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善通寺は、弘法大師ご誕生の地として知られる。
近くに日本武尊(やまとたけるのみこと)ゆかりの「弥蘇場(やそば)の泉」が湧いている。
寺は標高300mの作礼山の山頂にあって、境内からの眺めが素晴しい。
五色台の1つ、白峰山の山腹にある。
西日本最高峰の石鎚山は、山岳信仰の霊地として名高い。
弘法大師が開いた花蔵院(けぞういん)と智証大師が開いた千手院(せんじゅいん)、この2院をまとめて「根香寺」と号したという。
役行者(えんのぎょうじゃ)が開基した寺で、石鈇山修験道の総本山。
この寺の歴史はとても古く、推古4年(596)、讃岐の豪族・佐伯氏の氏寺として建立された。
石手寺は道後温泉にほど近く、屋根のついた参道には、仏具やみやげ物、名物のおやきなどを売る店が並んでいて、お遍路さんだけでなく、湯治客や観光客でにぎわっている。国宝の仁王門は、鎌倉時代に造られたもので、国宝に指定されている。
嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基。
この地で弘法大師は、金色に輝くヒノキの木を見つけ、その木で本尊の毘沙聞天、脇侍の吉祥天、善膩師(ぜんにし)童子を刻んだという。
弘法大師がこの山で求聞持法(ぐもんじほう)を修したとき、5つの剣が天降り、蔵王権現が守護の神託を告げた。大師はその5剣を山に埋め、山の守りとし、五剣山と名付けたという。また大師は、唐に渡る前、成果を占って8つの焼栗を山に埋めた。帰国後、栗は8つとも無事に成長していて、それが寺名の由来という。
推古天皇33年(625)の創建。本尊は十一面観世音菩薩で、脇侍の不動明王、毘沙門とともに平安時代の作。
本尊の十一面観世音菩薩は、光明皇后の姿を模して弘法大師が刻んだという。
讃岐の国最初の札所であるが、住所としては徳島県にある雲辺寺。
讃岐の國分寺。西暦741年、聖武天皇の勅願により行基が開基。境内に残る巨大な礎石の数々が往時の大伽藍を彷彿させる。
田村神社の別当寺だったが、江戸時代に別当職を解かれ、仏教の寺となった。本尊は、弘法大師が刻んだとされる聖観世音菩薩。
聖武天皇の勅願で各地に置かれた国分寺の1つ。
観音寺市の人々から「おかんのんさん」と呼ばれ親しまれているお寺。
平城(へいぜい)天皇の勅願により、弘法大師が、一夜ほどの短期間で本堂を建立した。
結願の寺。讃岐山脈の山中にあり、胎蔵ヶ峰を背にして本堂がある。
町中の道路ぎわに仁王門が立つ。境内の中央には二層の中門がある。本堂の欄間にある巨大な龍の彫り物は、左甚五郎作と伝えられる。
今治市中心部で、別宮大山祗(べっくおおやまづみ)神社と隣り合っている。
今治市内を流れる蒼社(そうしゃ)川は、かつてはたびたび氾濫し、多くの命を奪っていた。
用明天皇の病気平癒を祈願して、聖徳太子が開基。
本尊の十一面観世音菩薩は、開運厄除のほか、子授けや安産にご利益があるという。
68番神恵院と69番観音寺は、同じ境内にある霊場で、共通の山門に、2つの寺名を左右に掲げてある。
弥谷山の中腹にある弥谷寺は、弘法大師が8歳から13歳まで修行した場所。
7歳の弘法大師は「仏道に入って人々を救いたい」と発心。我拝師山に登って、「願いが成就するなら霊験を、さもなければこの身を諸仏に捧げます」といって断崖から身を投げた。すると釈迦如来があらわれ、天女が大師を抱きとめたという。のちに大師は釈迦如来を刻んで本尊とした。
甲山のふもとで「この地に寺を建立せよ」と告げる老人に出会った弘法大師が、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置したのが甲山寺の起源という。
園城寺を本山とする天台寺門宗の別格本山。
土地の豪族・和気道隆(わけのみちたか)が、光を放つ桑の木に矢を射ると、乳母に当たって、亡くなってしまう。供養のために道隆は、桑の木で薬師如来像を刻み、堂を建て安置した。
奈良時代に行基が開基。
源平の合戦で有名な景勝地・屋島。寺はその山頂にあり、車遍路の場合、屋島ドライブウェイを、瀬戸内海の風光を愛でながら山頂へと向かう。
長尾寺は町の中にあり、近隣住人の憩いの場ともなっている。
用明天皇2年(586)、豊後の国の真野(まの)長者が、難破をまぬがれたお礼に一夜にして本堂を建立したのが、太山寺の起こりという。
もとは円明寺といったが、明治になって延命寺に改名した。
東大寺の末寺として、天平14年(742)の建立ではないかといわれている。嵯峨天皇により再興。
[2018-09-26 19:17:41]
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