名無しのレビャートキンさんの評価レビュー

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隠れた野心作

観賞手段:テレビ
ネタバレ
個人的にはとても好きな作品です。しかし、他の方のレビューで一目瞭然ですが、好き嫌いがきっぱり分かれる作品でもあります。これは純粋にそれぞれの視聴者の趣味嗜好の問題ですので、好きだから悪い、嫌いだからダメだ、という問題では全くないと思います。
私はこの作品が好きですが、それはひとまずおいて、この作品がどういう特徴を持っていて、何が賛否を分けているのかについて、拙筆は承知で考えてみようと思います。
賛否を分けた理由は、この作品が見た目とは裏腹に、緻密であると同時に野心的でもあることに起因するのではないしょうか。
順を追って述べていきます。
まず、映像による心象表現や、ストーリー展開のさせ方は、総じて各話とも緻密になされているように思います。それは、各話のサブタイトルを示す色がそれぞれの話数で象徴的に用いられ、それが表す心情を中心に物語が展開・収束するという様式的なバランスの良さとして現れています。
次に、これが賛否両論の主因かもしれませんが、この作品にはミステリ的な仕掛けが内包されています。
他の方も指摘する通り、第十話がキモです。
おそらく、これは私も含めてですが、多くの人は第十話での種明かしがされるまでは、この作品がいわゆる「信頼できない語り手」的に記述されてきたことをほとんど気にとめなかったかもしれません。
十話に至るまでの未来の行動は、確かに謎めいています。
第一話で、なぜ未来は秋人を殺そうとしながらためらうのか?その後の話数での彼女の振幅のある行動は何を意味するのか?時折挟み込まれる名瀬泉と未来の接触は何を意味するのか?
これらはすべて明かされるべき謎を暗示しています。
しかし、これらの「不可解さ」は、謎ではなく脚本の拙さととらえられがちだったようです。そして、このような指摘も、ある意味で無理からぬものだと思うのです。
この作品の全体の構成や作劇は、監督・脚本とも決して拙劣なものではないとは思います。むしろ持てる技量を存分に生かした、技巧的な作品とも言えます。
しかしそれ故に、なかなか一般的には受け入れがたいものとなってしまったように思われます。第十話に至るまで、未来の「不可解さ」への忍従を見るものに強いてしまったことが、「商業的」成功を遠ざける要因となった観が否めません。

この作品は、第一話冒頭で秋人が過去を振り返って述懐するところから始まります。しかし、この一人称告白体の叙述形式は、この後最終話までほとんど見られなくなります。これが、見方によっては実に惜しいように思えるのです。
というのは、もし、全編を秋人の懐古潭という形式にして、未来の謎めいた行動があるたびに、「このときはまだ未来の真意を知る由もなかった」といった内容の秋人のモノローグを挟めば、未来の不可解な行動に理由があることをほのめかすことが出来たはずです。それにより多くの人にとって見やすい作品になったとは思います。その代わり、第十話の衝撃は圧倒的に減殺されますが・・・。
そこで、作り手は敢えて第十話の衝撃をもたらすべく、リスクをとったのではないでしょうか。これが、この作品の「野心的」たる所以です。挑戦的な作品は、万人受けはせず、見る者を選びがちです。多くの批判を生むこともあると思います。しかし、こういった挑戦の積み重ねは、更なる良作の土壌になるのだと思います。
確かに賛否はよびましたが、ミステリの仕掛け自体は、第十話の衝撃という形で成功していると思います。このチャレンジが、今後の作品で更に生きてくることを願うと同時に、シビアな商業アニメの世界で敢えて挑戦をした作り手の方々には一視聴者として敬意を表したいと思います。
万人受けに背を向けた作劇が商業的に仇となった観は否めませんが、十分に佳作だと思います。
名無しのレビャートキン
名無しのレビャートキン
ストーリー
4.5
作画
5.0
キャラクター
4.5
音楽
5.0
オリジナリティ
4.0
演出
5.0
声優
4.5
5.0
満足度 4.5
いいね(0) 2017-12-17 13:07:21

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