【平成後の世界のためのリ・アニメイト】第6回 ウイルス禍の時代に考える「十三機兵防衛圏」(中編)

2020年05月16日 17:000

「ループ」をめぐる葛藤1──東雲諒子と井田鉄也

だが、それだけではまだ劇中の状況を理解することはできない。

上述のように恒星間宇宙航行はできても時間移動はできないというリアリティ水準が明らかになる中で、明らかにダイモス襲来による各セクターの崩壊をリセットして時間を巻き戻したかのような「以前のループ」に関する言動を行う大人世代のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)が、「エヴァ」のネルフよろしく、機兵の運用とセクター移動の秘密を裏で牛耳る各PCのシナリオの重要人物として存在している。

具体的には、機兵計画の中心人物であり、養護教諭としてパイロット適性を持つ生徒たちを監視する(そして関ヶ原編で殺されている)森村千尋、鷹宮編で特務機構のボスとして登場するほか、「ターミネーター」(1984年)じみた人型ロボット「ドロイド」を開発してさまざまな暗躍をする井田鉄也、そして現在の鞍部の正体である記憶を失った機兵パイロットの十郎とは別に、ダイモス襲来を防ぐためなら手段を選ばない危険なテロリスト「426」と化して潜伏を続けているらしい大人姿の和泉十郎の3名のことだ。

彼らの来歴や目的にまつわる世界の「ループ」とは何か、そしてなぜ異星開発のための重機だったはずのダイモスが各セクターを襲うのか。これが本作の物語に仕掛けられた第3の謎となっている。

 

この第3の謎解きへの誘導役となるのが、後半に解放される2年生の東雲諒子(CV:早見沙織)のシナリオである。鞍部や冬坂らの謎めいた先輩として姿を現し、鷹宮にとっては特務機構での秘密任務の先輩捜査員にあたる彼女の存在感は、ロボットアニメ史的には存外わかりやすい。実は東雲はセクター2(2060年代)出身で関ヶ原瑛の幼なじみだったのだが、セクター1(2100年代)での敗退のリベンジを期す機兵計画の一環で、森村とともに非常勤講師として咲良高校に赴任してきた井田にパイロットとしての才能を見そめられる。そして彼に恋慕し、同じくパイロット候補となった関ヶ原の心配をよそに、「井田先生」に認められることだけが至上の行動原理となってしまう。こうした関係性は、まんま「エヴァ」における碇ゲンドウと綾波レイ、あるいは「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(1988年)のシャア・アズナブルとクェス・パラヤといった関係に見られるような、「司令に調教される強化人間パターン」の踏襲だ。

かくして井田に利用される身となった東雲は、いよいよ2064年にも侵攻してきたダイモスからのセクター2防衛戦にあたり、彼の差し金で関ヶ原の搭乗する15番機兵に汚染ウイルスコード「DD426」をそうと知らずに混入。これが戦闘中に発動して全機兵が行動不能になったため、森村の指示でやむなく各機兵をパイロットごとランダムに強制転移せざるをえなくなるトラブルが発生する。

この機兵汚染事件により、12番機兵の沖野はセクター5(1944年)へ、13番機兵の和泉はセクター3(2024年)へ、15番機兵の関ヶ原はセクター1(2104年)へ、そして14番機兵の東雲自身はセクター4(1984年)へ飛ばされてしまう。そしてDD426の後遺症で、和泉・関ヶ原・東雲はそれぞれ徐々に記憶を失っていく障害に陥ったことが、彼らをめぐるシナリオの発端となったのである。

 

さて、では井田がこのように東雲を使ってわざと敗退を招いた理由とは何か。

その背景には、井田と森村が16歳だった高校生当時、この戦いの以前にも一度、世界を守るために奮闘しながら敗北しており、それをやり直すためにターミナルの機能を使って「ちょうど自分が生まれる頃の年に戻る」というリセットを、それぞれに経験していたという事情がある。具体的にはそれは、「セクター0」と呼ばれる領域をハッキングして自身の生体データを転移し、以前の肉体のまま16年前に巻き戻った新たな世界に降り立つ、というメカニズムによって実現される。つまり森村と井田は、なぜそうなっているのかは不明ながら、この世界が「いざとなれば16年間だけ時間を周回(ループ)できるもの」だと認識していたのである。

このようにして、以前のループからやってきた森村と井田が、出身セクターで同一人物が生活する矛盾が生じないよう、生まれたばかりの今周の自分をセクター4(1969年)に移し、かつ来たるべき時に戦力となるように部分的に記憶継承措置を施していたのが、冬坂五百里であり、網口愁だったわけだ。

 

この前提のうえで、2人の間に思惑の違いが生じていく。

まず、先達にあたる森村は、もともと2周前のセクター1で和泉十郎・沖野司とともに偶然、地下のターミナルでカウントダウンを発見したことから2105年のダイモス襲来を知り、沖野の犠牲によってセクター0経由で1周前のセクター1(2089年)のすみれ橋にループしたことから、和泉と2人でこの戦いを開始している(冬坂が夢で見た“前世”の記憶)。しかし1周前の世界では16年間かけて、機兵の前身兵器「98式二脚車両」(「機動警察パトレイバー」(1988年)へのオマージュ?) を準備する以外には有効な対抗策を立てることができず、その過程で過激なテロ活動を行って囚人番号426として捕らわれた和泉とも離ればなれになりながら、再び崩壊の日を迎えてしまう。そこでみずからの命を犠牲に、セクター3の住人で戦いの協力者になった井田を98式で再びループさせて2089年のすみれ橋に送り、16年前のまだ2周前からループしてきたばかりだった自分に、次こそは悲願を遂げるようメッセージを託したのである。

こうして世界崩壊とループを経験してすみれ橋で森村と合流した井田だが、1周前の世界では如月兎美と恋仲にあり、彼女もともにループしてくるはずだった。しかし、転移時の事故で如月らの人格データはセクター0にあるものの、肉体は再生されない状態になってしまっていた。このことから、井田は今周の戦いでは森村や沖野らと協力して機兵計画を進める一方で、セクター1の敷島重工の施設で如月そっくりのドロイドを開発して1周前の彼女の人格をダウンロードしつつ、この世界の如月兎美の肉体にその人格を移植するという妄念に取り憑かれていく。が、その非人道的な申し出は如月本人に拒絶され、さらに技術的な可能性を探る過程でやはりセクター0で人格だけの存在になっていた426との取引を試みたあげく、隙を突かれて如月ドロイドを奪われてしまう。こうした失敗を経て、井田としてはもはや今周で世界を救うことへの情熱を失い、もう一度世界をリセットして、次のループでの如月兎美の身体に、問答無用でかつての恋人の人格を上書きすることを願うに至る。

他方、森村は森村で、別の方向の敗北主義にとらわれ始める。彼女は今周のダイモス襲来を食い止めきれなかった場合、ターミナルの自己防衛機能であるイージスシステムをすべて解放することで怪獣を殲滅し、そのかわりに二度とループして世界を巻き戻せず、生き残った者たちが廃墟で残る一生を終えていくことになる「イージス作戦」に踏み切る覚悟を決めていくからである。

 

つまるところ、なんとしても世界をループさせて恋人との2人だけの幸福を取り戻したい井田と、(やむなくながら)ループを諦めて終末を受け入れようとする森村との路線対立にともなう諸々が、「追想編」における多くのPCたちのドラマの発生源になっていたのである。このループをめぐる両者の態度は、2000年代から2010年代にかけて、主にPCノベルゲームを発信源に新海誠や虚淵玄らのメジャー化を通じて一般アニメなどに膾炙した、ポスト・エヴァの代表的な作劇流行である「セカイ系」の類型を踏襲したものにほかならない。

特に井田のメンタリティについては、すでに触れたように亡き妻の面影への個人的執着から世界を始原の海に返す人類補完計画を実行した「エヴァ」の碇ゲンドウ的な妄念を原型に、望む結果になるまで何度でも世界をループし、犠牲を厭わず偏愛対象を救おうとする主人公たちの姿へと転じて肯定的に描いた「シュタゲ」や「まどマギ」、さらには前編冒頭にあげた「HELLO WORLD」のそれとも通底するのは明らかだ。その欲望の本質を、再びゲンドウ的なグロテスクに差し戻すことで浮き彫りにした点に、井田の闇堕ち描写の意義がある。

だが本作の批評性として興味深いのは、セクター3で2009年に生まれたインターネットネイティブ世代にあたる井田と同じ魂が、セクター4の1969~85年の時代環境に置かれると、それは網口の博愛ナンパイズムとなって世界の「外壁」を発見する役回りになるというルートを示してみせたことだ。網口編シナリオの終盤では、東雲を利用して世界をリセットしようとする井田と、因幡深雪(彼女こそ井田が執着した1周前の如月兎美の人格が、巡り巡って仮想アイドル化した姿だった)の導きで20番機兵を獲得した網口が正対を果たす。そこで網口は「俺は女の子を道具にしたりしない」と井田を喝破するのだが、これは2019年秋の2本の劇場アニメでも見られたような、思春期のイノセンスで堕落した大人になった現在を告発する贖罪願望であると同時に、「成熟」の主題を宿命づけられたロボットアニメのヒーロー像の、教科書的なまでのルネッサンスでもある。

すなわち、1980年代当時にあっては、「うる星やつら」の諸星あたる的な多情や優柔不断は決断回避の遊戯性に逃げるモラトリアムの属性とみなされていたが、鷹宮を本命にしつつ因幡や東雲も尊重し、そして鞍部や三浦や緒方ら男友達ともトライブの垣根を超えて付き合える網口の全方位的な距離感の巧みさは、一夫一婦的な家父長制の自明性が瓦解した現代にあっては、1周回って他者に過度な執着も道具化もしない、むしろ穏当な自立像・成熟像として再発見しうるという可能性を、この帰結は示唆している。

 

「ループ」をめぐる葛藤2──郷登蓮也と森村千尋

他方、ループを止めて有限の寿命を全うしようという森村の“倫理”的態度も、(たとえば「エヴァ」旧劇場版のラストのような)ミニマムな他者とのコミュニティを終末後のユートピア/ディストピアへの耽溺を暗に宿している点で、井田とは現実との折り合いの付けどころが違うだけで、やはりセカイ系的なメンタリティの範疇にある。

そして「追想編」の物語は、この森村の推進するイージス作戦をめぐる思惑の交錯から、最終盤の謎解きに向かっていく。この答え合わせ役を担うのが、最後に解放されるPCである2年生の郷登蓮也(CV:福山潤)である。ここまでの多くのシナリオで、彼は森村や井田ら大人世代と共謀して他のPCたちを機兵計画に利用する側で暗躍する参謀ポジションの人物として描かれてきており、彼に視点が移ることで、いよいよ事態の全貌が俯瞰できるようという仕掛けだ。

郷登は東雲や関ヶ原と同じくセクター2(2060年代)の出身だが、森村たちが今周での防衛戦を開始した当初から機兵計画に参加。高校生離れした思考力・洞察力で森村の片腕となり、ダイモス襲来を迎え撃つ準備を主導しつつ、ターミナルに残された2188年の断片的な記録やキーパーソンたちの証言などを手がかりに、独自にこの世界の真相を調査していく探偵役を担うことになる。

 

郷登が調査を進めていくドラマ上の原動力になるのは、真実を求めるハイスペックゆえの知的好奇心もさることながら、高校では教師の立場にあたる「森村先生」への若干ストーキッシュな慕情もあるという動機づけがなされており、その点は同じ2年生組の東雲と対照的である。それは井田に対する東雲のように盲目的な偏愛になることはないが、セクター5(1945年)にダイモスが襲来した際、森村がある目的で自身のクローン実験で制作し、三浦家に預けて5歳になっていた子供の「千尋」を拉致気味に保護、みずからの趣味と思しき幼稚園児服を着せてセクター4(1985年)に連れ帰るという変態チックな行動を取っている。

このあたりは、ロボットアニメ史的な脈絡に照らせば、彼のCVに「コートギアス 反逆のルルーシュ」(2009年)のルルーシュ役の福山潤が充てられていることからも察せられるように、全能感あふれるクールな知性派キャラに何らかのツッコミどころを用意することで感情移入可能にする2000~2010年代的な「残念なイケメン」類型を押さえた造形と言えるだろう。

ともあれ、郷登がこのように冬坂五百里に次ぐ「第3の森村千尋」である千尋(子供)を確保した背景には、森村(先生)が機兵計画の始動当初とは打って変わって、後ろ向きなイージス作戦に傾倒したことに不審を覚えたことから、千尋に封印された森村の人格・記憶を呼び覚まして探ろうという意図があった。そして郷登編での探求に加えて、関ヶ原編や東雲編での記憶遡及などを経て、森村が次のループを諦めた理由が、2188年の記録からついにこの世界の全容をつかんだことに起因していることが判明する。

 

すでに述べたように、2188年とは未来ではなく太古の年代であり、ナノマシンによる戦争で壊滅した地球から人類の最後の生き残りを深宇宙に放ち、悠久の恒星間航行の果てに適切な惑星をテラフォーミングして新天地にするという箱舟計画が実施された結果、そこからなら正しい歴史を歩み直せると信じられた時代を再現した5つのセクターに分かれたこの世界が成立している。だが、箱舟計画で送り出されたのは、「マクロス」や「メガゾーン」のような実際に人がその中で生きる都市宇宙船・世代宇宙船のたぐいではなく、あるいはコールドスリープ処置をされた個体群でもなく、戦火とパンデミックによる急激な絶滅から緊急避難的に逃れた、わずか15人の計画関係者(PCたち13人と沖野司、鞍部玉緒のオリジナル)の遺伝子データのみに過ぎなかった(という理由付けで、従来の恒星間移民SFからすると極端に少なすぎる移民者の数がエクスキューズされている)。

そうして2000万年以上の時を経て、自律稼働する播種船のひとつがついに居住条件に沿う惑星にたどり着き、テラフォーミングも完了。遺伝子データから15人のクローンの肉体を再生させて惑星に降り立たせる計画の最終段階で、彼らに人類としての文化とアイデンティティをインストールすべく、意識のみ仮想現実環境で地球時代と同様の生活体験をさせて成人状態まで育成している途上の状態にあるというのが、PCたちを取り巻く世界の真実であった。つまり、本作で表現される5つのセクターにある街も、沢渡美和子ら120万人の一般市民も、すべて精巧なVRとして作られた書き割りで、現実の15人の肉体は保育器の中で眠りながら培養されていたという、「マトリックス」(1999年)式の状況だ。

 

だが、ここで深刻なトラブルが生じる。本来の計画では仮想現実での育成は20年で終わるはずが、16年目に仮想環境内のセクター1の自動工場で怪獣を大量生産し、世界を滅ぼして育成をリセットしてしまう妨害プログラム「D(ダイモス)コード」が中枢コンピューターに埋め込まれていたため、そのたびにクローンが破棄され育成がやり直しになり、いつまで経っても現実世界に目醒めることができないという状況に陥ったのだ。これは、2188年に生き残った15人でさえ醜い殺し合いに陥った(また、当時もやはり井田との恋愛がこじれていた)ことに絶望したオリジナルの東雲諒子が、そんな人類の再生を阻止すべく、いまわの際に箱舟に追加したプログラムであった。

これこそが、タイムトラベル技術の存在しない世界でありながら、16年ずつの「ループ」が起きていたことの真相にほかならない。そして、すでにDコードの作用で何百回ものループが繰り返されてテラフォーミング完了から5000年以上が経過し、惑星に築かれた施設エリアの耐用年数が限界に到達。今回のループを最後にセクター0を含む施設そのものが作り直しになるため、もう記憶を保存してループを超えることはできなくなる。これが、森村がイージス作戦に踏み切った理由であった。同時にオリジナルの森村千尋こそが人類滅亡の元凶となったナノマシン技術を拡散した張本人だったことを知ったため、その事実ごと秘密裏に2188年の記録を闇に葬ろうとしていたのである。

 

かくして森村の挙動のトレースを通じて、ロボットアニメの系譜における本作のSF設定には、クラシカルな宇宙移民船ものの類型を採り入れた「メガゾーン」に加え、サイバーパンク以降の情報/生命科学ベースの知見を説明原理に、今世紀に入ってからのオンラインゲーム体験の普及をふまえて「ループもの」をテクノロジカルに再解釈した「ゼーガペイン」(2009年)とも、きわめて近い状況設定が採用されていることがわかる。すなわち、平和な学園生活を送っていると思われた日常が実は地域別のコンピューターサーバー上に再現された仮想世界であり、現実世界の人類はすでに侵略者によって滅ぼされている点や、データ容量の限界で仮想世界の時間が一定期間でリセットされて延々とループを繰り返す点、実は侵略者に対抗するロボット兵器のパイロットだった主人公が戦いで損傷して以前のループまでの記憶を失っている点など、本作の核心部分のモチーフや作劇上の仕掛けの多くは、「ゼーガペイン」で先取りされていたものだ。

同じサンライズ制作の同年のヒット作「コードギアス」の影に隠れ、「ゼーガペイン」は21世紀に入ってからのロボットアニメ全体の衰退傾向の中で、(熱心なSF系ファンの支持を除いては)あまり広範にはヒットしなかった地味な部類のタイトルだ。その意味では「十三機兵」とは、「ゼーガペイン」が試みながら2010年代アニメではあまり深められることのなかった情報テクノロジーとロボットアニメの関係をめぐる歴史的主題を、改めて再起動しようとした作品だったとも言えるのである。

 

後編では、いよいよ結末に至る主人公たちの選択の検証を通じて、その意味を洗い出していこう。

 

(後編につづく)

■筆者紹介
中川大地
評論家/編集者。批評誌「PLANETS」副編集長。明治大学野生の科学研究所研究員。文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査委員(第21〜23 回)。ゲーム、アニメ、ドラマ等のカルチャーを中心に、現代思想や都市論、人類学、生命科学、情報技術等を渉猟して現実と虚構を架橋する各種評論等を執筆。著書に『東京スカイツリー論』『現代ゲーム全史』、共編著に『あまちゃんメモリーズ』『ゲームする人類』『ゲーム学の新時代』など。

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