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アニメでジェンダー論を描いた『∀ガンダム』こそ、宝塚で舞台化すべき
富野 今日は、5本目(『V』「死線を越えて」)の話は、してもいいの?
── もちろんです。 富野 『G-レコ』はテレビ版ではバタバタとにぎやかにつくりすぎてしまったから劇場版5本にしたんだけれど、最後はロボット物で終わっていません。ちゃんと映画として終わっています。
つまり、テレビ版とは違うエンディングになっているんです。そういう形で終われたのは、僕ひとりの力ではありません。ドリカム(
DREAMS COME TRUE)さんに「G」という曲で手伝ってもらって、これはイメージソングとして扱っていいものではないから本気で使い方を考えねばと、1年半ほど悩みました……いわば、自分に“外圧”をかけたわけです。
そのハードルを乗り越えるのが、本当に大変でしたが、5本目では、「G」をイメージソングのような付け足しではない使い方をしています。しっかり、映画らしく終わっています。そういう意味では、トミノさんって、意外と音楽の使い方がうまいのかもしれない。誰も誉めてくれませんけれど(笑)。
── ところで、富野監督は宇宙に行くためのロケットについては、ずっと熱心に勉強なさってましたよね? 富野 いえ、勉強はあまりしていません。小学5年生のときにロケット大好き人間になってしまって、大学の頃まではロケット工学に憧れていましたけど、ロケットのほとんどは燃料であって、乗り物なんかではないと気がついてしまったんです。燃料というのは爆発物で、ようするにほとんどが毒物なんです。その毒物を大量に燃やして、運べる荷物はほんの少し。それに気がついてから、すべての技術論に懐疑的になってしまいました。人工衛星の高度まで人を乗せていって宇宙へ観光旅行するなんていう計画があるらしいけど、やれるもんならやってごらんと思ってます。地球を2周もしたら飽きますから。『G-レコ』は宇宙モノに見えるだろうけど、宇宙開発全否定の話です。明るい未来を描いていないんですよ。
── 科学に対する疑念は、『G-レコ』のあちこちに出てきますね。 富野 だけど、ロケットのような物やロボットらしい物がたくさん出てくるので、誤解されてしまうかもしれません。あれはアニメだから見せているだけであって、実際にはできないことばかりなんです。なので、僕の作品を見て「リアル」だとか「戦争を知ることができました」などと話すのは、いい加減にやめていただきたいんです。
── 今回、『G-レコ』は歌舞伎っぽいと感じたので、同じように感じている人はいないかとネットを検索してみたら、『∀ガンダム』を舞台にすべきだと言っている人がいました。 富野 『∀』で個人的に気に入っているのは、ジェンダー論をやれたことです。「ロランが女装して何が悪い!?」って。何よりも、「お姫様が2人ともそっくりさんで、どっちがどっちかわからなくなってしまったから2人とも脱がしてみたいよね」という欲望が全開している『∀』が、僕は好きですね。それが『ガンダム』と何の関係があるんですかと聞かれたら、「あんまり関係はないんだよね」と言えてしまう(笑)。
だけど、ものすごく腹が立っているのは、宝塚(歌劇団)に『∀』を舞台化してほしいのに、まったくオファーが来ないんですよ。いったいどういうこと!? だって、『∀』のディアナ様の設定は、モロに宝塚を狙ったんですよ。ディアナ様とロラン君の女装姿が出てきて、どうして宝塚さんが来てくれないの!? (男性である)グエンを、女の子の俳優が演じてくれても全然かまわないんだよ。本気で、宝塚さんで舞台化してほしいと思っています。
── 富野アニメの中には、演劇的な要素があると思います。 富野 『∀』は『かぐや姫』や『とりかえばや物語』をモチーフにしていますから、僕の作品のなかでは一番演劇的と言えるかもしれません。
是非とも『∀ガンダム』を宝塚さんで舞台化していただきたい。これだけ熱心に言うのには別の理由もあって、僕の先生(手塚治虫)が宝塚市の出身だからです。何より重要なのは、演劇人がアニメという題材に抵抗感を持たなくってきたという時代性があります。いま、『(風の谷の)ナウシカ』を歌舞伎でやっているんでしょう? アニメーションも、芸能の一員として仲間入りできたということでしょう。宝塚さんからオファーが来たら、即オーケーしますし、内容に注文もつけません。ただ、ちょっとだけ稽古現場を覗かせてほしい(笑)。
(取材・文/廣田恵介)
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