ライトノベル誌で受賞、あかほり事務所に
─ここからはキャリアについてうかがいます。アニメ業界に入られたきっかけは?
子安 昔、「ザ・スニーカー」という雑誌があったんです(編注:角川書店が1993年から2011年まで発行していたライトノベル誌)。それに短編の賞があって、審査員があかほりさんだったんですよ。それで、たまたま僕が賞を取っちゃって、あかほりさんの事務所のSATZもライターを必要としていて、声をかけてもらったという感じですね。
昔から書きものがしたかったんです。高校の進路調査で将来なりたい職業を「フリーライター」と書いていましたが、今思うと、バカだなぁと(笑)。
─雑誌にはどういった作品を投稿されたのですか?
子安 「バーチャル空間で女子プロレスをやる」みたいな話です。
─SATZではどなたからご指導を受けられたのですか?
子安 仕事を教えてくれたのは、あかほり先生です。「こんなことまで?」というくらい、いろんなことをやらせてもらって、楽しかったですよ。
─最初はどういったお仕事を?
子安 いただいた仕事は何でもやっていましたね。その中からだんだんと向いているものに流れていったのかな・・・。こうしたいという自分の強い想いとかあまりなくて。僕は「強い願いと希望を持っていれば、夢は必ずかなう」と思っていないんですよ。そんなことをやると、向いてないことに苦しむばかりなんじゃないかと思っています。ものすごく夢をなくす話なんですけど。
─駆け出しの頃のご生活は大変でしたか?
子安 普通に暮らさせてもらっていましたね。千葉の大学を出た後、そのまま千葉に住んでいましたが、あかほり先生から「千葉からじゃ時間がかかるんで、東京に住め」と言われて、東京に移りました。
でも、東京の賃貸相場なんて何も知らないものですから、家賃の高さにびっくりしたりして。けど、やっぱり知らないで動いちゃうって、おもしろいんですよね。思いがけないことをしちゃうから。なので、今も引っ越しは好きなんです。
─ライトノベル「ゴスロリ・ファーザー カノジョは家族を募集する」の作者紹介には、横須賀在住とありました。
子安 横須賀はよかったですね。大好きな、行きつけの居酒屋さんがあったんですよ。ホッピーが絶品で。そこを目当てに引っ越したわけじゃ、もちろんないんですけど(笑)。
キャリアや肩書は意識しない
─脚本家として最初に書かれたアニメは?
子安 いろいろとやらせてもらっていまして、どれが最初か覚えてないですね。脚本家になったという感覚もなくて。キャリアや肩書とかあんまり意識したことないです。
─子安さんは「アキカン!」(2009)でシリーズ構成デビューされました。初めて構成をした時のご感想は?
子安 結構変えたりもしたんですけど、今は原作通りの展開もアリだったのかなと。
─オリジナルキャラであるミクのオーナーが、三毛猫だったというのもおもしろかったです。この猫は、第1話から主人公のアパートの屋根にいましたね。
子安 あー・・・、そんなこともあったような(笑)。
─子安さんは「アキカン!」以外の作品(編注:「ぬらりひょんの孫~千年魔京~」(2011)、「GJ部」(2013)、「ランス・アンド・マスクス」、「三者三葉」(2016))でシリーズ構成をされた際、脚本も全て書かれています。TVアニメで全話執筆というのは珍しいと思うのですが、どのような理由によるものでしょうか?
子安 構成の段階で流れは自分の頭の中にあったので、それをそのままシナリオに起こしていったという感じです。
─脚本の書き方に違いはありますか? スケジュールや執筆ペースはいかがでしょうか?
子安 体調次第でしょうか・・・。ダメな時は全然書けません。スケジュールを考えて仕事したことはないですね。目の前にあるものをひとつひとつやらせてもらっている感じです。