監督オファーの「ゆるゆり」
─作品の参加基準はありますか?
岩井 タイミングと予算さえ合えば、内容で断るということはないですね。うちに話を持ってきてくれたということは、「シャムロックならできる」と思ってくださっているからだと思うので。
─直接オファーがあった作品は?
岩井 「ゆるゆり なちゅやちゅみ!」と「ゆるゆり さん☆ハイ!」(2015)の畑博之監督がそうですね。畑さんはJ.C.STAFFの時の撮影の先輩だったので、ご本人から聞いたわけではないですけど、やりやすかったんじゃないですかね(笑)。
─監督や演出家の方とはどういったコミュニケーションを心がけていますか?
岩井 ある程度オーダーを受けたうえでやっていくほうがやりやすいですね。ただ、あまり細かい指示を出されちゃうと、単純にオペレーターでいい話なので、ざっくりとしたオーダーをいただけるのが一番いいのかなと思います。大沼監督や桜美監督のオーダーの出し方は、僕に合っているなと思いますね。
─オープニングとエンディングは、おひとりでされることが多いようです。
岩井 本編だと300カットぐらいあってひとりでは全部やりきれないので、ほかの方にお願いしてというのはあるんですけど、オープニングやエンディングはカット数が少ないので、ひとりでやったほうが、自分のやりたいようにできるというか、ほかの人がやったのを後で直すより効率がいいと思っています。
─撮影監督の中西康祐さんは、「音楽に合わせて作る映像」がお好きだとおっしゃっていました(編注:https://akiba-souken.com/article/30650/?page=2)。岩井さんはいかがですか?
岩井 中西さんは演出面もどんどんやられるんですけど、僕はそこまではやっていません。僕がオープニングやエンディングの撮影をひとりでやるのは、単純に自分の意思を反映させやすいからなんです。
スタッフの貸し借りは刺激になる
─チーム編成では社外の方とご一緒されることもあるようで、「今際の国のアリス」や「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」では、TROYCAの川井朝美さんが参加されていました。
岩井 社外の方とご一緒するのは、ほかのやり方も聞けるので、すごくいい刺激になっています。「ワタモテ」の時は単純に人手が足りなくて「どうしよう……」と困っていた時に、加藤友宜さんたちがTROYCAを立ち上げられ、まだ本格稼動前だとうかがったので、「助けてください!」とお願いして、川井さんをお借りしました。逆のケースもありまして、「アルドノア・ゼロ」(2014~15)の時には、うちからひとり、スタッフをお貸ししています。
J.C.STAFFの時には人数が揃っていたので、人の貸し借りはありませんでした。今は他社さんの手伝いで1話数だけ入るとか、100カットだけ取るとか、いろんなやり方が学べるのがおもしろいですね。
─3Dや特殊効果も一括で請けられるのでしょうか?
岩井 うちは僕と濱村で始めたというのもあって、最初は撮影と3Dを一括で取っていたんです。ただやってみたら、2人ともちゃんと仕事を取れているので、今は会社を分けてやっています。特殊効果のほうは、今でもセットでやっていますね。
─モチベーション維持のために、デスク周りにポスターやフィギュアを飾ったりしますか?
岩井 社員にはフィギュアを置きたければ置いてもらっていい、と言っています。ただ僕がJ.C.STAFFにいたころは、「そういうのはあまり好ましくないよね」という感じだったので、その流れで僕の机には何も置いていません。
モチベーション的なところでいくと、僕はオンオフの切り替えのほうが重要だと思っています。昼過ぎにバラバラに出社してきて、終電までやっているとか、そのほうが辛いかなと思うので、うちの場合は、朝一斉に出社して定時に上がるようにしています。納品当日とかは残業もあったりしますけど、何もなければとっとと帰ってください、と言うようにしています。
─岩井さん参加作品は、西山茂さん(編注:https://akiba-souken.com/article/36921/)も編集で参加されることが多いようです。
岩井 たまたまですね(笑)。こちらから指定できる立場ではありませんので。
J.C.STAFFで大河内喜夫さんから学ぶ
─キャリアについてうかがいます。もともとアニメ業界志望だったのでしょうか?
岩井 はい。愛知から上京して、専門学校で撮影台を使ったアニメの撮影を勉強して、J.C.STAFFに入社しました。
─J.C.STAFFが第一志望で?
岩井 そうですね。当時、募集をかけていた会社と放送していた作品をいくつか見て、デジタルの撮影をやろうと思っていたので、その方面でいろいろやっていたJ.C.STAFFを選んで面接を受けて、といった感じです。
─入社は正社員採用?
岩井 そうですね。今はどうかわかりませんが、その当時は代表取締役会長の宮田知行さんのご意向で、「全員社員にする」というのがあったと聞いています。
─師匠的な方はおられますか?
岩井 先ほどもお話した、大河内喜夫さんです。今もJ.C.STAFFでやられています。引き出しがいっぱいある方で、言われたこと以外にもいいと思ったらどんどん盛っていく方なので、すごく尊敬しています。今でも画面作りで迷った時には、「大河内さんならどうするかな?」と考えるのを指針としています。
─どういった形で指導を受けましたか?
岩井 班体制で、当時は3つの班がありました。最初はたまたま席が隣だっただけなんですけど、後に大河内さんの班で徒弟制度的な感じでやり方を見て、覚えていきました。今はちょっと違うと思うんですけど、僕が入った当時はデジタル移行期だったので、何でもアリというか、しっかり下積みをしてというわけでもなく、「やりたいならドンドンどうぞ!」という形でやっていました。今だと線撮から入って、というのはあるかもしれません。
─当時のご生活は大変でしたか?
岩井 社員なので固定給だったんですが、どうやって生活していたのかわからないくらいです(苦笑)。1年目のころは、専門学校の時の友達とルームシェアをしていました。でも、楽しんでやっていましたよ。僕は20代そこそこで、上司も20代だったので、結構ワイワイやっていました。辛いというよりは、学園祭のノリだったのかなと思います。
─初めて関わった作品は?
岩井 「ちっちゃな雪使いシュガー」(2001~02)の終わりごろに入って、ちゃんと作品に関わり出したのが、「藍より青し」です。
─「あさっての方向。」で撮影監督に昇格されますが、ご経緯をうかがえますか?
岩井 大河内さんに「やってみる?」と聞かれたので、「やりたいです!」と答えて、桜美監督とプロデューサーに推薦していただきました。同期では一番早かったと思います。
─キャリア初期のご経験の中で、現在の業務に生かせていると思うところは?
岩井 技術的なことは大河内さんからいっぱい教えていただきました。あと当時からJ.C.STAFFは、絶対納期に間に合わせる会社でした。上司からも「間に合わなきゃ意味がないよ!」とよく言われました。なので、そういった管理的なところは今の仕事にも生かせていると思います。