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いい出会いがあって、いい作品ができるなら、自分ひとりで描く必要はない
出渕 まだ監督業に進出する前、新OVA版の「機動警察パトレイバー」(1990年)で、絵コンテをやらせてもらったり(第1話、第5話)、脚本とコンテの両方をやらせてもらったこともありました(第14話)。そのずっと前、「超電子バイオマン」(1984年)のとき、東映の鈴木武幸プロデューサーから「ちょっとシナリオ書いてみる?」と声をかけてもらったことがありました。そのとき、シナリオは完成しなかったのですが、ストーリーの根幹に関わるような重要なプロットを提案したら、拾ってもらったこともありました。
「バイオマン」では人と共存するサポートロボットのピーボと、プログラムを実行するだけのハンターロボットのシルバに、デザイン上の共通点を持たせたりしました。また、敵の総統ドクターマンが、実の息子と、その息子そっくりのメカ人間プリンスの間で葛藤させるために、プリンスの再登板を提案しました。また、敵側のメカ人間なのに良心回路を得たため人間性に目覚めて苦悩するアンドロイド少女、彼女とリンクしている不死身のメカジャイガン(敵側の巨大ロボ)の話のプロットを書いてみたり……と、いろんなアイデアを出してました。いま考えると、若気の至りというか怖いもの知らずで、冷や汗ものですね(笑)。でも鈴木さんは、そんな若造の意見にも耳を傾けてくれました。そういう〈大人〉と出会ったことは僥倖でしたし、自分も歳をとったら、若い人に対してそうありたいと思いました。
若い頃からそんな感じでしたから、初監督作品の「ラーゼフォン」(2002年)は、そんな妄想して溜まっていた作劇的アイデアや設定を「これでもか」と詰めこんでしまった、集大成のような作品になってしまいました(笑)。ネタを積め込みすぎて落とし所が見つからず、迷走したりもしたのですが、最後だけは決めていました。ですから、ラストシーンに向かって走り切れました。手塚治虫さんの漫画「W3」のラストのように、ストーリーを追ってきた視聴者だけの宝物になるような、余韻の残る作品を目指していました。そういう意味では、うまく落とせたんじゃないかと思っています。
── やられメカからキャリアをスタートさせて、監督にまでなったデザイナーはほかにいないと思うのですが、いかがでしょう? 出渕 ショウちゃん(河森正治氏)や大畑(晃一)くん、荒牧(伸志)さんと、メカデザイナー出身の監督は意外といると思いますよ。ロボットアニメなんかの場合、僕らの仕事はその作品世界の〈顔〉を創るようなもので、世界を体現させることが主眼となるわけです。そうすると、自ずと作品全体を自分でデザインして表現したくなる、監督として世界を創りたくなるんじゃないでしょうか。
話は変わりますが、「宇宙戦艦ヤマト」以降、それまでより緻密でSF的なメカデザインの需要が生じました。その1970年代後半、SFメカが描ける人がいなかった事情が、その後メカデザイナーという職業を生み出していく大きな要因であったと思います。大手の東映だけでなく、サンライズ、葦プロ、グリーン・ボックスなどがロボットアニメを独自につくり始めて、アニメーターや美術監督では対応しきれなくなったわけです。主役メカはまだしも、ちょっとした宇宙船や光線銃なんかを現場の方が手癖で描くと、昔ながらのレトロなデザインになってしまう。その流れを変えたのが「宇宙戦艦ヤマト」なわけです。ところが、「ヤマト」と同じテイストを目指した「宇宙海賊キャプテンハーロック」は、宮武一貴さんの担当したメインの部分とそうでない部分とで、あまりにも差がありすぎた。松本零士っぽければそれでいいのか、というとそんなことはない。ファンの目は肥えていきましたから。当時、その差を埋めてデザインできる人は、SF系のイラストレーターか、趣味性の強い玩具デザイナーぐらいしかいなかったわけです。そういう意味ではバブルというか、“需要はあるのに人がいない”時期に業界に入れて、僕はラッキーでした。
── 作品の多様化にあわせて、メカデザイナーの数も増えていきましたよね。 出渕 「ガサラキ」(1998年)のときはサブメカまで手が回らないので、(監督の高橋)良輔さんとウマが合いそうだと思っていた荒牧さんを紹介して、輸送車などをデザインしてもらいました。また、シリーズ構成の野崎透さんは「月刊ニュータイプ」の編集出身です。「月刊PANZER」などにも寄稿もしていて、自衛隊向けの装備開発企業への勤務経験もある異色の人材でした。良輔さんは周囲の人たちの能力をうまく引き出して、自分のやりたいこととリンクさせられる懐の深い監督ですから、当時は、そういう人材を好んで登用していた印象があります。
── そういうスタッフの組み合わせには、興味ありますか? 出渕 あります。いい出会いでいい作品ができるのであれば、それに越したことはありません。
── 何もかも自分でデザインするのがベストだとは考えませんか? 出渕 いいえ、「自分よりもこの人が上手いし、向いている」と思ったら、その人に描いてもらいます。モチはモチ屋、デザイナーごとに向き不向きがあって、それぞれ得意技は違います。劇場版の「パトレイバー」では、車輪のついたメカやヘリコプターはショウちゃん(河森氏)に全部お任せしました。
僕自身は、アニメも好きでしたが元来は特撮好きで「仮面ライダー」で美術デザイナーを務めた高橋章さんの大ファンなんですよ。ショッカー側のデザインを見ると、ショッカーの鷲のマークと意味不明な文字がアジトのあちこちに刻印してあって、そういうアプローチにグッときてしまう。予算の少なさを補って空間を埋め、ゴージャス感を出す苦肉の手法だったのかもしれませんが、僕に言わせたらこれはアートですよ。やはり高橋章さんと成田亨さんの影響は、とても大きいです。「理屈よりもアートだろ!」と思ってしまう(笑)。 ちょうど「宇宙戦艦ヤマト2199」(2012年)を監督している頃、ひさびさに「特命戦隊ゴーバスターズ」(2012年)の戦闘員(バグラー)をデザインさせてもらいました。戦闘員は作品世界のアイコンですから、これまでも戦闘員はうまくデザインしてこられたと自負してるんです。
(取材・文/廣田恵介)