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アニメーターから演出、監督へ
── 鈴木さんはアニメーター出身で、「月詠 -MOON PHASE-」(2004年)で、新房昭之監督作品に初参加しましたね。 鈴木 ええ、初めて新房監督とご一緒して、「監督補佐」という肩書きでした。シャフト制作の作品では、それ以前に「十二戦支 爆烈エトレンジャー」(1995年)に、各話演出で参加しています。「エトレンジャー」には、細田守監督も、絵コンテで参加していたりするんですよ。それ以前の僕は、ずっとシャフト所属のアニメーター・演出家だったのですが、シャフトを辞めてフリーになった後、水島精二監督のお誘いで、しばらくジーベックの作品に参加していました。
── それで、水島監督の「シャーマンキング」(2001年)に、絵コンテ・演出で参加しているわけですね? 鈴木 そうです。本格的にシャフトに戻って参加した作品が、「月詠」だったわけです。やはり、新房監督の作品はグラフィカルで、参加すると面白いんです。
── 新房監督作品は、他の作品とワークフローが違っていたりするんですか? 鈴木 いえ、そんなことはありません。だけど、絵づくりのセンスが特殊なので、ついていくのに精一杯で(笑)。テレビで見て、「ああ、新房監督はこういう意味のことを言っていたのか!」と、後から気がついたりするんですよ。絵コンテを直されたりしましたけど、やってて楽しかったのは確かです……あんなに厳しいスケジュールでなければ(笑)。
── 新房監督から、影響は受けましたか? 鈴木 はい、レイアウトのとり方などは影響を受けましたね。「月詠」以降、自分の絵のつくり方は変わったと思います。
それと、中村隆太郎監督の「サクラ大戦」(2000年)のもとで助監督をやりまして、光と影を使った独特のビジュアルに影響されました。絵づくりという意味では、新房監督と中村監督は、僕にとって大きな存在です。
── 鈴木監督の初監督作品というと、「ヒロイック・エイジ」(2007年)ですね。 鈴木 その後が「神曲奏界ポリフォニカ クリムゾンS」(2009年)、「蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH」(2010年)、「輪廻のラグランジェ」(2012年)、「とある飛空士への恋歌」(2014年)ですね。 。
── その途中で、「化物語」(2009年)にも、各話演出やオープニングで参加されていますね。 鈴木 そうなんです。「化物語」のシリーズディレクターだった尾石監督から、「大変なんですよ」と、電話がかかってきて。あんなタイトな現場も、ほかになかったですよ。
── ちょっと「傷物語」に話が戻りますが、当初は2012年公開予定でしたね。 鈴木 そうです。僕が「とある飛空士への恋歌」を終えたころ、またしても尾石監督から「手伝ってくれませんか」と、電話がかかってきて。その時点で世界観などは固まっていて、ロケハンにも同行しました。「傷物語」の実作業に入ったのは、2015年になってからですね。最初に尾石監督から声をかけられてから、2年半はかかりっきりだったんです。終わってから「俺の演出人生を2年半も使ってしまったのか」と、がく然としましたね(笑)。
だけど「傷物語」は、とにかく絵コンテが面白かったんです。演出的にも「化物語」とは、また別方向へ向かっていましたからね。
── しかし、「傷物語」は尾石さんの監督作ですよね。「僕の作品じゃない」という意識はありませんでしたか? 鈴木 いえ、そういう作家的な意識は、僕は持っていません。2年半も関わった以上、多くの人に見てほしいです。それは、ほかの作品でも同じですね。