恋をしました。
瀧に、三葉に、風景に、音楽に、そしてこの壮大で甘酸っぱい物語に。
瀧や三葉と同世代の人間として、この映画を劇場で観られたことを心から嬉しく思います。たかだか20歳の大学生である私が言うのも、少々生意気ではありますが、『君の名は。』は人生で一番おもしろいと思えた映画です。「おもしろいって何がどうおもしろいの?」と言われても困ります。何故なら、本当に心の底から、自然とそう思えてしまうからです。また、論じようと思えば、いくらでも論じることができますし、一つだけ、個人的な本作最大のポイントを紹介させていただきます。
それは、無事に彗星から糸守町民を救った後、「瀧と三葉はお互いの名前や記憶を忘れてしまう」という点です。いや、正確には「大切なものがあったこと」は覚えているということが、プロローグの現代編で瀧と三葉が明かしています。
なぜ二人はお互いの記憶を失ってしまったか。それは、宮水家の血に伝わる不思議な力の効果であり、本来あってはならない瀧と三葉の間の時間のずれを直すためであり、もしかすると製作上の都合であったり…。考えようと思えば多くの理由が考えられるでしょう。また、この物語を創り上げた方々はその正解をご存知かもしれませんし、はたまた正解なんてものは存在しないかもしれません。
では、何をもって私がこの点を本作最大の見どころとしているかと言えば、それは「私たちにもその可能性を信じさせてくれる」ということです。この映画を観た多くの人が、自らを瀧や三葉に重ねて、彼らのような若く、切なく、それでもって純潔な出逢いを夢見ることでしょう。そもそも、ありそうでなかった「夢の中で知らない異性と入れ替わる」ストーリーを一度は体験してみたいと思う人も多いのではないでしょうか。
「とは言っても、所詮映画は映画であって、現実にはこんなこと起こらない。」もしかすると、僕もこう考えていたかもしれません。でも、違いました。私も、私の友人も、気になるあの人も、はたまた見ず知らずの異性も、みんなどこか夢の中で入れ替わってるかもしれません。ただ、私たちがそれを覚えていないというだけで。
そう考えると、新海誠監督の必殺技である風景描写と相まって、単なる日常もとても素敵で希望に溢れる一人一人の大切なストーリーだと気づくことができました。
「大切な何か」が、何なのか、どこにあるのか、いつ出会えるのか。もちろん誰にも分かりません。でも、その遠くない昔に、もしかしたらその「大切な何か」を一緒に創った「大切な人」にいつか出会えたらーー。
そんな淡い期待を胸に、今日も大都会東京へ繰り出します。