「天空のエスカフローネ」以降、オリジナルアニメを意識
─尊敬する方はいらっしゃいますか?やはり宮崎駿監督でしょうか?
入江 宮崎駿監督は業界に入る前から尊敬しておりましたし、今もすごい人物だと感じております。ただ20代前半から、一緒に仕事をしたいというのとは違う気持ちにシフトしていきました。「魔女の宅急便」以降も、宮崎監督の作品は観に行ってはいるのですが、業界に入ってからは「宮崎監督と一緒に何かをする」というより、「自分で何かをする」ということを考えるようになりました。「風立ちぬ」(2013)は素晴らしい作品ですが、参加したかったと思うことは、今に至るまでないですね。
─それではお仕事上、強く影響を受けた人物はいらっしゃいますか?
入江 人というよりは、中学のころに読んでいたマンガのキャラクターのセリフを、ふと思い出したのが大きいと思います。「ドカベン」の中に谷津吾朗というキャラがいて、周りからは「山田二世」と呼ばれるのですが、彼はそれを否定して「谷津吾朗一世だ」と言うのです。ずっと忘れていたのですが、宮崎駿監督と一緒に仕事したいという気持ちがなくなってきた20代前半のころに、彼のセリフがぱっと浮かんできて、「そうだ、入江泰浩一世になればいいんだ」と思うようになりました。それ以来、これが自分の活動指針になっております。
─そのように意識が変わったのは、作品的にはどのあたりからでしょうか?
入江 「天空のエスカフローネ」(1996)からですね。それ以前はマンガ原作の作品に関わることが多かったのですが、「エスカフローネ」ではオリジナルでアニメ作品を作るという現場に立ち会えました。「エスカフローネ」の前には、庵野秀明監督の「新世紀エヴァンゲリオン」(1995~96)も発表されていましたので、オリジナルの光が見えてからは、自分もオリジナルを作りたいと思うようになりました。
―「エスカフローネ」の第21話では、作画監督デビューもされていますね。
入江 「エスカフローネ」の作画監督は、自分の力が足りないのに「やる」と言ってしまった、申し訳ない仕事ですね。うまい原画さんに助けられましたし、都留稔幸さんにもすごく助けていただきました。21話の中でいい絵があるとしたら、原画マンや都留さんの絵で、「ここちょっとよくないんじゃないの」というのがあれば、間違いなく私の絵だと思います。当時のサンライズ第二スタジオの中にいる人たちがとてもいい仕事をされていたので、自分も頑張りたいという気持ちがありましたし、スケジュール的にも作監のローテーションが足りなくなっておりましたので、手をあげたというのが経緯ですね。この時も動画や二原の時と同様に、「思ったように描けない」という気持ちを味わいました。
―絵コンテのほうは、「カウボーイビバップ 天国の扉」(2001)が最初でしょうか?
入江 厳密に言うと、絵コンテではないんです。このお仕事には前段階があります。TVシリーズ(1998~99)の第20話「道化師の鎮魂歌」の制作では、まだシナリオがない段階で、渡辺信一郎監督から「遊園地の中だけで戦う話数を作りたい」というお話があり、「遊園地を使って、どういうビジュアルが展開できるのかアイデアを出してほしい」という要望があったので、ボールペンとサインペンを使ってA4用紙にL/Oやワンシーンのようなものを、60枚ぐらい提出しました。その後、同話数の原画にも参加させていただきましたが、その時の仕事を渡辺監督が好ましく見ていてくださったようで、劇場版でも同様のお話をいただきました。この時もシナリオがない段階で、監督からヒントをいただきながら、イメージのたたき台を出していきました。完成した映像を観ると、私の描いた絵も使われてはいるのですが、あくまで初期のイメージソースを提出した感じです。監督の希望に100%応えられたかと言えば、2%ぐらいしか応えられていないと思うのですが、それでも「絵コンテ協力」というテロップをいただけたのは、とてもありがたいことだなと思います。
「エイリアン9」で監督デビュー
―絵コンテをゼロから描かれた作品は、何になりますか?
入江 「エイリアン9」(2001~02)の第4話です。
―「エイリアン9」では絵コンテ以外にも、キャラクターデザインと監督にも挑戦されていますね。
入江 最初はキャラデザと作監という形でスタートしたのですが、第2話から監督もすることになりました。第1話では絵コンテの一部、第2~3話では絵コンテの修正や作監も行っていますが、ゼロから演出を担当したのは第4話からになります。演出をやる前に監督をやっていたという意味では、イレギュラーな展開でしたね。
―監督デビューされた時のご感想は?
入江 「エイリアン9」に関しては、これまでの作画、シート付け、撮影指示、美術のイメージ提供といったアニメーターの延長でやっていた感じですね。シナリオ会議には参加しておりませんので、完全に映像を作ることのみに専念しておりました。音響とアフレコでは映像とどれだけマッチしているか、映像が間に合っていない部分はどうなっているのか、といったことを説明したり、音楽を付ける段階になって音響監督の岩浪美和さんから質問が来た時には、自分の中のイメージを提示したりしておりました。ただ、岩浪さんが蓜島邦明さんの音楽をいい感じではめてくださったので、監督業としては「積極的にイメージを伝える」というより、「問われたらそれに答える」というポジションでやっておりました。
「KURAU」に込められた思い
―「KURAU Phantom Memory」(2004)では、入江監督は企画の段階から関わっておられたそうですね。
入江 「主人公のクラウとクリスマスのWヒロインによる、未来を舞台にした活劇もの」という企画を、最初にボンズさんに提出しました。企画を出す段階で、自分の中で6話くらいまでの簡単なプロットとシナリオ、それに1話のシナリオを基にした絵コンテは描いておりまして、それらを企画書にまとめて出したという感じですね。完成作品では内容は大きく変わってはいますが。それがしばらくしてから、南雅彦さんから「あれやるよ」とお話をいただいて、本格的に動き始めました。
―企画に対する南さんからのコメントは?
入江 これを出した時、「これは女囚ものなの?」とか、「SF部分が弱いよね」とかいうお話がありました。「女囚」というのは女性が主人公で、いろいろな困難に遭遇しつつ、物語が展開していくという意味で言われたのだと思います。ただ、当時「女性が戦う」というのが、アニメ作品として今ほどメジャーではなく、「KURAU」という作品が「なぜ男性のヒーローではなく、女性のヒーローになるのか」、「クリスマスとペアになるのが男性ではなく女性で、しかもバトルする」というのが、なじみのないことだったようで、それをどういうふうに作品として成立させるのかと考えられたようです。吉永亜矢さんの女性の視点やSF関係のアイデアを提示してくれる方たちの協力で成立させよう、というのが南さんの中にあったのだと思います。その段階で南さんのほうから、「売りとして弱いので、ロボットを出すとか、パンチのきいたものって何かないのかなぁ」と言われたのですが、その当時の自分の中で「この作品にロボットを出すのは、『シティーハンター』で冴羽獠がロボットに乗るようなものだ」という思いがあったものですから、それは反対して、南さんも困った顔をされていました(笑)。作品を成立させるためのアイデアはいろいろと出していただいたのですが、最終的には自分のイメージに合わせて作品制作を進める形になりました。
―アニメのクレジットタイトルを見ますと、入江監督は吉永さんと第23~24話の脚本を書かれていますね。
入江 ラストは共同でした。シリーズ全体も、お話の骨子になる部分はこちらで考えたのですが、「アニメの脚本を、いきなり入江に書かせるのか」という、プロデューサー判断があったのだと思います。そこで、どういった方がいるのかという話になり、南さんから吉永さんをご提案いただきました。玉井☆豪さん、鈴木やすゆきさん、吉田伸さんについては、吉永さん経由で紹介していただいた形になります。
―「KURAU Phantom Memory」のタイトルも、入江監督のご発案ですか?
入江 「KURAU」という名前自体は自分の中にありましたが、「KURAU」だけではタイトルや商標が取りにくいため、いくつか案を出して考えました。こちらから「Phantom Memory」というのを提示した時に、皆さんから「いいんじゃない」となりましたので、「KURAU Phantom Memory」に決まりました。
──「KURAU」はアニメ作品ですが、実写寄りの人物描写も多くあるように感じました。
入江 「アニメでも人間の表情であるとか、お芝居であるとか、立ち振る舞いというのを丁寧に描くことはできる」という考えがあり、当時は「キャラクターの感情をデフォルメではないところで表現したい」という欲求も強くありましたので、そのような演出をしました。今思うと、TVアニメとしてはかなり無茶なものを、現場に求めていたとは思います。
―入江監督の作画・演出は「浮遊感」があるとの指摘がありますが、いかがでしょうか?
入江 正直「浮遊感」というのを、あえて積極的に出そうと思ったことはないんですよ。ただ、今は見なくなったのですが、自分が小さい時から「頭を下に逆さまになって、空を飛んでいる夢」をよく見ていたので、自分の中に「不自由な形で空を飛ぶ」ことへの欲求みたいなもの、深層心理があるのかもしれません。そのあたりがたまたま大きく画面が動くことなどに表れているのかもしれません。「KURAU」でもクラウの頭を割と下めにして、斜めになって浮いている絵を作りました。この時は動きというより、カットとしてそういう絵を盛り込んだ最初の作品になります。