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「アニメでも実写でもない、見たことのない新しい映像」ははたして存在するのか?
── 神山監督は「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」を少年時代に見て、それがキッカケで映画監督を志したと言っていましたよね。そういう意味では、夢がかなったのでは? 神山 うーん、ある意味そうですね……。ただ、「ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」(2017年)のとき、それまでつくってきたいろいろなものをひと区切りさせようと思いました。それから先は何も考えず、とりあえずがむしゃらに作品をつくっていこうと思っていたら、いつの間にか「スター・ウォーズ」に関わったり、今のような状況になっていた……という感じで、特に長年の夢がかなったという感慨はありません。「あいつは、がむしゃらにがんばっているから撮らせてみようか?」と、周囲に思ってもらえたのかもしれません。
── 同じ「スター・ウォーズ」でも、続三部作のうち2本を撮ったJ.J.エイブラムス監督は賛否両論にさらされましたよね。それに比べると、神山監督の立場はかなり自由な気がするのですが? 神山 確かに、日本のアニメ監督は世界一恵まれているのではないかと、僕も思います。「永遠の831」は僕のオリジナル脚本ですし、これだけ作家主義で自由につくらせてくれる環境はないかもしれません。とはいえ、映画監督がいちばん戦わなければいけない相手は何かというと、製作状況なんです。
── 「ULTRAMAN」(2019年)以降、荒牧伸志さんと一緒に3DCGアニメを監督していることは大きいのではないでしょうか? 神山 確かに、荒牧さんに誘われなければ、今のような状況にはなっていなかったと思います。「2人体制で監督するのは難しくないの?」とよく聞かれますが、そんなことはなくて、荒牧さんと3本撮ってきて、今後も一緒にやれると思っています。ある意味、僕に欲がないからできた体制かもしれません。
── 「攻殻機動隊 SAC_2045」では、キャラクターデザインにイリヤ・クブシノブさんを起用しましたよね? そのせいか、士郎正宗さんの原作漫画「攻殻機動隊」のフェティシズムがかなり薄まったように感じています。 神山 彼の絵にフェティシズムがないわけではなくて、むしろ、僕が作品にフェティシズムを出せないのかもしれません。「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」(2002年)の頃から、そういう傾向はありました。「攻殻機動隊 SAC_2045」でイリヤさんを起用したのは、変態性とは別の意味でのフェティシズム、絵の持っている説得力が欲しかったからです。しかし、それすらも、3DCGの映像になると薄まってしまう。あまり人に言われたことはないのですが、僕が勝手に自分がいちばん近い監督は富野由悠季監督だと思っています。富野監督はアニメをつくっているのではなく、アニメを使って何か訴えたいものを表現しているように見えます。僕も「東のエデン」(2009年)以降から、じょじょに「アニメをつくっていないな」という感覚があって、3DCGでつくるようになって「これはCGではあるけど、確かにアニメだ」と言わせる説得力がなくてはまずいぞ……、という気持ちが強くなりました。
「CGで何かアニメ的な映像をつくっていれば、それでいいのではないか?」と思っていた時期もあります。荒牧さんはCGでつくっているんだから、「アニメでも実写でもない見たことのない何か」をつくりたいのかもしれません。だけど僕に言わせれば、その“見たことのない何か”は、何物でもない。誰も見たことのないものは、存在しないと思っています。強いて言うなら、そこが僕と荒牧さんの唯一の齟齬(そご)なのかな。僕たちがつくっているのはアニメなのか、実写になろうとしている途中の成果物なのか、それを決めようよ……と葛藤していたのが、この3年間でした。
富野監督は絵描きでないがゆえに、いろいろなキャラクターデザイナーを呼んできて、自作のアニメたり得ない部分を補っているように見えます。僕も同じで、「東のエデン」のときは、羽海野チカさんにキャラクターを描いてもらったおかげで、アニメをつくっている感じ、アニメだからこそできる表現を、テーマよりも前面に出すことができました。
── 焦ったときにキャラクターの額に汗の記号が浮かんだり、驚いたときに目が穴のようになる漫画的な表現がありましたね。 神山 だけど「東のエデン」以降、特に3DCGになると、フェティッシュな部分が出しづらくなりました。「ひるね姫」も手描きアニメで、自分でも原画を描いているぐらいだから、「アニメをつくっている」のは確かなんです。だけど、アニメのいいところ、アニメならではの面白さを生かし切れていない。「テーマを消化するための何か」をつくってしまいました。