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アニメに求められる過剰な“売り”が、業界を自縄自縛する
── そのようにして福島県で取材してきた内容が、クラウドファンディングのサイトで公開されている「薄暮」の原案に盛り込まれるわけですね? 山本 盛り込める要素は、いっぱいあります。いっそ、ドキュメンタリーにしたほうが面白いんじゃないかって思うぐらい(笑)。ですから、何をどれぐらい盛り込むのかは、ずっと議論しています。現地の関係者の人たちに、ヒアリングも続けています。原発についても、もちろん触れることになります。いわきフィルム・コミッションさんのおかげで、帰還困難区域から仮設住宅に移り住んできた人のお話も聞けましたからね。だけど、純粋なボーイ・ミーツ・ガール、田舎町の男の子と女の子を描きたい。その根本部分だけは崩さないようにしたいと思っています。
── 背景は、実在の福島県いわき市の場所を使うのですか?
山本 はい、1つひとつ了解をとって、実在の場所を描くつもりです。聖地巡礼だとかいうよりも……この前の取材で出会った、いわき市の親子に見せたいですね。あの2人によろこんでもらえる作品にしたい――それぐらい、心を揺さぶられました。その親子の体験のほうが、よほどドラマチックなんですけど、お母さんのほうは「薄暮」の原作を読んでくださっていて、「私たちも前向きに生きていきますから、この主人公たちも、どうか前向きに」とおっしゃってくれました。僕の心情としてはお母さんに寄り添ってしまいがちなのですが、むしろ、その方の娘さんが「素敵だな」「今後も、いわき市で暮らしていきたいな」と思ってもらえる作品にしたいです。
── 「薄暮」が完成したら、福島県とは関係のない人たちも見ることになるわけですよね。そういうお客さんに対するアニメ作品としての“売り”は何でしょう? 山本 「薄暮」は、ごく普通の恋愛物ですよ。僕は「日常とは何か」「いま目の前にある世界をどうとらえるか」、そのシンプルで哲学的な問いかけを、繰り返しているだけなんです。「かんなぎ」の売りは何だったのか、「らき☆すた」の売りは何だったのかと聞かれたら、「ダンス」と答えないといけないんでしょうか? そういう安易な“売り”をやりたくないから、アニメ業界から距離をおいているんですよ。
強いて言うなら、「薄暮」ではヴァイオリンの演奏シーンが見せ場になると思います。僕は「ライブアライブ」(『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話)以降、楽器は描いてきませんでした。なぜなら、とても難しいからです。「セロ弾きのゴーシュ」の演奏シーンの素晴らしい臨場感は、CGやロトスコープでは出せません。ただ音が鳴っているだけでは人間は感動せず、“音楽”にしならなければいけない。その音楽を絵にするには、何をしなければいけないのか? 難しい分、うまくいけば、すごい表現になります。そこにチャレンジしたい。
── では、「薄暮」の“売り”は演奏シーンですか? 山本 昨年、太宰治や川端康成のような純文学を調べてみたのですが、ああいう文学作品は、とりたてて何も起きないのに、名作として読まれ続けていますよね。そして、たとえば太宰治の「女生徒」の“売り”って何ですか、と聞く人はいません。僕らは、どうしてそのレベルに行けないんでしょうか? なぜ、アニメだけが派手でわかりやすい“売り”を求められるのでしょうか? 「薄暮」はボーイ・ミーツ・ガールを描く作品なのに、それだけでは作品が成立しないと思われてしまう。アニメである以上、なにか強烈な引きのある“売り”がなければいけない――そんな考えにとらわれているから、業界が自縄自縛してしまうのではないでしょうか。普通に笑ったり泣いたりできれば、それでいいはずですよ。いまの僕は、自分の創作の原点に戻りたいんです。
(取材・文/廣田恵介)
「薄暮」スタッフキャスト情報
(C) Yutaka Yamamoto/Project Twilight