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どんな作品でも、最終的には「見てくれた人の心に残るかどうか」が肝心
── アニメと実写の両方を、これだけ手がけている人は少ないのではありませんか? 小中 いや、會川昇さんや村井さだゆきさんがいますし、ほかにもいらっしゃるでしょう。ただ、オタクだった世代が作り手側に回ったパターンは、僕たちの世代が最初だと思います。會川さんは仕事の上では先輩ですけど、年齢は僕より下なんです。だから、彼は年上の先輩オタクからの風当たりをかなり浴びているはずなんです。もちろん、僕も風当たりを感じながら、90年代の「ウルトラマン」シリーズを書いていました。
そもそも、僕たちの世代は実写もアニメも等価に見ていて、ことさら区別をつけていませんでした。脚本家としてデビューした当初、自分は実写ドラマを描きたかったので、アニメの脚本では書き方を変えるべきじゃないかとも思いました。だけど、OVA「アミテージ・ザ・サード」(1995年)は、ハリウッド映画のような気分で書いていて、やっぱり書き方は変えようがないわけです。だから、アニメの現場では僕の脚本は「実写っぽい」と言われるし、実写の現場では「アニメっぽい」と言われていました。僕の脚本は「serial experiments lain」の中村隆太郎監督のようにタメをつくるような演出なら、生きてくるわけです。表面的にコンテを切られるとスカスカになってしまうので、諸刃の剣ですね。
── 20年前に比べると、現在は絞り込んだ層に向けて、ガチガチに企画を決め込みすぎていると感じます。 小中 かつては監督であれ脚本家であれ、独自の味をもっていました。「あのスタッフの作品なら次回作も見たい」と思わせるだけの個性が、今は減っているのかもしれません。その中でも新房昭之監督ですとか、強い作家性を持ったクリエイターが生き残っていますよね。今期のアニメは安倍吉俊くんが久々にキャラクター原案を担当した「RErideD-刻越えのデリダ-」はあるし、「SSSS.GRIDMAN」も楽しみに見ています。
── 1998年頃は、ほかのアニメや特撮を見返しても「誰のためにつくってるの?」と思うほど、自由で野放図な作品ばかりでした。 小中 最近の作品でも「カメラを止めるな!」のように、普段はインディーズ映画など見向きもしない人たちが劇場に足を運ぶ現象が起きていますよね。なので、若い人たちが保守的になったとは、僕は感じていません。アニメに限って言うと、製作委員会スタイルの中では「俺はこういう作品を見たいんだよ!」という野心を持ったプロデューサーが育ちにくいのかもしれない。だけど、皆無ではないでしょう。
何をするにせよ、まずは自分を満足させられるかどうかで始めるわけですけど、最終的には見てくれた人の心に残るようにつくるわけです。そういう意味では、真面目にエンターテインメントをやろうとしていたので、「lain」は、好きなことだけやってうまくやり逃げたわけではありません(笑)。ここ10年ほど、僕はアニメから離れていましたが、久々にアニメ作品に復帰することになりそうです。具体的な話は、来年以降にできると思います。
(取材・文/廣田恵介)