─アニメ業界に入ってから、アニメに影響を受けられたのですね。アニメーターになろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
天﨑 アニメは全然やりたいと思っていなくて、もともとはイラストレーターになりたかったんです。学校は3DCGの専門学校だったのですが、就職氷河期の真っただ中で、まったく職が決まらないという状態でした。イラストのコンペに出しても全然通らず、1年ぐらい苦労していました。そんな時、母から「なんでもいいから、行きなさいよ」と押されて、スタジオアドに電話をしたというのが始まりです。色を塗る仕事をしている会社に、なぜか「イラストレーターを目指しているんですけど」と言ってしまったのですが、電話口の社長の奥様からは、「それだったら、作画始めるから、そっちどう?」と誘っていただきました。しかも、自分は普通の新卒より半年ぐらい早く入ったので、スタジオアドの社長で、タツノコプロ出身のトップアニメーターの加藤茂さんに、マンツーマンで教えていただけました。
─面接の時の加藤さんの反応はいかがでしたか?
天﨑 地元の画材屋さんのコンテストに出した絵を見せた時、「これコンテストに出しちゃうのかぁ」と言われちゃいましたね(笑)。
─最初は「マッハGoGoGo」(1997)の動画をされたとのことですが、初めてアニメのお仕事をされたご感想は?
天﨑 1話の動画だったので、うまい原画ばかりでした。制作さんからは「主人公がなくて、ごめんね」とカットを渡されたのですが、師匠の加藤さんが最初の仕事に1話を入れたのは、狙っていた部分もあったんじゃないかと思いますね。最初にクオリティの高い原画に触れさせ、仕事をなめたりすることがないようにと配慮してくれていたのかなと。おかげで気を引き締めて、動画のスタートを切ることができました。ただ、放送を見てみると何時間もかけたカットが、数秒で終わってしまい、「なんだか一瞬だな」と思いました(笑)。また、自分のカットの映像はコマ送りにして、動検で直された動きはあるか、あればどの動きがよくなかったのか、といったところもチェックしました。
─カット選びも、加藤さん直伝なんですね。
天﨑 若いころは早くうまくなりたいと思っていたので、自分で判断すると、動くカットばかりやってしまっていたんです。でも、それだと収入も減ってしまうので、加藤さんからは「こういうのもやっときな」と、止めのカットや簡単なカットも渡されていました。
─当時のご生活は大変でしたか?
天﨑 そうですね・・・、最初の給料は出来高制で、約半月分ということもあり、小遣い程度でした。ただ、実家通いだったので、生活が辛かったというのはありませんでした。自分の場合は、絵で仕事がない時期だったので、「絵がお金になる」というのが単純にうれしかったですね。うまくなれば稼げることもわかっていましたので、「さっさと突っ走って、走り抜けちゃおう」という感じで、ガムシャラに頑張っていました。
─原画デビューは「熱沙の覇王ガンダーラ」(1998)ですが、どのようなカットを担当されたのでしょうか?
天﨑 この作品はWOWOWで放送されたのですが、自分たちも観れなかったんですよ(笑)。葦プロダクション(編注:現・プロダクションリード)さんの作品ですが、スタジオアドがグロス請けをしていました。小型ジェットから主人公たちが降りてくるカットや、砂漠を舞台にラクダが歩くカットなどをやりました。ちょうどそのころ、TVで砂漠の部族のところに滞在する番組が放送されていまして。砂漠の雰囲気、ラクダ、ターバンを巻いた人たちの衣装などを参考にした記憶があります。
リアルが描けると、デフォルメも何でもできるようになる
─今ですと、天﨑さんは「かわいい女の子が得意なアニメーター」というイメージもありますが、初めのころはいろいろと描かれていたのですね。
天﨑 当時から「アニメーターは何でも描けなきゃいけない」と師匠が言っておりまして、「マッハGoGoGo」も「ガンダーラ」もリアルなキャラなんですが、「リアルが描けると、デフォルメも何でもできるようになる」ということで、最初はリアルをやるというのが師匠の方針でした。なので、原画に上がってからは、美術解剖なども勉強しました。骨格から描けないと、リアルなキャラは説得力を持って描けないんですよ。
─ラクダも描かれたとのことですが、動物はお得意ですか?
天﨑 動物は描く機会があまりないので、なかなか得意にはならないですね。仕事が来るたびに毎回、出てくる動物の写真資料を集めて、スケッチして、骨格などを確認しています。鳥、犬、猫、馬といった基本的な動物は、過去にやったことがあるので勉強はしていますが、鳥といっても種類によって特徴が違ってくるので、やはり一度スケッチして確認してから、作画するようにしています。
─アニメだと、動物が擬人化されることもありますね。
天﨑 2016年の「あにめたまご」参加作品で、STUDIO4℃さんの「UTOPA」という作品に原画で参加したのですが、その作品の大鷲のキャラクターは擬人化され、デフォルメされていました。そういったキャラの場合、デザイナーさんが描いたデフォルメのもとになっているものを、自分が理解しないと、そのフォルムの意味が理解できないんですよね。なので、仕事の前に、実際の鷲や猛禽類をスケッチしました。あと、作画では設定にない部分も描かなければいけないので、モチーフになっている動物がどういう動きをするのかもきちんと理解して、そのうえでキャラクターに合わせてデフォルメして動かしていました。
─2002年には「ドラゴンドライブ」で作監補、「キディ・グレイド」で作画監督デビューされました。
天﨑 当時、そろそろ作監という話にはなっていまして、割と合ってそうな作品をということで、「ドラゴンドライブ」になったのだと思います。「キディ・グレイド」のほうは、結構苦労しましたね。当時は「うまいけど違う」なんて言われたりして、キャラものは苦手なジャンルでしたが、その分、いい勉強になったと思います。
─作監を始められてからも、原画は描いておられるのですか?
天﨑 はい。たとえば、「コードギアス反逆のルルーシュ」(2006~07)の16話の時は、佐々木睦美さんと半パートずつ作監をしたのですが、自分は佐々木さんのパートの原画をやっています。このお話でルルーシュは、人の思考を読み取るギアスを持つ、マオとチェスで勝負するのですが、負けてしまいます。その時のルルーシュの絶望シーンから、マオを倒すところまでをやらせてもらいました。ほかにもいろいろな作品で原画も担当しています。