グッドスマイルカンパニー20周年を振り返る! オンラインイベント「WONDERFUL HOBBY LIFE FOR YOU!! 32」開催記念、取締役・秋山拓郎ロングインタビュー・前編!

2021年02月06日 17:000

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フィギュア、プラスチックモデル、アニメ、グッズ、ゲームなど日本が誇るあらゆるポップカルチャーの最先端を突き進むグッドスマイルカンパニーが、2021年5月に創業20周年を迎える。

そんなアニバーサリーイヤーの2021年2月11日から23日にかけて、オンラインイベント「WONDERFUL HOBBY LIFE FOR YOU!! 32(通称・ワンホビ32)」が開催される。

本イベントは、本来は2021年2月7日に開催予定だった「ワンダーフェスティバル2021[冬]」内で展開予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大にともない緊急事態宣言を受けての中止を受けて、グッドスマイルカンパニー(以下、グッスマ)独自で開催されることが決定した。

本イベントではオンライン上でグッスマの新商品や新情報が公開されるほか、オンライン上でイベント限定グッズの販売、生配信番組などリアルイベントに負けず劣らず充実の内容で世界中のホビーファンを楽しませてくれる予定だ。

 

今回、アキバ総研ではそんなワンホビ32開催に先駆けて、グッスマとともに歩んできた同社取締役・秋山拓郎さんにインタビューを敢行。20年に及ぶグッスマの歴史と、これからのグッスマについてたっぷり2時間にわたって語っていただいた。

およそ25,000字にもおよぶロングインタビューを前後編に分けてお届けしよう。

 

──今回は、グッドスマイルカンパニーが創業20周年を迎えるということで、創業当初からのメンバーである秋山さんに歴史を振り返っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

 

秋山 よろしくお願いします。グッドスマイルカンパニーの創業は2001年ですね。今の代表の安藝貴範と取締役の大沢淳子が創業時のメンバーになりますが、最初は芸能プロダクションをやっていたんです。もともと創業前は、安藝がバンプレストのタレント事業に携わって声優プロダクションをやっていたんです。その時に担当していたのが、「KiraKira☆メロディ学園」でした。

 

──浅野真澄さんや門脇舞以さん、榊原ゆいさんが参加していた、伝説の声優アイドルユニットですね!

 

秋山 そうです。そこのプロデューサーが安藝で、50~60人のタレントさんを抱えてグループを組ませて競わせたりさまざまな企画をやったりていました。

 

──完全にAKB48じゃないですか!

 

秋山 そうなんです。その走りと言ってもいいかもしれません。当時は声優マネジメントのかたわら、松戸にあったバンプレスト本社が入っているビル「ピアザ松戸」の地下に「コントンタウン」というホビーを集めたフロアを作りまして、そこにいろんなメーカーさん、ショップさんに入っていただいていました。その中に「プラモ道場」というスペースがあって、そこの道場主がMAX渡辺さんでした。ここで安藝と渡辺さんが出会っているわけです。これが1998~1999年頃ですね。ここで2人はどんどん仲良くなっていきます。

自分は「コントンタウン」を運営するバンプレストのロケーション事業部の新人で、「コントンタウン」の店員でした。そこで自分も2人と出会い、ホビーとも触れ合うという感じでした。

ただ2001年3月に会社都合で声優事業をクローズすることになったのですが、すでに次のお仕事が決まっていた声優さんもいらっしゃったので、そこの受け皿として設立したのがグッドスマイルカンパニーでした。2001年5月の設立時点では、まだ大沢しかいなくて、安藝はその後すぐにバンプレストを辞めて合流することになります。新松戸の小さな2LDKのコーポで事業を始めました。

 

──最初はタレント事務所だったんですね。

 

秋山 そうなんです。僕はその頃バンプレスト香港に出向することになり、一時期「コントンタウン」から離れるんですけど、その間に安藝がグッドスマイルカンパニーに移籍し、MAX渡辺さんも文筆業や講演活動をされていたこともあってグッドスマイルカンパニーの所属タレントとして活動しながら、本業であるホビーメーカーの「マックスファクトリー」も経営されていました。

グッドスマイルカンパニーはMAX渡辺さんとマックスファクトリーをお手伝いする形でホビー事業を始めたんですが、主業務であったタレントマネジメントでいろいろあり、頓挫しました。そこでマックスファクトリーというクリエイター集団をプロデュースしよう、という方向に大きくかじを取り始めたのが2003年くらいですね。

 

安藝貴範代表とMAX渡辺さん(ワンホビ公式サイトより引用 。2010年撮影)

──いきなり挫折というか、設立当初の事業を失敗しちゃっていたんですね。

 

秋山 手痛い失敗をしたそうです。その時は本当にいろんなことをやっていたみたいで、僕が合流する2003年以前は、全国にある釣具屋の「釣侍」の運営も手伝っていました。お店が忙しい時は安藝も手伝いに行って、アオイソメ80グラムを秤とか使わずにザクっとすくって出せるくらい熟練の腕だったそうです。

そういうのをやりながら、安藝はいろんな面白い相談が舞い込んだ時に、断れないというか、「じゃあ一緒にやりましょう」というスタイルでクリエイティブなことをサポートしたり面白いことを演出したりしていました。もともとそういう体質というか、本当にプロデューサー気質の人なんだなと思います。

というわけで2003年頃はまだマックスファクトリーの営業・製造・ライセンスのお手伝いをしていた時期で、まだメーカーとしては立ち上がってはいませんでした。

 

ワンフェス参加、そしてステージイベント開催!

──そして、いよいよ秋山さんもグッドスマイルカンパニーに合流します。

 

秋山 僕が最初に担当したのは、マックスファクトリーのMAX合金「ジェネシックガオガイガー」という初期の名作です。鈍器のような重さと鋭利なパーツが盛りだくさんという狂気の商品で、原型のパーツだけで400個以上ありました。そのパーツを全部確認して、仕様書にして工場に連絡して、というのが僕の最初の仕事でした。

2008年発売の「MAX合金 ジェネシックガオガイガー FINAL Ver.」。
2004年頃発売の初版をブラッシュアップして再リリースされた。

その後、他のメーカーでフィギュアの企画制作をしていたチームの方々から独立をしたいという相談を受けまして、「だったら準備ができるまで、一時期だけでもうちに居たら」という提案をさせていただいて、グッドスマイルカンパニー秋葉原スタジオを作り、そこで原型を作ってもらうようになりました。

安藝の考えとしてはホビーにはいろんな商品、考え、作風があっていいから、もっと多様な商品があった方がいいよねというものがあって、そういうタイミングでうちでやってくれるという方が出てきたので、「じゃあ一緒にやりましょう」という形でグッスマの商品が出始めました。

最初の自社ブランドフィギュアが『D.C. 〜ダ・カーポ〜』「1/8朝倉 音夢」でした。そのほかに『Fate』のフィギュアとかも作ったりした後に、準備ができたタイミングでそのチームは独立、それが今の「アルター」のメンバーです。

 

──そこにつながるんですね! 受けた相談を的確に打ち返している、という印象を受けます。

 

秋山 最初からわかっているわけではないと思うんですが、例えば原型師さんたちは自分たちがすごいことにあまり気づいていないんですよね。でも安藝からすると「それってすごいことだよね」「これをこんなに安く売っちゃうの?」「もっとたくさんの人に届けよう」ということで、お手伝いしていくスタイルでした。

この頃からグッスマにも原型を作れる制作チームができて、メーカーとして形成されていく過程で営業チーム、宣伝チーム、製造チームのようなメーカーとしての機能をそろえていったのが2005~2006年頃です。

 

──この時期にホビーメーカーとして一気に確立していく。

 

秋山 そうですね。余談ですが、ワンフェスに初参加したのは2004年でした。当初は卓2つ分のスペースでした。当時は今と違って企業ホールとかなかったんですよ。その時はトラスを立てるなんてことはどこもやってなくて、ちょっと目立つようにホームセンターで買ってきたような骨組みを作って、そこにのぼりを立てるディーラーブースがあるくらいでした。僕らは、当時はまだフィギュアじゃなくて『Fate/stay night』のアクセサリーとか売っていました。それが30個くらい完売して、「うおー!」って盛り上がってましたね(笑)。

その次くらいから場所を四角く島になるように卓を申請して、「じゃあ机はいらないよね」って机を取ってみたり、机は置いておく代わりに目立つようにトラスを立てて高さを出していいですかって海洋堂さんに相談して、新しいことをやってみては怒られという感じでした(笑)。

 

──同じような作りのディーラーフロアの中で、いかに目立つかを意識していたわけですね。

 

秋山 はい。そこで次はもっと人を呼ぼうという話になりました。すごい作品がたくさんあることを知ってる人はわかってるけれど、もっと大勢に知ってもらいたい。だから、まずはたくさんの人を呼ぼうと。そのためにまず用意したのが限定品でした。今となっては当たり前ですが、その場でしか買えない限定品をワンフェスに用意したのは、そこに人に来てもらいたかったからなんです。

 

──それまではワンフェス限定グッズはなかった?

 

秋山 当然ディーラーさんのアイテムはその日にしか買えないわけですが、メーカーがそういうことをやることはありませんでした。それからブースの中にステージを用意して、ゲストをお呼びして歌を歌ってもらったり、新作アニメを紹介するトークショーをしたり。そういったものをやって、とにかく人に来てもらって知ってもらおうということを始めたのがそれこそ2005~2006年ころですね。

ここには芸能プロダクションやゲームメーカーの営業をやっていた安藝の経験が生きていると思います。その辺のショービジネスの見せ方みたいなのは経験値としてあったので。

 

──海洋堂さんの反応はいかがでしたか?

 

秋山 最初はやっぱり渋かったですね。ステージにゲストを呼んで何をするの?って言われてました。最初に歌を歌った時なんて、音が大きいからボリュームを下げなさい!って注意されましたしね。だからスタッフの方が離れたらこっそり音量を上げたりしてました(笑)。

 

2010年開催の「ワンホビ11」のステージの様子(※ワンホビ公式サイトより引用 

──あははは。でもそれをお客さんも喜んでくれたと。

 

秋山 はい。今はイベントのお話だけをしていますが、ここ10数年、ホビー商品は受注に対してちゃんと供給することが当たり前になってきていますが、僕らが参入したばかりのホビー業界は決してそんなことはなくて、メーカーが商品を出すとなったら、まず数千個を作るわけです。作った後に、もしくは作っているときに問屋に案内して買ってもらうと。それで商品が残ったら在庫になって、足りなかったら「ごめん、在庫無いです」ってお答えする。

でもこれだと市場が大きくならないんですよね。足りない時は機会損失だし、在庫になるとお客さんの需要がわからなくなる。

そういう状況に対して、事前にしっかり宣伝してちゃんと受注をとろうということになっていきます。そして取った受注の結果に対してワンフェスなどを通じてお客さんの反応がわかれば、その感覚値やデータが蓄積すると予想が立っていくじゃないですか。そこ得た反応を製造に伝えて工場の準備もすると。そういう大事な情報を得る場として、ワンフェスの重要度がどんどん増していきます。

 

──当時は、まだまだフィギュアメーカーもほとんど存在せず、インディーズ感がありましたよね。そんな中、新興のグッドスマイルカンパニーが業界の既成概念を破壊し、フィギュアをマニアだけのものからメジャーなホビーに押し上げていった印象があります。

 

秋山 そう言っていただけると嬉しいですね。フィギュアという言葉自体もメジャーではなかったですし、当時は「フィギュアというとチョコエッグ?」みたいな時代でしたね。10数年前までは、小さい袋から完成品が出てくるものというような印象がありましたが、ここ数年でフィギュアというと大きくて細部まできちんと色も塗られている高価なキャラクター商品というイメージが、ようやく定着してきたと思います。

 

大ヒットシリーズ「ねんどろいど」誕生!

──2006年には「ねんどろいど」が始まりました。

 

秋山 最初は「ねんどろいど」という名前もありませんでした。もともと、うちのスタッフが「ネコアルク」っていう『月姫』に出てくるキャラクターがめっちゃ面白くてかわいい、これがこのくらいのサイズ感のフィギュアがあったら、すごくかわいくないですか?って言ったのがきっかけだったんです。試しに作ってみたら実際にかわいかったので、ワンフェスで売ってみようってなりました。

パーツを付け替えて遊べるし、必殺技とか再現できたら面白いよねって売ってみたら、事前の告知をしていたとはいえ、即完売してしまい「買えない!」という声がたくさんあがったんです。

「ネコアルク」って、オリジナルデザインからはそんなにディフォルメしてないんですよ。ですけど、この等身のバランスとかこのサイズ感って、何か気持ちいいよね、かわいいよねという実感が得られて、そこから「ねんどろいど」が誕生しました。「ねんどろいど」というネーミングは、粘土でつくったような柔らかいラインとか、人の形をしているというところから組み合わせて作った言葉です。

 

記念すべき第1弾! ねんどろいど ネコアルク 「換装!ブーブー顔」編

──ディフォルメキャラやそのフィギュアというと、それ以前は『ビックリマン」のキャラや『SDガンダム」などがありますが、それらとはまた違う体型ですよね。

 

秋山 僕もディフォルメの変遷の歴史を考えたりするんですが、『ビックリマン』や『SDガンダム』とかって四肢が少し広がっている「A」の字のようなシルエットになるんですが、「ねんどろいど」は頭部が大きくて四肢が細いんですよね。こういうバランスってそうありませんでしたが、「ねんどろいど」の広がりとともに一つのフォーマットになった感じはあります。

 

──それでいてちゃんと四肢が可動する。このフォーマットは大きな発明ですよね。

 

秋山 でも最初は認知されなくて、いろんなところに「グッドスマイルカンパニーと申します。『ねんどろいど』というシリーズがあるんですけど」と営業しても「何だかよくわからないので、今回はお断り」って対応されることが多くて……。確かに最初に知ってもらうまでは大変でした。フィギュアはなかなかおもちゃ屋さんの棚に並ばないじゃないですか。

 

──当時は家電量販店でも、今ほどホビー関連商品が置かれてませんでしたしね。

 

秋山 そうなんですよ。なので、しっかり事前に情報を伝える場所、方法。そしてそこできちんと受注をとって、きちんと提供して、需要があれば再版をするというようなことを、今は当たり前ですが、その頃からやり始めました。

2007年に「朝まで生ワンホビTV」という映像配信がスタートしましたが、これもユーザーの反応を直接見れた方が僕らの理解も深まるということで始めた取り組みです。ちなみにこれ以前から、実はインターネット番組を作っていたんです。ニコニコ動画が出る前の時期です。

 

──それはかなり早い時期ですね。

 

秋山 Twitterも2010年頃に公式アカウントを作りました。これは、ホビーメーカーとしてはほぼ初めてじゃないですかね。当時はTwitterの使い方を紹介するページを作っていましたし、ハッシュタグ「#WF」に年号と「winter」と「summer」をつけてワンフェス関連のことを呟こうと呼びかけたのも僕たちなんです。つまり勝手に始めちゃったんです。あはははは(笑)。

 

──話を「ねんどろいど」に戻しまして、初期は雑誌の付録など、いろいろな形で展開されてました。

 

秋山 やってましたね。「ねんどろいどぷち」って小さいサイズのものも出しました。それは「ねんどろいど」を周知させるための施策でもあり、効果は大きかったです。今はさすがに自社企画がかなり増えてきたので付録企画はあまりやっていませんが。

「ねんどろいど」の付録や特典企画で特に印象深いのは「呂布子ちゃん」ですね。『やわらか三国志 突き刺せ!! 呂布子ちゃん』のDVDを全巻買うと「ねんどろいど 呂布子ちゃん OVA Ver」を買える「権利」がもらえるという、ちょっとハードルの高い、「伝説のねんどろいど」になっちゃいました(笑)。

その時は、かわいくて面白いキャラクターでチャンスがあるなら何でも「ねんどろいど」にしてみようというノリだったんです。

 

ねんどろいど 呂布子ちゃん OVA Ver.

──でもそういう経験を重ねていく中で、売れるもの、売れないものもわかってきて。

 

秋山 はい。どんな販売方法をしたらいいのかというのもわかってきて、やっぱりいつでも買える状態にあるのが一番いいというところに落ち着きました。当時の「ねんどろいど」は3000円くらいなんですけど、全巻DVD購入ってまあまあの値段じゃないですか(『やわらか三国志』は全4巻)。例えばBlu-ray1本の付録で、「ねんどろいど」と合わせたくらいの値段だったら納得感はあるんですが、それ以上だと厳しいですねとか、抽選形式の販売のような、何かをクリアしないと買えないというのはそれ以降はあまりやっていないですね。

 

──「ねんどろいど」は、買いたい時にいつでも買えるカジュアルさみたいなところが魅力だというところですね。

 

秋山 買いやすさは大事だと思います。当時は新しいユーザーに届けられるなら何でもやろうという時代でした。「ねんどろいど」の初期ラインアップを見ると、PCゲーム系のキャラが多かったんです。マニアックなキャラクターからみなさんがよく知るキャラクターを商品化できるようになって、販売方法や買いやすさをすごく考えるようになりました。

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