「拡散するアキハバラ その2」 地方オタクのアキバ事情

2008年02月29日 23:000

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「拡散するアキハバラ その2」 地方オタクのアキバ事情「地方オタクのアキバ事情」連載コラム第2回(文:日向有馬)



第2回「拡散するアキハバラ その2」


 さて、前回のコラムでは、<アキバ系カルチャーへの「ハードルの低下」が起きている>ことを述べた。
 ハードルを下げたのは、mixiやネット通販など、インターネット上のコミュニケーションの進化だ。仲間を探したり、コンテンツを集めることが容易になり、「オタクでありつづける」ことが楽になった。
 その結果、
(1)地方への拡散
(2)ライトオタクの増加
 という二つのことが起きている。

 これについて、想像していた以上に、賛否両面から反響を得られたので、今回はいただいた指摘も踏まえながら、うえの二つのポイントを軸に、もうすこし話をしてみよう。


1.地方への拡散 ―秋葉原という「特別」な街

 さて、筆者の<地方への拡散>という視点は、その前提として<秋葉原を中心とした一極集中型のカルチャー>の存在を想定している。これに対して、いくつか反論をいただいた。オタク=秋葉原というイメージそのものが正確ではない。秋葉原以外にもアニメや漫画が好きなオタクはたくさんいる、という指摘だ。
 たしかに、地方都市のアキバ系スポットの代表格である、大阪日本橋にも名古屋大須にも、それぞれ地域性があり、必ずしも秋葉原の縮小コピーではない。秋葉原に行ったことがないオタクも地方にはたくさんいて、そういう人たちまで「アキバ系」と総称されてしまうことには違和感もある。(注1
 しかし、そのことを踏まえたうえでも、秋葉原という街は、以下の3点で、ほかのアキバ系スポットとは異なる特徴を備えている。そして、それらの特徴により、秋葉原はこの文化圏における代名詞たりえてきた。

 3つの特徴とは、

・人の多さ
・先進性
・聖地としての性質


 の3点だ。

 最初に挙げた、人の多さについては言うまでもない。筆者は、今でも年に数回は首都圏を訪れることがあるが、ひとたび地方都市の穏やかさに慣れてしまうと、秋葉原の人の多さ、そのパワーに飲まれそうになる。こればかりは日本の人口構造そのものが変わらない限り、変わりようがない。

 2つ目が先進性だ。たとえば秋葉原で初めて常設店舗としての「メイド喫茶」が誕生したのは2000年~2001年頃だ。(参照1)はじめは一種のジョークとして成立したメイド喫茶だが、新しい業態としてたちまち各地に波及してしまう。時系列で見ると、その波及の早さが分かる。

2000年2月 秋葉原ゲーマーズ本店に「ゲーマーズカフェ」開店
2000年5月 同ゲーマーズスクエア店に「Cafe de COSPA」開店
2001年3月 「Cafe de COSPA」リニューアル、「Cure Maid Cafe」開店(初の「メイド喫茶」)
2002年7月 大阪日本橋に「JUNGLE CAFE」開店
2002年9月 名古屋大須に「M's Melody」開店
2002年11月 横浜関内に「カフェ・あるふぁいん」開店
2003年2月 札幌狸小路に「Cafe Primevere」開店
2003年3月 名古屋大須に「大須の巫女茶屋」開店
2003年8月 神戸三宮に「KANON」開店

 秋葉原を出発点として、地方に「メイド喫茶」という文化が波のように広がっていく様子がよくわかる。秋葉原は文字どおり「アキバ系」カルチャーの発信地なのだ。また最近では、大阪日本橋などでも、秋葉原的な路上パフォーマンスを見かけるようになった。秋葉原は、良くも悪くも、地方に対するリーディングケースとしての役割を果たしてきたと言える。
(ただしメイド喫茶の「お帰りなさいませ、ご主人様」という出迎えのスタイルは名古屋大須の「M's Melody」が発祥。このように地方から生まれてくる要素もある。)

 そして、3つ目の特徴が、秋葉原の聖地としての性質だ。
 筆者は、1998年~2003年までのあいだ、東京の上野界隈に住んでいた。1998年の時点で、すでに「秋葉原は心が休まる特別な場所だ」という認識が、仲間内で共有されていた。ただし、それは単純に「アニメショップに行けば同類がいるから安心だよね」というくらいの素朴な感情だったように思う。そして、そういう店舗が軒をつらねる秋葉原に、比喩として「聖地」という呼び名を用いていた。

 ところが、「聖地」という比喩を与えられていたにすぎない秋葉原という街が、ある時期から本当の意味での聖地=アジール(参照2)と化していく。多くのオタクたちが、秋葉原を本当の聖地=アジールだと誤解しはじめたことは、秋葉原という街にとっても、オタクたち自身にとっても不幸なことだった。
<秋葉原であれば、何をしても許される>という勝手な治外法権の意識が、いつの間にか、まかりとおるようになってしまったからだ。こういう強烈なアジール性を持ってしまっている都市は、今のところ秋葉原以外にはない。
 現在の秋葉原は、秋葉原をアジールと勘違いしたオタクと非オタの「一見さん」が、奇妙なコントラストを描きながら不安定に同居する街になっている。

2.変化する<二つのアプローチ>

 ところで、前回のコラム<ライトオタクの増加>という点について、
「確かにライトオタクは増えてる」
 と、素直に肯いてくれた方もいれば、
「ライトオタクって何?」
 という疑問をもたれた方もいた。
 ライトオタク=若いオタク批判だ、という世代対立の議論だととらえた方も多いようだが、これはおそらく単純な世代ギャップの問題ではなくて、実際、秋葉原に現れる「自重しない」オタクたちの年齢層はそれほど低くない。
 筆者自身は、このライトオタクという言葉を、知識やグッズの数の多寡ではなくて、この文化に対するへの<愛着やこだわりの多寡>だと捉えている。たとえば筆者自身は、オタク的な知識は大したことはないのだが、オタク的な趣味は、ほかの趣味では代替できないほど、生活のなかに食いこんでしまっている。筆者自身は、自分のことをライトオタクだとは思わない。

 前回にも述べたように、こだわりが希薄なライトオタクが増えたのは、インターネットがより便利になり、ハードルが低下したからだ。一方で、ウェブなどで一般人がアキバ系コンテンツにアクセスする機会も増え、物珍しさで秋葉原を訪れる「一見さん」も増えた。これらは、いわば<非オタからオタクへ>のアプローチの変化だ。

 その一方で、<オタクから非オタへ>のアプローチにも、変化が起きている。
 ターニングポイントは、2005年だ。この年は、「電車男」がヒットしたことで、<非オタからオタクへ>の視線の変化を象徴する年だが、同時に<オタクから非オタへ>の視線の変化をも象徴している。
 その代表的なできごとが、「ハッピー☆マテリアル」をめぐる一連の運動だ。(参照3
 これは、2005年に放送されたアニメ「魔法先生ネギま!」の主題歌「ハッピー☆マテリアル」(7つのバージョンがあり、2月から8月まで毎月リリースされた)をオリコン1位にしようという運動で、ウェブ上で2ちゃんねるなどを中心に盛りあがった。実際に、4月度はオリコン3位にまでこぎつけた。(個人的には1月度が好きだ。)
 この運動は、<非オタから注目されること>を意に介さないオタクたちの存在を、一挙に顕在化させた。
 たとえば1989年の宮崎事件の後遺症のような、オタクであることを後ろめたくおもう感情から決別し、全く能天気に、ただの「祭り」として、これらのことをやってのけてしまったことに、この運動の意味がある。

 非オタ、すなわち一般社会からの視線を気にしない、というあり方は、のちの路上パフォーマンスやハルヒダンスなどへ引継がれていく。後ろめたさから決別し、表へと出ていくオタクたちの姿は、より世間の注目を集め、いわばオタクが<可視化>した。

 いまアキバ系カルチャーに起きている変化のひとつが、前回も述べた<ハードルの低下>であり、もうひとつがこの<オタクの可視化>だ。つまり、現在のアキバ系カルチャーは、<非オタからオタクへ>のアプローチと、<オタクから非オタへ>のアプローチの両方向から、接触の機会を深めつつあるのだ。


3.閉塞の打破と、地方のゆくえ

 このコラムには一応、「地方オタクのアキバ事情」というタイトルがついているので、最後は地方オタクにからめた話をしよう。

 筆者が地方のアキバ系スポットに望むのは、そこが地方オタにとって、いつまでも居心地のいい場所であって欲しい、ということだ。しかも、できればそこにある一般社会と波風を立てず共存したい。それは、簡単なことのようで難しい。
 たとえば「おねがいティーチャー」の舞台で、いまも熱心なファンが数多く訪れる信州木崎湖や、「らき☆すた」で一躍有名になった鷲宮神社などは、アキバ系オタクたちと地元住民が積極的にアプローチした例だが、どちらも、大挙して押しよせたオタクに対して地元の側が歩みよったという印象が強く、必ずしもリーディングケースとは言いきれない部分がある。東海一のアキバ系スポットである名古屋大須などは、もともと名古屋という個性的な都市のなかでもとくにアクの強い繁華街だったため、秋葉原のようなアジール化の余地はすくない。しかし、西日本最大の拠点である大阪日本橋では、少しずつ秋葉原のようなアジール化が進んでいるように感じる。
 現在のアキバ系カルチャーは<非オタからオタクへ>、<オタクから非オタへ>、両方向から接触の機会を深めている。一方で、一般社会からの視線を気にせず治外法権的にふるまうアジール化は、アキバ系カルチャーをより奇異なものとして映しだし、いずれはオタクたち自身の首をしめることになる。
 必要なのは、ライトオタクや一般社会からの視線に対して、「これがアキバ系カルチャーだ!」と胸を張れるような、そんな文化を提示してみせることだ。そのために、ぼくたちはアキバ系カルチャーに対する愛着や誇りを、もう一度確認してみる必要がある。

 実のところ、筆者はこのようにライトオタクが増え、非オタが興味本位で踏みこんでくる現状を、否定的には捉えていない。
 というのも、ライトオタクの参入や一般社会からの目線が、アキバ系カルチャーへの刺激として作用する可能性があるからだ。アキバ系オタクのなかで閉鎖的な再生産を続けるだけでは、この文化はいずれ袋小路に陥る。それよりも、外からの刺激により生まれる、新しい動きに期待したいのだ。

 いま、個人のコンテンツ発信力は飛躍的な進化を遂げている。どこかの片田舎で、人知れずつくられたコンテンツが、日本中を席巻するという事態が、ニコニコ動画などを舞台として、日夜繰りかえされている。地方発のイベントが生まれ、秋葉原以上の盛りあがりをみせている例もある。地方に偏在するこのような発信者たちが、地域と調和しながら、新しい風を呼びこんでいくことで、アキバ系カルチャーは次のステージに辿りつけるかもしれない。

 そのときこそ、アキバ系カルチャーは、もはや「アキバ系」という言葉ではおさまりきらない多様性を手に入れるだろう。

 
注1
なお、ここでは「アキバ系」という言葉を、「オタク」よりも狭義の、漫画・アニメ・ゲーム等を中心とした一連のカルチャー群、くらいの意味で使っている。

参照1:AKIBA W.C. Headline!!「秋葉原におけるメイド喫茶・コスプレ喫茶の歴史」

参照2:アジール - Wikipedia

参照3:「ハピマテプロジェクト」アーカイブサイト


■筆者紹介

名前:日向有馬(ひなた・ゆま) 

1978年生まれ、関西アニカラサークル「四季の会」主宰。淡路島在住の地方オタ。週末は神戸・大阪でさまざまなイベントに出没。重度の電波ソング中毒症にして、釘宮病患者。


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