妄想するのは楽しかったので、ぜひ読者諸兄も先の展開を予想してほしい。個人的には、シーズン2のラストでは、親離れを果たせなかったスレッタと、親離れしたミオリネが対決するのではないかと予想する。シーズン1でスレッタはミオリネを決闘の「花嫁」から救った。今度はミオリネがスレッタを「水星の魔女」の宿命から救うのではないだろうか?

いずれにしても、2023年4月に放送開始が予定されているシーズン2が楽しみだ。

(文/箭本進一)

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