串田アキラが語る、音楽ルーツと特撮・アニメソングに至る道のり! 50周年記念アルバム「Delight」リリース記念インタビュー

2019年11月08日 16:410

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歌声を響かせ続けて50年、串田アキラさんが周年記念のベストアルバムをリリースする。

特撮・アニメの主題歌や挿入歌、CMソングなど、幅広いジャンルで活躍してきただけに収録曲はまさに千差万別。それでいてすべての楽曲において共通するソウルフルさ、その一点で「串田アキラ」というシンガーに圧倒される。

その根源はどこにあるのか。デビューから50年を経た今、改めて串田アキラさんの音楽的なルーツ、音楽に対する熱い想い、歌手としての核に迫りたい。

 

「やっぱり自分にはこれだ」

――デビュー前、米軍キャンプを巡って沸かせていたことは知られていますが、そもそも音楽に目覚めたきっかけというところから教えていただけますか? 少年期からすでに、R&Bやソウルといった音楽に目覚めていたのでしょうか?

 

串田 最初は歌謡曲や演歌といった音楽も聴いていましたが、「うーん……」という感じで。それでラテンのレコードを聴くようになりました。家にはなぜかギターがあったので、ポロンポロン弾いていた記憶があります。その後、中学生のときに「悲しき少年兵」を聴いたんですが、歌詞の内容が全部わかるわけでもないのに感動したんですよね。それから洋楽を聴くようになりました。特にナット・キング・コールといった黒人寄りの音楽ですね。聴いていたらとにかく歌がすごくうまいわけですよ。

 

――そこから歌手になりたいと思うように?

 

串田 いや、歌手になりたいと思っていたわけではないです。米軍の兵隊さんが集まるクラブで日本人のバンドを見て、「かっこいい」と思ったのが最初ですね。特にドラムが好きで、ドラムを聴きに行くうちに自分でも始めるようになりました。それも、歯医者さんに行ったらそのビルにドラム教室があったという理由なんですが(笑)。すぐに申し込んで、その帰りにはドラムセットを買っていましたね。それでひとりで叩いていたら、聞きつけた友達が集まってきて、バンドを始めることになったんです。それからも外国人向けのクラブにはよく遊びに行っていました。18歳未満禁止だから深夜はダメなんですけど、一緒にバンドをやっていたメンバーのお兄さんがベースを弾いていたので、そのバンドを見に行っていました。でも、そういう世界を何か月か勉強していても、見ているだけじゃ先に進まないし、見に行ってももちろんそこにはドラマーがすでにいるし。それに、僕が好きな黒人系の音楽をやるバンドって少なかったので、自分でやるしかなかったんですよ。

そういうのもあって、「これは歌うしかない」と思ったんです。でも、バンドを作ってはまたメンバーを変えて、の連続でしたね。当時、バンドをやりたくて集まってくるのはビートルズとかが好きな連中だったんですが、僕はR&Bとかがやりたいわけですから。すぐに合わなくなるんですよ。でも、アニマルズの「朝日のあたる家」とかも歌ってもいました。

 

――ナット・キング・コールは?

 

串田 難しすぎて僕には無理でしたね(笑)。それでもソウルを歌い続けていたことで米軍キャンプにも行けるようになったんだと思います。グループサウンズ的なバンドではなかったので。キャンプで盛り上がると、「やっぱり自分にはこれだ」みたいな気持ちになって、さらにソウルにはまっていきました。

  

 

自分のやりたいことが見えた

――沖縄のベースキャンプでスティービー・ワンダーを歌って盛り上がった、というのはその頃ですか?

 

串田 いや、ずっと後ですね。それは沖縄へ2回目に行ったときです。1回目はビートルズから何からいろいろな曲をやっている時期に、沖縄の街中にある、兵隊さん相手のクラブへ演奏しに行きました。

 

――もうバンドで日本を巡っていたんですね。

 

串田 最初に沖縄に行った時はドラムではなくてボーカルでした。別のバンドと合併したんですよ。結局は合併した相手がグループサウンズ的な方向性だったので合わなかったんですが、沖縄まで行ったときに現地のプロモーターとまた来る約束をしたと思います。「今度はベースキャンプの中で」って。それで、大分経った後でしたがバンド編成を変えて、また行ったんです。ビザとか全部とりましたよ。そのときは自分がドラムで。

 

――自分で叩いて歌って、となるとまさにスティービーですね。

 

串田 実は、ギリギリでドラムが行けなくなったんですよ。いや、大変でした。そのときは歌ばかりやっていたので。「歌いながらできるかな?」と思いながら必死に練習しました。当時ジャパニーズバンドはあまり人気がなくて、フィリピンのバンドがものすごかったんです。日本から行っても1日、2日ですぐに帰されるバンドばかりで。でもあるとき、叩いていたらやたらウケるんですよ。何かと思ったら後ろのアンプが燃えて煙が出ていました(笑)。それで話題になりましたね。

 

――それは話題になるでしょうね(笑)。

 

串田 「ジャパニーズコンボ」みたいに呼ばれるようになって、すごく忙しくなりました。沖縄では「FEN」(米軍極東放送網情報)みたいなラジオが流れていたので、R&Bの新曲のレコードがすぐに空輸で入ってきたんですね。だから、フィリピンのバンドに負けないようにすぐにそれを買っては1日、2日でなんとかコピーして……、というのを必死でやってました。そうしたらランキングをどんどん上げてもらえて、ショーバンド扱いで呼ばれるようになったんです。結果的に、本物のソウルマンがたくさんいる前で歌えたことで自信がつきましたね。その後、広島をベースにして名古屋とか、いろいろなところに行っていました。その頃に、話を聞きつけた人から、レコードデビューしないかという話が来たんです。ただ、自分としてはすでに充実していたので「別にいいや」って感じでしたが(笑)。

 

――デビューの話なんてすごくありがたい気がしますが。特に音楽で食べていこうと考えていたなら。

 

串田 今でもそうですが、お客さんが近いところでワーってやるのがすごく好きなんですよね。その頃は毎日そういう感じだったし、お店も常に満杯だったんですよ。ゲストで来る人と一緒にやっても、ここなら「勝てるな」と思っていたし。

 

――ホームの店なら自分たちのほうが盛り上げられる自信が。

 

串田 だから、そういう世界に入りたくないような感覚があったんです。でも、(デビューレーベルとなった)東芝の人が熱心だったので、「じゃあ1回やってみようか」という気持ちになりました。でも、デビューしたらそのディレクターはさっさとアメリカに行っちゃって。「だから芸能界って好きじゃないんだよな」っていうダメ押しの気持ちになりましたよ(笑)。デビューして3か月くらいで「辞めたいんだけど」という話をしていました。でも、契約もあるからということで続けましたが。

 

――そのデビュー曲が、今回のベストアルバムにも収録されている「からっぽの青春」(1969年)ですね。

 

串田 ただ、デビューしてよかったとは思います。自分のやりたくないことをやることで自分のやりたいことも見えたんですから。NHKの「ステージ101」に出させてもらって、待遇的にはすごくよくしてもらいました。「今月の歌」というコーナーで曲をつくってもらい歌わせてもらったり、いろいろなゲストの方に会うこともできましたし、制作の裏側みたいな部分を勉強させてももらえたので。それでも自分には合わなくて。その頃のチーフディレクターには迷惑かけました。どうやったら僕がちゃんとやってくれるのか、当時のディレクターは話していたみたいです。NHKの出演を終えた後は、R&Bのバンド活動に戻って、CMソングも数々うたいました。

 



ステージから飛び降りて歌っていました

――その後、渡辺宙明さんとの出会いを果たされるわけですが、どういった流れだったのでしょうか?

 

串田 まず、NHKの番組に出ていた頃の友達(=惣領泰則)がBROWN RICEというグループを作っていて、そのゲストに誘われたんです。映画「マッドマックス」が日本で上映される際のエンディング主題歌を歌ってもらえないか、という話で。彼らもソウルをやっていましたし、メンバーにビル・クラッチフィールドという外国人がいて、彼が英語の詞を書いていました。それを僕が歌うことになったんですね。

 

――それが「Rollin' Into The Night」(1979年)ですね。

 

串田 その曲を宙明先生がどこかで聴いて、「太陽戦隊サンバルカン」のディレクターに僕を推薦してくれたらしいです。それでアルバム(オリジナルアルバム「SAILOR'S MARKET」。「ROLLIN' INTO THE NIGHT」も収録)を作った後に、今度は子供向けの歌を、という話が来ました。

 

――楽曲を最初に聴いた印象はどのようなものでしたか?

 

串田 「ロックだな」という感じですね。ロックンロールではないし、僕がやっていたリズム&ブルースとは全然違うし。自分は太鼓を叩いていたのでリズムはすぐに理解できましたが、でも歌には苦労しましたね。

 

――何度も何度もリテイクを出されたという話はよくされていますね。それでもその後、特撮をはじめ、「ザブングル」を皮切りにアニメまで次々とオファーが舞い込みます。歌謡曲のときは「向いてない」という感覚があったとおっしゃいましたが、特撮・アニメソングの世界でそういう感覚を持ったことはありませんか?

 

串田 いや、感じなかったですね。どうして次々とこなせたのか、不思議な気持ちではありましたね。でも、最初に「からっぽの青春」でデビューした当時、「この世界はちょっと無理じゃないかな」と思った出来事があって、イベントで自分が歌っていたらだんだん人がいなくなったんですよね。で、向こうを見ると、着ぐるみキャラみたいなのがいて、みんなそっちに行くんです。これはダメだと思いました。でも、「サンバルカン」のショーをとしまえんあたりでやったとき、ステージの後ろから見ていましたが、すごくかっこよかったですよ。それに歌っていても近いし、子供たちの反応がいい。

 

――やっぱりお客さんの近くで歌いたいんですね。

 

串田 ソウルをやっていたときって、ステージの一番前に太鼓をセットして、自分で叩きながらリードボーカルもやっていたんですよ。キーボードやベースと横並びになった、その真ん中で。ステージもそんなに高くなくて、お客さんのほうが高いくらいでした。だから、「ギャバン」や「キン肉マン」を歌うときもステージから飛び降りていました。高いところから見下ろして歌っている自分が気に食わなかったんですよね。あと、当時の子供はシャイだから寄ってこないんですよ。客席の後ろに、白い大きなテントがあって、そこから見ているんですよ。司会のお姉さんが、「よいこの皆さーん」って呼んでも来ません。だから、俺は呼ばれる前にステージへ出ていって、マイクをもらって「こらー!」って(笑)。「何やってんだー! こっち来いよ」って言うと、子供たちが口を尖らせながらぞろぞろとやって来るんですよ。「なんだよー」って。歌手というよりもそのへんのお兄ちゃんみたいな感じですよね。

 

――そこでようやくスタート、みたいな。

 

串田 でも「よしよし」と思いました。どこだったか都内の有名ホテルで子供向けのディナーショーもやったんですが、ステージがすごく高かったので、やっぱりステージから飛び降りて、子供たちの近くで歌いました。照明もばっちり決めているのであとでクレームが出ましたが(笑)、「子供たちの顔を見ながら歌ったほうが好きなんです」って言いましたよ。ステージが終わったら、子供たちがすぐに集まってきて、「ねえねえねえ、キン肉マンに会ったことあるの?」とか言われるんですよね。「ギャバンは?」とか。そのときは「やったー!」ですよね。「子供の心をつかんだぞ」みたいな。「あぁ、こっちだよなぁ」と思いました。ソウルをやっているときも、(米軍)キャンプでよく話しかけられましたから。

 

――ライブの醍醐味ですね。

 

串田 最初の(「サンバルカン」)のレコーディングは辛かったですが(笑)、いい思いをさせてもらいました。ディレクターが細かく教えることなく、「自分で悟れ」という感じだったからよかったんでしょうね。そういう苦労があったから、子供たちがワーって来てくれたときに嬉しさが倍増したわけです。

  

鍛えて強い喉を作り上げる

――串田さんもそうですが、当時は、ほかの音楽ジャンルの歌手が特撮・アニメソングの世界から招かれて歌うようになる時代でした。今のアニソンシンガーは、最初からアニメの世界を目指して入ってきていますし、非常に人気のあるポジションにもなりました。変化を肌で感じるところもあるかと思いますが、この流れをどのようにご覧になっていますか?

 

串田 自分たちとは時代が違い、いろいろなことにとても恵まれていると思います。門は狭いかもしれないですが、楽器にしても何にしても機材が揃っているし、学校みたいな勉強する場もいっぱいあるし、好きなことを実現するための近道が相当あると思うんですよね。

大事なのは「好きさ」だと思います。どの程度の「好きさ」があるのか、ですよね。

もちろんすごくうまい人もいますが、「長くできるのかな?」とか、余計な心配ですけど。苦労しないでどんどん進んで行く人もいると思いますが、どこかで1回苦労もしてほしいという気持ちは少しありますね。そういうことも経験したら倍楽しくなると思うんですよね。その人がもっと広がっていくんじゃないかなと思います。

 

――今、「楽しい」とおっしゃいました。串田さんは特撮やアニメの楽曲を歌うのは楽しい時間でしたか?

 

串田 そうですね。ある程度自分のものにできてからはやっていて楽しいですね。歌いながら、お客さんと会話をしているような気持ちになるんですよ。だからこそ余計に、真剣に、真面目に歌わなきゃいけないという思いも出てきます。手抜きにならないように気をつけ、必死になって歌うことは捨てたくないです。

 

――真剣に歌うという点で意識しているところはありますか?

 

串田 自分の中に、「これじゃあ物足りない」とかそういうのがあって、それをクリアするまでは、という思いはあります。「歳を取ったから串田は声がちょっと痩せてきたなぁ」なんて思われたら歌っていてもしょうがない。昔と同じように、全開でいきたいなんてことはよく考えていますね。

 

――最近では、ベストアルバムにも収録されている「麦とホップ」のCMソングも歌われましたが、あの歌声がTVから流れてきたとき、変わらない力強さに驚いた人もいるんじゃないかと思います。喉のケアなどはされていますか?

 

串田 ケアはしないんですよ。喉にいいことをしようかと思うこともあっても、2、3回でやめちゃう(笑)。だからまずは、弱くならないように鍛えるという考え方ですね。スタジオに2、3時間入って、声を出しっぱなし歌いっぱなしするとか。ステージで歌うよりもその倍は声を出すという感じでね。マイクも使いません。カラオケを全開にして、勝負するような気持ちで、生声で歌うんです。そうやって鍛えています。

 

――その様子を撮った映像をぜひ見たいですね。

 

串田 終わった後は楽しいですよ。「今日は声がよく出たなー」って思えるとやっぱり楽しいんですよね。

 

――喉の筋トレなんですね。

 

串田 声はしばらく出さないと痩せますので。そうはなりたくないし、取り戻すにも時間がかかるので。11月には「串田アキラ デビュー50周年記念公演 ~Delight 2019~」もあるので、それに対しても声をまた作っておかないといけないですし。実は、懐かしいR&Bの世界もやろうと思っているんですよ。最近はあまり歌う機会がないから知る人も少ないでしょうし、半分以上自己満足なんですが(笑)。「こういうのが好きだから、こうなったんだな」と感じてもらえたら嬉しいですね。

 

――串田さんが歌ってきた楽曲との共通点を感じてもらいたいですね。

 

串田 つながりというかね。あと、とにかく楽しんでもらえれば一番いいですね。そのためにもやっぱりちゃんと歌えないといけないです。

 

――アルバムのタイトルである「Delight」は、まさに「喜び」という意味です。

 

串田 みんなに「楽しんでもらう」っていうことを考えて「これっきゃないか」と決めました。

 

――串田さんの素直な気持ちなんですね。

 

串田 そうです、そうです。

  

メジャーの場でブラックミュージックを

――では、ライブでも歌われるかもしれませんし、今回のベストアルバムの収録曲の中で、印象に残っている楽曲をいくつかご紹介いただけませんか?

 

串田 そうですね。いつもヒーローの歌を歌ってきたわけですが、「ギャングラーズパラダイス」は悪役側の歌で。「なんで俺が選ばれたのかな?」って思いましたが、「これはもう串田さんだよ」って話になったらしいですね。悪い声も出せるだろう、と。でも、ノリはちょっとジャズっぽいパターンで、歌としてはすごく楽しかったかな。歌詞はあんまり意味を考えずに聴いてもらって(笑)。こういう音楽があるということが伝わればそれでいいんです。それから「あっぱれ! ジモトがイチバン!!」。これは、各都道府県が誇る日本一を歌っていて。だからそれぞれでメロディが違うんですよね。いや、すごく大変でした。8分近くあって長いし、リハーサルでもう息が上がっちゃいましたね。言ってみれば全部サビですから。もう、「一緒に歌えるんなら一緒に歌ってみろ!!」

 

――(笑)。

 

串田 っていう気持ちですね。

 

――自分の出身県だけは覚えてもらって、一緒に歌ってほしいですね。

 

串田 そうですね(笑)。歌詞を覚えるのも大変で。でも、いい勉強になりました。あとはCMソングもいろいろと入っています。

 

――ぜひ懐かしがりながら聴いてもらいましょう。最後に、50周年を迎えた今、次の50年に向けての目標や野望について教えていただけますか?

 

串田 今まで主題歌をたくさん歌わせていただいたんですが、メジャーで自分の好きだった音楽性を出せたら……という思いはあります。主題歌とは言わず、挿入歌でも、放送の中のどこかで1回流れるだけでもいいので、R&Bの曲をね。

 

――今はアニソンも特撮もロック全盛ですが、ブラックミュージックの波をぜひ。ちなみに、ご自身で作詞・作曲はされないのでしょうか?

 

串田 以前、英語で詞を書いたソウルというのをやろうと思ったことがあったんですが、メンバーが忙しくて機会がなくなってしまったんですよね。せめて録音しておけばよかったんですが。ステージでやった曲も録音がどこかに行ってしまって(笑)。

 

――もったいない……。

 

串田 でも、R&Bの波は近いうちに必ず来ると思っているんです。雰囲気のあるグループも出てきていますし、ぜひ歌いたいですね。

 

――R&Bやソウルをルーツに、歌謡曲も通りつつ、特撮・アニメソングの現場でロックを歌い……という串田さんならではの楽曲を楽しみにしています。

 

串田 そうですね。これからもいろいろなジャンルの曲をどんどんと欲張って歌っていきたいので、R&Bやソウルな部分もどんどんと出していければ。そして、それをまた集めて、こういう(アルバムという)形で発表したいですね。



(取材・文/清水耕司)


【CD情報】
■串田アキラ デビュー50周年記念ベストアルバム「Delight」
・発売中
・価格:4,000円(税別)

【収録曲】
<DISC 1>
01.からっぽの青春 (1969)
02.Rollin’ Into The Night (『マッドマックス』1979)
03.太陽戦隊サンバルカン (『太陽戦隊サンバルカン』1981)
04.夢の翼を (『太陽戦隊サンバルカン』1981)
05.宇宙刑事ギャバン (『宇宙刑事ギャバン』1982)
06.星空のメッセージ (『宇宙刑事ギャバン』1982)
07.疾風ザブングル (『戦闘メカ ザブングル』1982)
08.乾いた大地 (『戦闘メカ ザブングル』1982)
09.ドラゴン・ロード (『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』1982)
10.キン肉マン Go Fight! (『キン肉マン』1983)
11.肉・2×9・Rock’n Roll (『キン肉マン』1983)
12.炎のキン肉マン (『キン肉マン』1984)
13.宇宙刑事シャリバン (『宇宙刑事シャリバン』1983)
14.強さは愛だ (『宇宙刑事シャリバン』1983)
15.宇宙刑事シャイダー (『宇宙刑事シャイダー』1984)
16.ハロー!シャイダー (『宇宙刑事シャイダー』1984)
17.銀河のターザン (『巨獣特捜ジャスピオン』1985)
18.Grey?Carnival -伊吹園次郎の侵略- (『炎の転校生』1985)
19.ジライヤ (『世界忍者戦ジライヤ』1988)
20.空からひびく声 (『世界忍者戦ジライヤ』1988)
21.SHI・NO・BI’88 (『世界忍者戦ジライヤ』1988)
■CMソング
22.Orange County (『小川珈琲』1980)
23.富士サファリパークCMソング (『富士サファリパーク』1980)

<DISC 2>
01.機動刑事ジバン (『機動刑事ジバン』1989)
02.吠えろ!ジバン (『機動刑事ジバン』1989)
03.希望の勇者ゲッP-エックス (PlayStation用ゲーム『70年代風ロボットアニメ ゲッP-エックス』1999)
04.We are the ONE 〜僕らはひとつ〜 (『爆竜戦隊アバレンジャー』2003)
05.神魂合体ゴーダンナー!! (『神魂合体ゴーダンナー!!』2003)
06.その名はガイキング ザ・グレート (『ガイキングLEGEND OF DAIKU-MARYU』2006)
07.ガツガツ!! (『トリコ』2011)
08.豪食マイウェイ!! (『トリコ』2013)
09.KA・MI・TSU・KE (『獣電戦隊キョウリュウジャーVSゴーバスターズ 恐竜大決戦! さらば永遠の友よ』2013)
10.シュッシュッポッポ!トッキュウジャー (『烈車戦隊トッキュウジャー』2014)
11.宇宙刑事 NEXT GENERATION (『宇宙刑事 NEXT GENERATION』2014)
12.オレカ オマエカ 限界バトル (『オレカバトル』2014)
13.スペース・スクワッド (『スペース・スクワッド ギャバンVSデカレンジャー』2017)
14.究極の聖戦(バトル) (『ドラゴンボール超』2017)
15.ギャングラーズパラダイス (『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』2018)
16.The Laughing Salesman (CR『笑ゥせぇるすまん』2018)
17.銀河道中ヒザクリガー (『RobiHachi』2019)
18.あっぱれ!ジモトがイチバン!! (『ジモトがジャパン』2019)
■CMソング
19.サトームセン CMソング (「サトームセン」2005)
20.僕らのうまさはここにある (「サッポロ 麦とホップ」2019)

【DVD収録予定内容】
■デビュー40周年記念ライブ「夢中者(むちゅうもん)」(2009年10月17日 渋谷 O-EAST)より
01.チェイス!ギャバン
02.太陽戦隊サンバルカン
03.ジライヤ
04.機動刑事ジバン
05.しあわせの限界
06.A Change Is Gonna Come
07.強さは愛だ
08.宇宙刑事シャイダー
■キッズステーション「アニぱら音楽館」より
09.神魂合体ゴーダンナー!!  (2004年12月19日放送)
10.宇宙刑事ギャバン (2007年10月3日放送)
11.疾風ザブングル (2009年9月20日放送)
12.We are the ONE 〜僕らはひとつ〜 (2009年9月20日放送)
13.富士サファリパークCMソング (2009年9月20日放送)
14.空からひびく声 (2009年9月20日放送)
■ミュージックビデオ
15.ガツガツ!!
16.豪食マイウェイ!!
17.NEVER GIVE UP!〜CHANCEは何度でも何度でも〜(北電子 ジャグラーソング)

【配信情報】
サッポロ 麦とホップCMソング「僕らのうまさはここにある」
10月16日(金)より、主要配信サイトにてダウンロード配信スタート!

【ライブ情報】
■串田アキラ デビュー50周年記念公演 〜Delight 2019〜
・日程:2019年11月17日(日) 開場16:30 開演17:00
・会場:よみうり大手町ホール


串田アキラのサイン入りCDを抽選で3名様にプレゼント!

インタビューを記念して、串田アキラさんのサイン入りCD「Delight」を、抽選で3名様にプレゼント!

<賞品>
・串田アキラサイン入りCD「Delight」 

<応募要項>
・応募期間 2019年11月8日(金)~2019年11月22日(金)23:59
・当選人数:3名様
・賞品発送 :2020年1月末までに発送予定
・応募方法:下記専用応募フォームにて受付

<注意事項>
・応募には会員登録(無料)が必要です。
・応募はひとり1回に限らせていただきます。
・抽選結果・発送状況に関するお問い合わせには応じられません。
・当選された賞品もしくは権利を第三者に譲渡・転売することを禁じます。
・カカクコムグループ社員、および関係者は参加できません。
・賞品の発送は国内に限らせていただきます。
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