うまい原画マンに感謝を込めた「落書き」
─作画監督をする際に心がけていることは?
横田 「作品の底上げ」ですね。「明日中に上げてくれ」みたいな余裕のない現場だと、キャラクターを整えるだけになったりするんですけど、時間のある作品は可能な限り1カット1カット、底上げをするようにしています。「ここにもう1枚あれば、もうちょっとなめらかに動くな」とか、そういうところは可能な限りやっていくという考えです。芝居面に踏み込む時には、監督や演出さんとも積極的に話をしています。あとすばらしいカットが上がってきた時には、めっちゃ落書きしますね。
─「落書き」というのは?
横田 「ありがとうございます」というメッセージの横に、変な絵を描くんです。知っている人とか友達だとそこら辺が顕著になって、落書きのほうが多くなる時がありますね。向こうもうまい人なので、さらにうまい落書きが返ってきて、ニコニコしているという(笑)。落書きが作監やる時の楽しみのひとつになっていますね。
─原画を描く時のこだわりは?
横田 若い頃はどうやったら目立つかしか考えていませんでしたが、今は監督や演出さんが望むカットになるよう最善を尽くしています。あとは、仕事ごとに新しいことをやろうとしています。「今回はデジタルだけで描いてみよう」とか、「このカットを10分で描く縛りを設けてみよう」とか、「この作品は全部、写真を撮ってやってみよう」とか。それによって何か自分のパラメーターの変化があるかもしれない、と思ってやっていますね。
─そのほかにお仕事のやり方に関して、独自ルールみたいなものはありますか? たとえば、フリーのアニメーターさんにはスタジオに通われる方と、自宅で仕事をされる方がいらっしゃいます。
横田 自分はスタジオでしか仕事をしないと決めています。家だと一切仕事をしない環境にしているんです。鉛筆やペンすらないので。だから家から物を発送しないといけない時は、すごい困るんですよ(笑)。
─ご出勤は決まった時間に?
横田 昔は昼夜逆転で、スタジオ入りもバラバラでした。でもそれで体がおかしくなったので、最近はちゃんと起きようと思って、部屋のカーテンを外して枕の位置も調整して、まぶしくて起きるようにしています。
楽しそうな作品に参加したい
─作品参加の基準はございますか?
横田 スケジュールやお金の兼ね合いもありますけど、「楽しそうなのが第一」ですね。
─横田さんが「楽しそう」だと思える仕事とは?
横田 アニメだと、キャラクターデザインや監督・演出さんが憧れている人かどうかですかね。あとは必ずコンテをもらって、コンテがおもしろいなと思えたら、参加するようにしています。
─成人向け作品も抵抗がないとのことでしたが。
横田 おもしろそうだったら全然やるので、ご依頼のある方はぜひご連絡ください。
─制作会社も参考にされますか?
横田 知らないところに飛び込むのも好きなので、そこは特にこだわりはないですね。
─「三ツ星カラーズ」はどういったご経緯で参加されたのでしょうか?
横田 「のんのんびより りぴーと」(2015)まで遡るんですけど、自分が「『のんのんびより』が好きだ!」と言っていたら、「りぴーと」のオープニング原画の話をいただけて、がんばって動かしたらアニメーションプロデューサーの中川二郎さんに、「この人は、ちっちゃな女の子を動かすのが得意かもしれない」と思っていただけたみたいで、「三ツ星カラーズ」も紹介していただきました。
─オープニング原画だけ参加をされた作品も多いようですね。ここにも何かこだわりが?
横田 オープニング原画だと数カットだけなので、スケジュールが確保しやすいのが第一です。アニメのオープニングって曲に合わせたアニメの気持ちよさ、音楽と画面が合った時の気持ちよさってありますよね。自分は音楽MADや作画MADが好きで、ニコニコ動画にアップされていたものも観ていました。あと「エヴァンゲリオン」のBlu-ray BOXに、副監督の摩砂雪さんが編集されたミュージッククリップ集があるんですけど、ああいうのとかすごい好きです。
─「FORTUNE ARTERIAL 赤い約束」(2010)はオーガストのアダルトゲームが原作ですが、オープニングはどういったカットを担当されたのでしょうか?
横田 最初の裸リボンです。原作デザインのべっかんこう先生が好きなので、やれてよかったと思います。
─「ソラとウミのアイダ」(2018)、「うちのメイドがウザすぎる!」(2018)、「世話やきキツネの仙狐さん」(2019)はいかがでしょうか?
横田 「ソラウミ」は水着とか、「ウザメイド」はミーシャがアイコンタクトを取るところですね。「ソラウミ」はキャラデの方に今まで散々手伝ってもらったからそろそろ恩返ししなきゃ、と思ってやりました。「仙狐さん」は七変化するところなんです。失敗しましたが。
バイクとゲーム実況が作業のお供
─息抜きでされていることは?
横田 YouTubeとバイクです。YouTubeはゲーム実況とモトブログ(編注:バイク走行中の映像)を観ています。今好きで見ているゲーム実況者さんは、カジテツ玉子さん、マグロヘッドさん、シラクサさん、ペリカンさんとか、もう引退してしまいましたが、ヤフミさんとか大好きでしたね。
バイクはサーキットも走っていて、KTMの「790 DUKE」とカワサキの「Ninja 250SL」に乗っています。サーキットの何がいいかって、近くで救急車もスタンバイしていて、安全が保障されたところである程度無茶ができるからなんですよ。公道でスピード出すより全然いいので、バイク好きの方はぜひサーキットに行きましょう。
─アニメ業界にもバイク仲間がいらっしゃるのですか?
横田 何人かいます。その輪を広げていきたいと思っているので、興味のある方はいつでもご連絡ください。
横田さんの現在の愛車「KTM 790 DUKE」
制作進行で業界を知り、AICでアニメーターに
─キャリアについて簡単にうかがいます。まずはアニメ業界に入った経緯をうかがえますか?
横田 大学3~4年の就活の時期に図書館で映画とかアニメを観ていたら、押井守監督のパトレイバーにハマってしまって。それで押井さんのインタビューを見ていたら、演出という仕事があるのを知って、演出になるための方法を調べたら、制作進行からスタートするルートがあると知って。それでufotableに応募しました。
なんでアニメーターというルートを選ばなかったかというと、当時出ていた「新世紀エヴァンゲリオン」(1995~96)の原画集とかを見ても、原画しか載ってないんですよ。レイアウトが載ってなかったので、アニメーターは皆、1発で原画が描けるものだと思い込んでいたんです。で、ufoに入ってみたら、どうやらレイアウトっていうのがあって、作画監督という人もいるらしいと知りまして。
─大学は美術系ですか?
横田 法学部です。将来は法律系の仕事をしようと思っていたのですが、アニメと再会しまって……。
─アニメーターへの転身はufotableで?
横田 違います。ufoはいろいろあって辞めて、半年間、ニートしていました。3か月を超えたあたりから、「さすがにそろそろ就活しないといけないな」と思った時に、ふとufoでの生活を思い出しました。制作進行って、いろいろなアニメーターの原画を見たりするじゃないですか。その時にすばらしいアニメーターの方と出会って、元絵描きとしてすごく刺激されました。それでufoの演出の人に「○○さんの絵とかほんとカッコイイですよね!」とか話していたら、「そんなに好きだったら、アニメーターになっちゃえばいいじゃん」って言われて。マンガ家のアシスタントやゲーム会社に応募することも考えていたんですが、その演出の人の言葉が頭の隅に残っていたので、「もう1回、アニメに戻ってみよう!」とAICに応募しました。
─なぜAICを選ばれたのでしょうか?
横田 AICがちょうどその時、20人くらい新人を募集していたんですよ。「20人もいたら受かるだろう」と思って応募したら、運よく受かって。
─アニメーターとしての最初のお仕事は?
横田 「東京魔人學園剣風帖 龍龍」(2007)の動画ですね。
─制作進行は固定給だったと思いますが、アニメーターになりたての頃のご生活は大変でしたか?
横田 AIC自体、アニメーターが生活できるように配慮はしてくれていたんですけど、隙あらば先輩におごってもらっていました。
─師匠的な方はいらっしゃいますか?
横田 AIC時代にお世話になった、牧野竜一さんです。最近だと「放浪息子」(2011)や「Re:CREATORS」(2017)のキャラデをされている方で、理想の人に教えてもらえてよかったなと思っています。恩を受けただけで返しきれていないので、いつか返せるように日々がんばっています。
「喰霊-零-」で初原画、「R-15」で初作画監督
─原画デビュー作は?
横田 「喰霊-零-」(2008)です。本当に迷惑しかかけなかったんですが、ていねいに仕事をするよう心がけていました。視聴者の反応もよくて、未だに好きだっていう人もいるので、大変でしたけどやってよかったと思います。
─作画監督デビュー作は?
横田 「R-15」(2011)です。知り合いに連絡したり、いろんな方にお手伝いしていただきました。今観返しても好きな作品ですね。
─キャリア上、転機になったお仕事は?
横田 ところどころ小さい転機がいっぱいあって、今に至る感じです。初めて作監をやった時も勉強になったし、別の仕事をやるたびにRPGで言うところのフィールドを変えたような新鮮な気持ちになって、楽しんでやっています。
あとやっぱり、熱い現場はいいですね。その意味で強く記憶に残っているのは、「喰霊-零-」、「放浪息子」、「傷物語」(2016~17)です。ラストのほうはスケジュール的にもタイトになったりして、そこを乗り切った時は異常な気持ちよさがあります。マンガで原稿を上げた瞬間みたいな謎のエクスタシーがあって、それがクセになるんですよね。
─「傷物語」は、フリーになられてからの作品ですね。
横田 AICを辞めて、シャフトに入ってからの仕事ですね。当時のシャフトって、自分と同世代のアニメーターが大活躍していたんですよ。それを見て、「うーむ すごい使い手の集まりだなぁ」、「自分もがんばらなきゃ!」と焦りました。シャフトの経験で、自分もレベルアップしたような気がしています。
─「傷物語」は原画と作画監督補佐で参加されています。どういったところを描かれたのでしょうか?
横田 「傷物語」は地味なところを点々と、100カットぐらいやりました。羽川はいっぱい描きましたよ。