※本コンテンツはアキバ総研が制作した独自コンテンツです。また本コンテンツでは掲載するECサイト等から購入実績などに基づいて手数料をいただくことがあります。
「フリクリ」といえばthe pillows!
そう断言しても差し支えないくらい、この作品を語る上でthe pillowsのサウンドは切っても切り離せないものだ。前作が発表された2000年当時、映像面の衝撃もさることながら、全編に渡って流れるオルタナロックに多くの視聴者の胸が踊ったものである。それは、何か抑えつけられてるものから解き放たれたい、という名状しがたい衝動に近いものだったのかもしれない。
9月から立て続けに上映される新作劇場用アニメ「フリクリ オルタナ」「フリクリ プログレ」でも、the pillowsの楽曲はふんだんに使われているのだが、この2作品を見る前に、2000年のOVA「フリクリ」当時の音楽シーンはどういうものだったのかをthe pillowsのフロントマン、山中さわおさんに振り返ってもらった。
「フリクリ」とthe pillowsの出会い
ーー2000年のOVA「フリクリ」のことについてまずうかがいます。97年にリリースした5thアルバム「Please Mr.Lostman」から、ガラッとバンドの音楽性が変わりましたよね?
山中さわお(以下、山中) イギリスからアメリカに行ったってくらい変わりました(笑)。
ーーそのアルバムに衝撃を受けたんですけど、あの当時のバンドの状況、ひいてはロックシーンの状況ってどんなでした?
山中 the pillowsは89年に結成して、そこから5~6年はかなり苦戦したんですよ……って、ここから話したら全然終わらないな(笑)。え~っと、90年代中期って、世界的にオアシスが大ヒットして、僕もすぐに大好きになって、その影響を受けてそういう曲を書いてみたりしていたんですけど、そこで僕はアメリカのオルタナティヴミュージックというものにだいぶ遅れて出会うんです。本当は92年にはニルヴァーナは世界的になっているんだけど(※91年にリリースした2ndアルバム「ネヴァーマインド」はBillboard 200で1位を獲得)、その段階では知っていたけどハマらなかったんです。
で、イギリスの音楽をずっと聴いていて、レディオヘッドまで来たところで、もうここからイギリスではいいバンドは出てこないだろうみたいな感覚になって、何かないかと探していたときに出会ったのがオルタナティヴミュージックだったんです。そこから遡ってピクシーズとかを聴いてみた感じだったんですけど、それからどんどんどんどん曲が書けるようになって、アイデアもいっぱい出るようになったところで「Please Mr.Lostman」を出したんです。そこでようやく自分の居場所を見つけた感覚はありました。
ーーすべてが合致したというか。今聴いても名盤だと思いますけど、当時あまりこういう音楽はなかったですよね?
山中 世の中的には渋谷系が終わったあとにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTがロック界を席巻していって、それとは別のラインでHi-STANDARDがメロコアというか、カルチャーとして、インディーズだけどとてつもないセールスを記録して人気も出ていたんですね。下北沢でよく知っていた人間がドーンと、それぞれの方向で出ていって、ちょっと自分にフィットするものを探していたところはあったんです。ミッシェルのようなゴリゴリのロックンロールでもないし、メロコアでもないしという感じで。だから「Please Mr.Lostman」から、自分たちらしい濃密なものができてきた感じでした。当時のレコード会社的には、こんなの売れないだろうって感じだったかもしれないけど、とにかく味の濃いものにしたかった。ホントに出会うべく人に出会ったら絶対に離さない!という気持ちで作っていましたね。そのあとの99年くらいだったかな、「フリクリ」の話が来たのは。自分なりにはうまくいき始めたときでした。
ーー6thアルバム「LITTLE BUSTERS」(98年)、7thアルバム「RUNNERS HIGH」(99年)、8thアルバム「HAPPY BIVOUAC」(99年)あたりの勢いは確かにすごかった記憶があります。でも、アニメタイアップというのは意外でした。
山中 当時は、なんとなくレコード会社が持ってくるタイアップの話は乗るまい! というスイッチだったんです。最初「フリクリ」の絵コンテ的なものがレコーディングスタジオに置いてあって、「またなんかタイアップの話を持ってきたよ」って思ってたんです(笑)。
ーーそれが仕事な気もしますけどね(笑)。
山中 タイアップで売るというのが90年代は主流だったけど、僕はそれにすごく疑問があって、ハマらなきゃ意味がないと思っていたんです。たとえばドラマでthe pillowsが主題歌をやったって、誰も知らないし、わからないけど、大人の関係で任せますみたいなこともあるわけじゃないですか。でもハマらないものを見せられても視聴者的にもしっくりこないし、当事者も居心地が悪い。この頃は自力でうまく行き始めてたから、別にいいかなと思って「めんどくせーわ」と思っていたんだけど、どうやら監督の鶴巻(和哉)さんがthe pillowsを知っていて、好きでオファーをくれたらしいというのを知って、「それだと話は全然別だ!」ということで、やりたい!という気持ちに変わったんです。
でも、「ONE LIFE」というオアシスみたいなロックバラードをリクエストされたのに、僕はもうオルタナに夢中になっていたから「Ride on shooting star」という、まったく違う曲を「ダメですかね?」みたいな感じで、そーーっと出したんです(笑)。
あとから聞いた話だと、本当に困ったらしいんですけど、面白かったので、想定していたエンディングの映像を替えて、モードチェンジして作りましたと言われて、本当にすいませんと(笑)。僕はGAINAX時代の鶴巻さんのポジションというものもまったくわかっていなかったし、怖いもの知らずで全然違う曲を出して何やってるんだって感じなんだけど、「Ride on shooting star」でよかったでしょ?って今でも確信しているんです。
「フリクリ」って、説明的ではない、不条理満載で爆発力の連発みたいなアニメーションだから、まさにハマる曲だったと思うんですよね。この曲はキミと僕の物語があってないようなものというか。でも何か、ここの歌詞の1行だけで、心に刺さる瞬間があると思っていて、実際そういう人に届けたいといつも思っているんです。そういう意味でも「フリクリ」に合うものだったから、「ONE LIFE」じゃなくて「Ride on shooting star」でよかったでしょ?っていう(笑)。
あんなに多くの楽曲がアニメで使われると思っていなかった!
ーー「ONE LIFE」もすごくよい曲ですけどね(笑)。劇中でも使われていましたが。でも、好きでいてくれる人からオファーが来るというのは、気持ちの面でも大きく違いますか?
山中 そうですね。そこから僕はずっとそうですよ。アニメとか、そっちの人に好かれることが多くて何度もやっているんですけど、だいたい作者が好きと言ってくれてるので、そういう場合はほぼ断らないです。世間の人がthe pillowsをどう思っているのかは置いておいて、僕らはなりたいものにとっくになっているんですよね。このくらいの規模で、このくらいのスタジオでレコーディングができて、ライブに人も来てくれる幸せというのですでに成り立っていて、どんどん間口を広げて新しい人と出会いたいという気持ちは、とっくの昔になくなっているんです。音楽以外のものと一緒にやるときは、そこに愛情がないと絶対に楽しいことにならないということも経験上知っているし、やりたくないことをやっても仕方がないので、やりたいことしかやらない感じできているんです。
ーー来年30周年を迎えますけど、それが長くいい音楽を作り続けている理由なのかもしれません。でも実際、主題歌だけでなく「フリクリ」本編であんなに使われるとは思っていました?
山中 全然全然! びっくりしました。
ーーBGMも曲のインストだったりしたじゃないですか。それを見たときの感想を聞きたいのですが。
山中 全編自分の音楽ばかりがかかるという映像作品を見るのも初めてだったので、全然内容が入ってこないんですよ(笑)。見終わったあとにもう一度頭から見始めても、結局内容が入ってこないじゃないか!と。そんなふうにまったくわからないものだったのに、何度も見ていくうちに、意味を求めて見るものではないということに気づいたし、不条理というか悪ふざけの連発なのに、何か少年が大人になっていく様とか、冒険をしながら大人になっていく様が伝わってくる。すごく短いシーンでも、その瞬発力に心を持っていかれるんですね。感動したり切なくなったりする……あんな悪ふざけの作品なのに(笑)。そういうのもあってすごく好きになったし、僕の音楽の作り方に似ているなと思いました。
ーー今話を聞いて、それはすごく感じました。個人的な話になりますが、the pillowsの音楽の瞬発力に心を動かされてきて、「Funny Bunny」の〈キミの夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ 風の強い日を選んで 走ってきた〉とか、今回のフリクリでも使用されている「Fool on the planet」の〈時代が望んでも 流されて歌ったりしないぜ 全てが変わっても 僕は変わらない〉みたいな歌詞に勇気をもらったんです。洋楽が当時好きだったので歌詞の全体を理解するというより、そのひと言に何か心を揺さぶられたんですよね。どうやって、ああいう歌詞が生まれるんですか?
山中 僕は詞と曲なら、100%曲を先に作るんですね。だから詞を書くときにメロディとリズムという制約は必ずあるんです。そこで僕の中の美学として、このメロディにはこういう歌詞なんだっていうルールがあって、それが僕にとってはとても大事なので、意味のほうを諦めていくんです。歌ってて口が気持ちいいということが大事で、「CARNIVAL」(「HAPPY BIVOUAC」に収録)のド頭が〈観覧車に〉という歌詞なんですけど、その〈観覧車に〉っていうのは、僕も洋楽が好きだったので、洋楽を聴いているのに近いんです。
でも、世の中の音楽はそこに、〈僕は~〉みたいに詞を当てることもあるわけじゃないですか。それはイヤだから、口が気持ちいいことを優先して、デタラメにハマるものをいっぱい考えていくんですけど、やはりそのとき自分が思っていないことって言わないもので、嫌いな言葉は発しないんですね。
なので、そこで僕の中の作詞オーディションがあって、それに残っていた言葉をトータルに見て、この曲はこういう物語になるんだと気づくんです。そしてそこからつじつま合わせで少し工夫をする。それをしないと本当にでたらめな曲になってしまうので、何か1本芯があるように、最後はちゃんと作詞家の技術として取り込んでいく感じですね。
「フリクリ」以降のthe pillows
ーー鶴巻監督も、1本芯のある物語にしていたと思うんですけど、ところどころで絵の気持ちよさとか、表現の新しさを優先していたような気がしますよね。そういうところもすごく通じていると思います。「フリクリ」によって、the pillowsのその後は変わりましたか?
山中 はい。単純に人気も出たので活動しやすくなりました。おかげで4~5年後にアメリカに始めて行ったときに、どの会場も入り待ちがいたんですよ。もちろん「フリクリ」ファンという。当時の向こうのライブハウスって、お酒が出るところだと21歳以下は入れないんですね。でも「フリクリ」ファンは中高生もいっぱいいたので入口で待ってるわけです。ひと目会いたくてとか、サインくださいとか。びっくりしましたよ。何だこれは!って。日本ではそんなことないのに、アメリカで何でこんなことになっているんだ!とめちゃくちゃびっくりしました。
ーー確かに日本ではOVAでしたし、知る人ぞ知る作品でしたからね。でも海外で人気だというのは噂で知っていたのですが、実際にすごかったんですね。
山中 僕も全然わかっていなかったので。先月の久しぶりの海外ツアーまで、8回アメリカにライブをしに行ってるんですけど、もともとアメリカの音楽が好きで、USオルタナが好きで、それに憧れて作っていた音楽がアメリカで受け入れられるというのは夢のような話なので、the pillowsにとっては大きな出来事だったし、カウンターアクションじゃないけど、アメリカでthe pillowsがすごいらしいよっていうのが、the pillowsを聴いてなかった日本人に、ちょっと聴いてみようと思わせてくれて、どんどん新しいものに繋がっていく。新しい扉が開いていく感覚はあったので、「フリクリ」はとっても大きかったですね。
ーーツイッターでの動画も少し拝見しましたが、海外はすごい盛り上がりでしたね。
山中 7年ぶりということもあって、過去の3倍くらい動員が増えていて、大きい会場も全部売り切れた中でやっていたので変な気持ちでした(笑)。だって、the pillowsはこのあと「REBROADCAST」というアルバムを9月19日に出してツアーもやるけど、大都市以外は200人くらいのライブハウスでやっているのに、アメリカでは何でこんなに人が入っているんだろうと。どうした日本人! どうしたアメリカ人!っていう感じですよ。
早くも海外で話題騒然の「オルタナ」&「プログレ」!
ーー「フリクリ オルタナ」「フリクリ プログレ」もアメリカでは公開されているそうですが、新曲も人気でしたか?
山中 新曲の「Spiky Seeds」のイントロで、うわーーって盛り上がる感じでした(笑)。
ーーでは、今回のオファーに関してのお話も聞かせてください。
山中 「フリクリ」は自分のものだと思っていたので、新しく「フリクリ」をやるらしいという噂は聞いたけど、いっこうに話が来ないので「どうした? 心変わりしたのか?」と思っていたら、どうやら制作スタッフが変わるらしいと聞き、関係なくなっちゃったのかなぁとイジケていたら、まんまと話をいただいて、そうでしょう! と(笑)。「フリクリ」はthe pillowsでしょう! がんばりますし、そりゃあいい曲を書きますよ!って思いました。the pillowsにしてよかったと言われるような曲を気合い入れて書いたし、ふさわしい曲が書けたと思っています。
ーー「フリクリ オルタナ」の主題歌「Star overhead」は、ナオ太とハル子のことを連想させる歌詞だと思いました。
山中 そのように作りました。ナオ太が大人になってから少年時代を振り返っているような想定なので。「Ride on shooting star」という、流れ星に飛び乗れっていう少年らしい夢見がちなタイトルから、大人になって、なくしたと思っていた星はまだ頭上で輝いていたよというタイトルになりました。
ーー特に要望はなかったのですか? 脚本を渡されたり。
山中 作った時点ではなかったですね。作品によっては脚本があったりするんでしょうけど、今回はほぼノーヒントで書くというスパルタでした(笑)。
ーー逆に、もう全部お任せしますということだったのでは?
山中 そうなんですよ! もうこれはNGはないんだなと思ったので、僕の思う「フリクリ」観で作らせてもらいました。「Ride on shooting star」だって、書き下ろしじゃないんですよ。あれは僕が一番気に入ってた曲を出しただけなので、「フリクリ」のために書き下ろしたのは、今回の2曲が初めてになるんです(笑)。
ーー「フリクリ プログレ」の「Spiky Seeds」のほうは、まさにオルタナティヴな楽曲ですよね。
山中 はい。だからややこしいんですよ。「プログレ」のほうがオルタナっぽい曲になる感じなんです。この曲は、フリクリがアメリカで先に公開になるというのを聞いたので、歌詞に特化して作った「Star overhead」と同じように作るのは違うと気づいて、「Ride on shooting star」のような爆発力を持った曲にしようと思いました。そしてもうひとつ、一度も流行ったことがないオルタナにしようと。ニルヴァーナは売れた、レディオヘッドも売れた。でもそうではない、僕の好きなピクシーズやペイヴメントって大ヒットはしていないんです。おかげで古くもなっていないんですけど、そこは僕の得意とするところなので、そのオルタナロックで攻めたいと思いました。ちゃんとサビでは爆発力のあるものにしていますけど。
あと、歌詞は二の次でいいやとは思ったけど、結果的にハル子を思い浮かべて書いています。ハル子って生活感のない、非日常な存在じゃないですか。そこを意識しました。
ーー確かにAメロやBメロってペイヴメントっぽさはありますね。そして、今回の2作品でも既存のthe pillowsの楽曲が使用されていますが、楽曲はすべて再レコーディングしているそうですね。ほとんどアレンジも当時のままで、新たに生まれ変わった感じがして素晴らしかったですが、最後に、特にこの曲を聴いてほしいというのをうかがってもいいですか?
山中 作品でも「Thank you, my twilight」という曲は結構フィーチャーしてもらっていて、この曲は僕も大好きなのに、オリジナルが、オーディオ的に未熟でミックスとかもうまくいってなくて、すごく後悔が残っていたんです。録り直したいと思っていたくらいなので、その曲をスタッフがリクエストしてくれたときは、よし!と思って、い~音で録りました(笑)。なのでそれを聴いてほしいです。
――劇場でじっくりと聴かせていただきます! ありがとうございました。
(取材・文/塚越淳一)