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生まれ育った「町」は、そのままではいてくれない……。ドラマにこめられた想い
── てっきり、巨大な団地が大海原を進むスペクタクルな絵だけで企画したのかと思っていました。 石田 最初に、団地が海を漂流するイメージボードがあったのは確かです。それは自分もアニメで描きたいし、プロデューサーも「次回作はこれにすれば?」と面白がってくれました。でも、舞台を漂流する団地だと決めても、それに乗っかる男の子と女の子がどういう気持ちでいるのかは、ぼんやりとしたままでした。
── そこで起きるドラマを決めないと、映画にならないわけですね? 石田 人によっては、ここまでドラマを決めこまなくても映画をつくれるのかもしれません。短編なら、勢いだけでもつくれます。「陽なたのアオシグレ」(2013年)も、まだ勢いで乗り切れました(上映時間18分)。「ペンギン・ハイウェイ」は原作に助けられたものの、長編ともなると、ちゃんとドラマを意識していないと形にならないことがわかりました。今回は自分にとっては初のオリジナル長編なので、物語の発起点も最終責任も自分にあります。「ペンギン~」のときよりも意識を強く持っていなくては、作品は簡単に崩れてしまいます。どういう感情が映画の中心にあるのかを、自分がしっかり握っていなくてはいけない……という、強烈なプレッシャーがありました。
── 最終的に、航祐という男の子と夏芽という女の子が、ぶつかり合いながらも和解していくドラマになりましたね。 石田 会社(スタジオコロリド)には同世代のスタッフがいっぱいいるので、忌憚(きたん)なく意見交換できるいい場所でした。でも、みんなあまりに遠慮なく意見を言いすぎる(笑)。先ほども言ったように、おのおのが大事に思っている根幹にあるものって代えがきかないんです。「こっちのほうが簡単に面白くなるから」と主張されても、混ぜられるものではない。それでは作品にならないし、別の言い方をすれば、人格の無い作品になってしまいます。少なくとも、自分が監督名義でつくらなければならない作品の性質において、それは避けなくてはならない。「逆襲のシャア」において、シャアとアムロを介して伝わる監督の熱情が抜け落ちるようなものです。
悩みに悩んで、夏芽が団地という自分を作った居場所、失われていく思い出に何とか折り合いをつけていく話になりました。町というものは、壊しては作っていくものですよね。永遠にそのままではいてくれないわけです。そして、思春期にさしかかった夏芽本人も、変わらざるを得ない。彼女自身の変化と、移ろいゆく町とをシンクロさせ、並行して描けないだろうか……。そして、そういう夏芽の背中を航祐が押してあげる。強制するのではなく、痛みを理解するように航祐が夏芽に寄り添うことができないか。今回は、そういう人の感情が必要に思えました。企画をはじめた当初、いろいろな人たちの意見を聞いて会話を重ねたことは、自分が答えを探していく過程で、いい刺激になりました。自分の拙さも確実にあったはずですが、そんなやりとりの中で「いや、それは違うよ」と言えたことも、答えに近づく手がかりになりました。
── 団地や建造物が青い海の上を行きかう、爽快なシーンもいっぱいありますね。 石田 そうした映像的な疾走感、空間の面白さとは別のところで、ドラマを考えるのに時間をかけました。それは、かかるべくしてかかった工程です。僕は言葉よりもイメージ優先で考えていくタイプの人間なので、そんな自分がぼんやりと抱いているイメージを、どう形にすることができるのか。あらためて、こうして人に話すことで、新たに気付かされるものもありますね。
(取材・文/廣田恵介)
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