タイトル数は世界一! 全セクションの現場にも出席!!
─そのほかにも松倉さん独自のこだわりがあれば、お話しください。
松倉 今までの話とも関係あるのですが、自分は「監督指名のスタッフだけでは組まない」というのをすごく意識しています。あくまでも可能であればですが……。なぁなぁになっていくのが一番よくないと思うんですよね。どこにウェイトがあって、どういうバランスで作るか、というのはタイトルごとに違いますから。できる限り新しい組み合わせにして化学変化を起こしたい、というのがありますね。「とある」の時も、監督の錦織博さんに「監督の知り合いなんか、ひとりも入れませんから!」と言って、彼を困らせました(苦笑)。
─冒頭で、プロデューサーは「監督が作りたいものを作らせる人」ではないとおっしゃっていましたが、人選でもそうしたお考えが反映されていますね。
松倉 監督に丸投げだけはしたくない。自分が関わる作品は、企画の立ち上げから参加して、シナリオの打ち合わせも、音響周りも、全部の会議に出席しています。想定したものとは違うものになっていくことも多々ありますが、最初に自分がイメージしたものができて、スタッフも原作サイドもよろこんでくれて、ビジネスも成功したみたいな形になると、やっぱりうれしいんですよね。
─31年間ずっと、すべての現場に出続けるなんて、すごいですね!
松倉 プロデュースしたタイトル数で言えば、自分は多分世界一なので(笑)、経験値は相当高いと思っています。「お金を出すだけのプロデューサー」もおられるので彼らを含めたらわからないですけど、「実際にものづくりに関わるプロデューサー」という意味で言えば、自分は間違いなく、世界で一番たくさん、タイトルをプロデュースしたと思っています。
─「動画検査」スタッフを多めにしているのも意図的なのでしょうか?
松倉 それはうちの制作体制の関係でそうなっています。社員アニメーターも大勢いるし、社員動画マンも大勢いるので、必然的に動検は多くなります。ずっと動検をやっているベテランもいますけど、基本的に動画→動検→原画というステップアップを踏ませたいと思ってます。近年は違ってきていますが……。
─近年、「動画のクオリティが下がっている」というお話もありますので、動画をしっかり経験することは大切ですね。
松倉 めちゃめちゃ落ちてますね……海外だけじゃなくたとえ国内であろうとも、動画のクオリティは確実に落ちていると感じます。
─息抜きは、やっぱりゲームですか?
松倉 必ずしもそうじゃないですよ。ゲームもやれば、音楽も聴くし、映画も観るし、本も読む。旅行はなかなか行く時間がないですけど、広く浅くいろんなことをやって気分転換をしていますね。
学生時代にゲーム会社でバイト、「お酒」で廻り始めたアニメの歯車
─キャリアについて簡単にうかがいます。松倉さんは京都府のご出身で、ゲーム業界に入るために、アニメの専門学校である代々木アニメーション学院大阪校に入学されました。過去のインタビューによれば、学生時代からすでにゲーム会社のトーセで働いておられたそうですね。
松倉 学生時代に「アニメの勉強してます!」というセールストークでゲームソフト開発会社のトーセに入って、実は、卒業したら社員になりたいって話までしていたんですよ。
─その時はゲームプロデューサー志望で?
松倉 最初はグラフィッカー志望です。代々木アニメーションでも作画の勉強をしていました。下手過ぎて、すぐにあきらめましたが……。
─そんな松倉さんが、アニメのお仕事をすることになったきっかけは何でしょうか?
松倉 お酒です(笑)。アニメの学校に行って、そのままゲーム会社で働いて、夜にゲーセンで働いて、満ち足りた生活を送っていたんですけど、半年ぐらい働いた時に、会社から振られた仕事で全く描けないことを思い知らされてしまいまして……。そこから次第に軽い企画のお手伝いをするようになって、グラフィッカーから職種を変え始めていました。そんな時に当時J.C.の社長だった宮田知行さんが、会社説明会ということで、代アニにやってきたんです。
自分も出席したんですけど、J.C.のことは名前すら知りませんでした。最後に、「夕方から葦プロダクションさんとお酒を飲みに行くから、興味のある人はおいで。ご馳走してあげるから」と言われ、タダ酒だというので、友人の千野孝敏さんや当時の仲間と一緒に参加することにしました。そして、3次会まで参加したところで誰かが突然、「そろそろ、J.C.組と葦プロ組で別れようじゃないか」と手帳を取り出して名前を書くように言ってきました。千野さんが葦プロ組になるというのを聞いてから、「なら俺は、J.C.組だ!」とあえて友人と違うほうを選びました。
そうしたら、3月頃にになって会社から「おまえはいつ、うちに来るんだ?」と電話がかかってきたんですよ。そこで思わず、「え? ほんとにあれで決まってたんですか? じゃあしょうがない、ゲーム会社で働いてるけど行きますよ」と言うと、「そっちはバイト、こっちは就職でしょ!」と怒られて(苦笑)。確かにその時はバイトでしたけど、引き続きトーセで働くつもりだったし、まさか自分が上京までして、アニメ会社に行くとは思っていませんでした。ちなみに、千野さんも葦プロに入っていて、今ではシグナル・エムディの取締役をしているんですよ。
─実際にJ.C.で働いてみていかがでしたか?
松倉 当時はアニメに興味がなかったし、ゲームが大好きだったので、すぐにでも辞めようと思っていました。最初は「ゲーム業界でもこれからはグラフィックがどんどん求められるから、アニメーターとか、いろんな人と知り合いになっておいたほうがいい手土産になるよな」みたいな、不純な動機で働いていました。とかやっているうちに半年が経ち、J.C.から「そろそろひとりでやってみなさい」と言われて任されたのが、高山文彦さんの「超時空世紀オーガス02」でした。
─一番影響を受けたという作品ですね。ついに、アニメの運命の歯車が廻り始めましたね。
松倉 当時は20歳でしたけど、高山さんの作る「オーガス02」は本っ当におもしろくて、気づいたらどっぷりと、アニメづくりにハマっていました。「オーガス02」を通じていろんな人やクリエイターとも知り合いになれたし、しかも終わる頃には次の作品のオファーまでいただけるようになりました。会社を通してじゃなく、20歳そこそこの自分に直接、仕事のオファーですよ? 他業界の会社員だと、普通はありえないですよね。そもそも、人から望まれて仕事ができる環境なんてなかなかないですよ。それでゲーム業界に未練がなくなって、「アニメ業界で生きていこう!」と腹をくくりました。そして気づいたら、31年間ず~っと、J.C.でアニメを作っていました。
─ちなみに、初めて関わった作品は覚えていますか?
松倉 OVAの「ウルフガイ」(1992)か、劇場作品の「アップフェルラント物語」(1992)のどちらかだと思います。
─プロデューサーデビュー作は?
松倉 劇場版「MAZE☆爆熱時空 天変脅威の大巨人」(1998)です。
我流だが、南雅彦さんを「心の師匠」に
─師匠的な方はおられますか? 宮田さんや高山さんでしょうか?
松倉 全部我流なので、師匠はいません。ただし、心の師匠はいます。ボンズの南雅彦さんです。
─直接師事されたわけではない、ということですね。南さんのどういったところを見習っておられるのでしょうか?
松倉 南さんのやり方は、「制作としてのスタイルの完成形」だと思います。自分より10歳年上なんですけど、20代の頃からちょくちょく南さんのお名前は聞いていました。昔から南さんはず~っと、「現場主義」なんですよ。南さん流のフィルム構築の仕方だとか、クオリティラインというのを作り続けていて、本当に尊敬できる先輩です。会社のあり方やスタンスの違いはあれど、制作としての矜持は、同じ部分があると思っています。自分も最後まで「現場主義」を貫きたいと思っています。
─キャリア上、転機になったお仕事は?
松倉 「超時空世紀オーガス02」は当然として、「少女革命ウテナ」も思い出深い作品ですね。「ウテナ」はJ.C.の本格的なテレビシリーズで、3クールもありました。ずっとOVA中心に作ってきたので、1クールアニメは作っていたんですけど、3クールも作るシステムはなかったんですよ。全く何もないところからシステムを立ち上げて、企画から最終話まで関わって一気通貫させた、とういうのはすごい経験値になりましたね。幾原邦彦監督には、何度も罵られましたが(苦笑)。
─「クドわふたー」(2021)では、クラウドファンディングにも挑戦されました。
松倉 クラウドファンディングに挑戦したかったのは、あくまでもビジュアルアーツさんです。うちではありません。でも、おもしろい仕掛けだとは思いましたね、問題点も含めてですけど。集まったお金をすべて、アニメ制作に回せるわけではないので、決して潤沢な制作費とは言えないんですよ。リターンのためのお金も、結構持っていかれるんです。いろいろ思いはありますけど、最終的にはファンのみなさんにもよろこんでもらえたので、やってよかったなと思っています。
「自分を曲げない勇気と自分を曲げる勇気」
─アニメプロデューサーに必要な資質能力とは何でしょうか?
松倉 知識と経験は絶対に必要なんですけど、自分としては「自分を曲げない勇気と自分を曲げる勇気」も大切だと思っています。みんな、小さいプライドに固執しすぎなんですよ。自分を持ってるから得られるメリットと、自分を持たないから得られるメリット、どっちもあるんです。「自分がイメージしたものをどうやって作るのか」というのが究極の目標なので、そのための手段は気に病む必要はないんです。プロデューサーは責任職なので、2つの勇気を上手に使い分けるべきだと思いますね。
─現在のアニメ業界について、何か思うことはございますか?
松倉 一番の問題点は、み~んな、アニメ作りすぎ。今の半分くらいで十分だと思います。自分としては数を減らして、空いたリソースでもっといろんな方向性の作品を作っていければいいのになと思っています。
─前出の大澤さんは、「ビジネスと現場の両方ができるプロデューサー」を育てることが急務とおっしゃっています。J.C.の若手プロデューサーはいかがですか?
松倉 大澤さんの言われることは不可能だと思います……。個人的には「どちらもできる半端な人」を育てるより、「どちらかに特化した人」を育てていきたい。どちらもできるのは、自分だけで十分ですよ(笑)。もちろん、コンテンツを作る能力とマネタイズをする能力は必須ですし、シビアな話として、プロデューサーが不足しているのも事実です。
2Dと3DCGの予算は適切か?
─今後挑戦したいことは?
松倉 自分は、2Dアニメと3DCGアニメの予算を逆転させたいですね。
─差し支えない範囲で結構ですので、ご説明いただけますか?
松倉 今は2Dの手描きアニメを、フル3DCGアニメの半額くらいの予算でやっているんですよ。手描きアニメは大変な技術職なのだから、ちゃんと適正な予算にしないと、人も業界も育たないと思います。海外で需要があるのは結局、手書きのアニメですし。でも、急には逆転できないのもわかっています。考えることがいっぱいですね……。
─最後に、ファンのみなさんにメッセージをお願いいたします!
松倉 アニメは観るのも楽しいけど、作るのはもっと楽しいですよ。自分も31年間、ず~っと飽きることなく、アニメを作り続けています。だからみんなも、一緒にアニメ業界で働こうよ!
●松倉友二 プロフィール
プロデューサー。株式会社ジェー・シー・スタッフ(J.C.STAFF)執行役員・制作本部長。京都府出身。代々木アニメーション学院大阪校在学中はゲーム制作会社に勤務。卒業後、J.C.STAFFに入社。「超時空世紀オーガス02」(1993~95)、「スレイヤーズ」(1995)、「少女革命ウテナ」(1997)などの名作に関わり、26歳の若さで「MAZE☆爆熱時空 天変脅威の大巨人」(1998)のプロデューサーとなる。その後は破竹の勢いで「彼氏彼女の事情」(1998~99)、「魔術師オーフェン」(1998~99)、「灼眼のシャナ」(2005~12)、「ゼロの使い魔」(2006~12)、「のだめカンタービレ」(2007~10)、「とある魔術の禁書目録」(2008~19)、「とある科学の超電磁砲」(2009~20)、「バクマン。」(2010~13)、「探偵オペラ ミルキィホームズ」(2010~16)、「WIXOSS」(2014~21)、「食戟のソーマ」(2015~20)、「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」(2015~22)、「斉木楠雄のΨ難」(2016~19)と、ロングランヒットを世に送り出す。プロデュースタイトル数も世界トップクラスで、「あずまんが大王」(2002)、「ガンパレード・マーチ 〜新たなる行軍歌〜」(2003)、「極上生徒会」(2005)、「よみがえる空 -RESCUE WINGS-」(2006)、「ハチミツとクローバー」(2005~06)、「とらドラ!」(2008~09)、「初恋限定。」(2009)、「青い花」(2009)、「神様のメモ帳」(2011)、「キルミーベイベー」(2012)、「あの夏で待ってる」(2012)、「リトルバスターズ!」(2012~13)、「監獄学園」(2015)、「ハイスコアガール」(2018~19)、「まちカドまぞく」(2019~22)、「処刑少女の生きる道」(2022)など枚挙にいとまがない(詳しくはwikiなどを参照)。名実共にJ.C.の顔であり、“アニメ界の成功請負人”とも言える鉄人プロデューサーである。
※株式会社ジェー・シー・スタッフ(J.C.STAFF) 公式HP
http://www.J.C.staff.co.jp/
※TVアニメ「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」 公式サイト
https://danmachi.com/
※TVアニメ「まちカドまぞく 2丁目」 公式サイト
https://www.tbs.co.jp/anime/machikado/
※TVアニメ「処刑少女の生きる道」 公式サイト
https://virgin-road.com/
(取材・文:crepuscular)