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自分で作ってみんなで投票しよう!この夏お遍路しました。
順打ち遍路の出発点。親しみをこめて「一番さん」と呼ばれている霊山寺は、いつもたくさんのお遍路さんでにぎわっている。
弘法大師がこの山を訪れると、黄金の地蔵菩薩の小さな像を、2羽の鶴が守っていた。
もとは金光明(こんこうみょう)寺といったが、弘法大師が境内に黄金の霊水が湧く泉を発見されてから、金泉寺となった。
車で行けるのは、ふもとの岩屋寺橋まで。境内までは、森の中の細く急な参道を徒歩で登る。
「西の高野山」と呼ばれる阿波屈指の名刹で、広大な伽藍には、本堂、大師堂、多宝塔などの諸堂が林立する。
土佐の名刹・竹林寺は、五台山の上、高知市街と浦戸湾を一望できる抜群のロケーションにある。
土佐の国、最初の札所は、室戸岬の先端に立っている。
海抜320mの台地の上に立つ岩本寺は、四国霊場で唯一、阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王、薬師如来の5仏を本尊としている。
寺の開基は弘法大師。昔から温泉が湧いていたこの地に、衆生を病苦から救う薬師如来を安置したことによる。
標高938mの焼山寺山の山腹にあり、八十八カ所の難所のひとつ。
弘法大師の母、玉依御前(たまよりごぜん)が、この寺に息子を訪ねてきたが、女人禁制だったために会えない。
仁王門から先は長い石段だが、両側の日本庭園が足どりを元気づけてくれる。納経所の向かいには霊水「神峯の水」も湧いている。
唐に留学していた弘法大師は、帰国する際に、五鈷杵(ごこしょ)、三鈷杵(さんこしょ)、独鈷杵(とこしょ)という3種類の密教の法具を投げて、霊場建立の地を祈念したという。
赤亀が梵鐘を背負ってきて寺に奉納したという伝説が山号の由来。
天平年間に、聖武天皇の命により、全国に国分寺、国分尼寺が建立された。
薬王寺の本尊は、弘法大師が厄除け祈願のために刻んで納めたという厄除薬師如来。
古来より修験者たちが修行する場所だった行当(ぎょうどう)岬。岬の高台、鬱蒼とした森の中にある金剛頂寺は、弘法大師が密教の道場として開基した。
「みねんじさん」と呼ばれ親しまれている禅師峰寺は、峰山の山頂にある。
弘法大師が開基。当初は高福寺と称していたが、仏師・運慶親子が本尊などの仏像を手がけたことから慶運寺と改名する。
清滝寺は、「八丁坂」と呼ばれるつづら折りの山道をのぼった先にある。
開基は弘法大師。この地で修行していると、多くの菩薩たちとともに弥勒菩薩が現れ、説法を行った。
民家や商店の並ぶ町並みのなかにある観音寺。二層の鐘楼門の左右には、寄進者の名を刻んだ石柱が並んでいる。
もとは妙照寺と号したが、弘法大師が水不足に苦しむ村人を哀れみ、一夜のうちに錫杖(しゃくじょう)で井戸を掘ったことにちなんで「井戸寺」となった。
修行する弘法大師の前に、空中に五色の霊雲がたなびき、金色の梵字があらわれた。
生きている楠(くす)の樹に、弘法大師が爪で刻んだといわれる薬師如来像が、奥の院に安置されている。
この寺で修行したときに現れた阿弥陀如来を、弘法大師は像に刻んだ。
地元の人から「あげいしさん」と呼ばれているのは、美しい女神が願をかけ深夜に大石を山の上まで運びあげていたという伝説に由来する。
松山市内で最初の札所が浄瑠璃寺。境内には、説法石や仏足石などの石がある。
寄棟造の本堂は室町時代に領主・河野通宣(こうのみちのぶ)が再建したもの。
弘法大師が、勝軍(しょうぐん)地蔵菩薩を彫り、これを本尊として開基した。
古い様式かつ豪壮なことで四国霊場随一とされる仁王門。
のどかな田園の中にあり、親しみを込めて「田中の法輪さん」と呼ばれている。
この地を巡錫していた弘法大師が、衣を繕うための布を機織りの娘に求めると、娘は織りかけの布を切って差し出した。
弘法大師が、刻んだと伝えられる薬師如来を本尊としたことがこの寺の起こりで、五色の藤を植えたことが寺の名の由来という。
大日寺は、かつては県道を挟んだ向かいにある一宮神社の別当寺(神社に付属して建てられた寺)だった。
本尊は、光明皇后の安産を祈願して行基が彫ったという1寸8分(約5㎝)の延命地蔵菩薩像。
室津港を見下ろす耶麻の上にある。地元では「津寺(つでら)」と呼ばれ、大漁と海上安全の寺として信仰されている。
奈良時代に聖武天皇の勅願により建立された土佐の国分寺。
土佐神社の別当寺として、弘法大師により30番札所に定められた。
敏達(びたつ)天皇の時代、四天王寺建立のため百済から招いた仏師たちが、帰国途中嵐にあい、この地に漂着。仏師らが帰路の安全を願って刻んだ薬師如来像を、のちに弘法大師が本尊とした。
37番岩本寺から、四国最南端の足摺岬に立つ38番金剛福寺までは、土佐湾に沿っておよそ100㎞の道のり。
平城(へいぜい)天皇の勅願により、弘法大師が開基。境内には平城帝の遺髪を納めた五輪塔がある。
地元の人たちから「三間(みま)のおいなりさん」と呼ばれ親しまれている龍光寺。
弘法大師が、牛を引く老人についていくと、楠の古木の上に光るものを見つけた。それは大師が唐から投げた宝珠で、大師は楠の木で大日如来像を刻み、眉間に宝珠を納めて、この地を霊場に定めた。本尊の大日如来は牛や馬の守り仏として信仰を集め、現在はペットの供養に訪れる人も多い。
明石寺から大宝寺までは、歩き遍路なら3日かかる難所。
修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が開山した寺で、かつては修験道の道場として栄えていた。本尊の阿弥陀如来は寄木造の座像で、県の重要文化財。
田園のなかにあるのどかなお寺。内川の清流にかかる橋を渡ると仁王門で、くぐった正面に本堂がある。
この地で修行していた弘法大師が、大日如来を感得し、その姿を像に彫り、本尊として安置したことが、この寺のはじまりとなった。
繁多寺は淡路山の中腹にあり、境内からは松山城や松山市街が見渡せる。
安楽寺から西へ1㎞ほど行けば十楽寺。弘法大師の開基。
[2018-09-26 19:08:53]
[2018-09-16 04:07:02]