「究極」の作品ってある。
それは最新が最高とは限らない。
というかほとんど関係ない。
例えばモナリザを超える絵画ってあるんだろうか。
ミロのヴィーナスより美しい女性を知らない。
『デビルマン』以上の漫画ってあるのか。
『エヴァンゲリオン』は
アニメの一つの究極型だ。
『東京物語』は日常系の、
『七人の侍』はアクション系の究極の邦画だ。
洋画なら『風と共に去りぬ』『ゴッドファーザー』か。
漱石の『こころ』、太宰の『人間失格』もそう。
『ローゼン』を観ていてそんなこと思う。
このアニメも一つの究極型だ。
ゴスロリに限らず、萌えキャラ全般を通して。
ここまで来たかの感がある。
もはや人ではない。
「源流」はいまだかつてなく、新しい流れを作った。
「究極」はオマージュの完成型だ。
リスペクトは止むことがない
『ローゼン』を知らないのは人生の欠落。
そう思う
大泉実成が『萌えの研究』で
『ローゼン』のことを書いている
「男性主人公に対する女性ヒロインの数が増え
妹とか双子とかメガネとかいったふうに
キャラクターが類型的にカタログ化していく。
しかし、ハーレムアニメも頂点に達し、
いわば飽和状態になっていた。
そういう時期にあらわれたのが『ローゼン』で
非常に個性的なキャラクターの人形たちの登場と
その特異な世界観は新鮮だった」
「翠星石は基本的に癒し系のキャラ。
ものすごい臆病で何かあるとオロオロしてすぐ隠れる。
同時に、ものすごい毒舌。
主人公に向かって『下等生物にもわかるよう簡単な
言葉で言ってやったです』と言い放つ。
性悪腹黒で悪いことをたくらんでいるが
スケールが小さすぎてかわいい」
「乳酸菌摂ってるぅ~?」(水銀灯)